04

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オレは――。 オレは歩いた。 本当は走って遠ざかりたかった。 でも、オレにはもうそんな力は残されていなかった。 ふり絞る力で草木をかき分け、先に進むと湖が見えた。 開けた草むらに寝転がり、息を整える。 夜のぬるい風が通り過ぎり、水面の人口月が揺れた。 きっと綺麗な場所なのだろう。 でも、オレの目にはもう霞んで見えにくくなっていた。 バクバクと鳴る心臓を抑え、静かにそのときが訪れるのを待つ。 「そろそろ……お迎えの時間か……」 星空を見上げ、目を閉じる。 「楽しかったなぁ……親父が言っていた通りだ……人間ってのはおもしろい」 今、この瞬間までは、穏やかな気持ちで死ねると思っていた。 仮にあいつと出会ったところで何も変わらないと思っていた。 それなのに――。 目から次々と涙がこぼれていって止まらない。 「さよなら、メメンプー……」 オレはゆっくりと命が奪われていく中で、九歳のころを思い出す。 研究所のように機材の揃った白い部屋。 部屋には似つかわしくない色とりどりの玩具。 そこでオレは父親――メローロに育てられた。 母親はコールドスリープされたラレーシアと言い聞かされていた。 でも、オレの髪は真っ白で瞳は赤い。 顔つきは父に似ているかもしれないが、それ以外は父にも母にも似ていない。 でもオレは気にしなかった。 何故なら父親であるメローロが好きだったからだ。 研究ばかりのメローロ。 構ってもらえないので、オレは普段、本や漫画を読んで過ごした。 オレはメローロに迷惑をかけたくなかった。 だから泣かなかった。 転んでも泣くのをこらえたし、ワガママも言わなかった。 そんな姿を見たメローロが「誰に似たのやら」と困りつつ「泣きたいときは泣いてもいい」と教えてくれた。 でも、そんなメローロが泣いたところなんて見たことがなかった。 だから、オレも泣かないと決めていた。 オレはある日、濡れ衣を着せられた囚人兄弟が脱獄するドラマにハマった。 その影響で男言葉になってしまうが、メローロは「これも多様性の一種か……」と言って否定はしなかった。 メローロはオレを特別かわいがったりはしなかった。 最低限の接し方だったと思う。 それでも、時折メローロのやさしさが伝わってきた。 だからオレはメローロが好きだった。 メローロはたまにゲームで遊んでくれた。 どんなゲームもオレを勝たせてくれる。 けれど、本当は誰よりも強いことを知っている。 強いメローロを――父を尊敬していた。 不意に父が話してくれた「妹」に会いたいと思った。 1歳下の妹。名をメメンプーと言うらしい。 ある日、メローロは治療と称し、オレにたくさんの機械を繋げた。 オレは細かい説明を受けていなかったが、メローロが何をしているのか分かっていた。 母ラレーシアと同じく、オレは燃料にされるのだろう。 父の為、父が愛する「文化」の為、オレは受け入れる覚悟だった。 たくさんの針が私を貫き、血液から薬を流されても――。 痛くて苦しくて何度も吐いても――。 私は父を信じた。 でも、父はそんなオレの姿を見て、作業を中断した。 父には決断できなかった。 オレを燃料にできなかった。 苦しそうな父は、でも、泣かなかった。 オレは父が一度も泣いたところを見たことがない。 誰に似てしまったのか。 でも、その日の背中は、まるで悲鳴を上げているように見えた。 だから――オレはメローロの背中を抱いた。 オレは気づいていた。 オレは父――メローロの「本当の娘」であるメメンプーの身代わりなのだ。 メローロはメメンプーを燃料にしない方法の模索の結果、オレを作った。 可能な限り愛情を注がずに育てた。 オレは【メローロのクローン】なのだ。 自分自身のクローンであれば、情に流されず燃料にできると考えていた。 でも、メローロはオレを愛してしまった。 本当の娘のように感じてしまった。 燃料にできなかった。 その日のメローロ――父は様子がおかしかった。 何があったのか、吹っ切れて饒舌だった。 オレは父の生い立ちを知る。 メローロとラレーシアはもともと、地球と呼ばれる場所で生まれた。 人口爆発によって燃料が枯渇した地球において、エネルギー生成を目的に作られた新人類のアダムとイヴ。 それがメローロとラレーシアだった。 しかし、時すでに遅く、人類はほろんだ。 メローロとラレーシアは自分たちで造った船で地球を発つことにした。 地球上のあらゆるつがいと文化を乗せ。 メローロは人間を――文化を愛していたのだ。 その船がノアの箱舟計画であり、今はラビリンスと呼ばれている。 そして、その動力源が人体エネルギーであるラレーシアであることを知らされる。 本来はメローロとラレーシアの子供を燃料にする予定だったが、妻であるラレーシアが猛反発。 自らが燃料になっている間に、メローロが別の方法を模索するという約束を交わした。 ラレーシアは100年の間、船の燃料だったのだ。 燃料になっている間は半コールドスリープ状態で、年のとりかたもゆっくりになるらしい。 それでも、ラレーシアの体力が持たなくなってきた為、保存しておいたラレーシアの卵子で体外受精――。 産まれたのがメメンプーだった。 メローロはあらゆる手を模索したが、代替案を見つけられなかった。 だから、メメンプーを次の人体エネルギーにしようとしたのだ。 だが、それはラレーシアとの約束の反故である。 メメンプーはラレーシアの意思により外部へ逃された。 約束が果たされなかったことでラレーシアは悲しむ。 メローロは別の選択を迫られた。 メメンプーを探し出すか、もっと別の方法を模索するか。 メローロは最後の手段として自分のクローンを作った。 それがオレだ。 クローンという方法も以前、ラレーシアから反対されていたらしい。 メローロはバレないようこっそりと研究を続けていた。 しかし、クローンは未完成の技術で、病気になりやすく、短命だった。 船のエネルギーにできたとしても、その期間は短い。 オレは父がやろうとしていることに反対などしない。 船の燃料になれと言われれば、そうするつもりだった。 でも、一つだけ気になることがあった。 それだけ苦しんでなお、救おうとする「文化」とは何なのか――。 私は気になった。 だから、聞いてみた。 「オヤジは何故、文化ってのを大事にする?」 父は観念するかのように、穏やかにほほ笑んだ。 「文化は人間そのものだからだ」 「文化が人間? 意味わかんねー」 「生物は遺伝子の命令によって、個体数を増やし続ける本能を持っている。多くの生物は増える為、個体差を補う為に『群れ』を作った。群れで助け合い生きているのだ。ここまでは分かるね?」 「おう」 「人間は増える為……つまり、より大きな群れを作る為に何をしたと思うかい?」 「わかんねー」 当時のオレにはよく分からない話だったので素直にそう答えた。 「人間は個体差、能力差を大きくしたのだ。それゆえ、人間はできることの幅が広く、補い合うことで大きな群れを作ることに成功した。その究極の群れこそが社会だ」 「ふーん」 「社会という巨大な群れは、個の幸せを実現する為、あらゆるものを生み出した。今着ている服も、お金も、法律も、安全も、言葉も……すべて社会が生み出したものだ。それらを文化と言う」 「うん」 「この世に赤子だけが取り残されたとしよう。仮に成人まで生きられたとしても、法律もお金も使わず、言葉も使わない。それはもはやサルと同じではないだろうか。人間を人間たらしめるのは文化である。私が愛した人間とは『過去から現在まで文化で繋がる地続きの巨大な生き物』なのだ」 文化で繋がる地続きの巨大な生き物――。 父は、人間を『時間軸と総体の二つで成立する生物』だと認識していたのだ。 なかなかにおもしろい考え方で、当時のオレでも驚いたのを覚えている。 人間は本質的に遺伝子的に近いチンパンジーより、集団で小さな社会を形成する「アリ」に近い生き物ということなのだろう。 「はは、親父はバカだ」 「そう……なのか」 「そんなに大事なものを差し置いて、オレを選んだ」 その言葉に、父は困った顔で笑っていた。 それから数カ月後、父はオレに言った。 「私は家に帰れなくなるかもしれない。そうなった時の為にお金と、この端末を渡しておく」 オレは引き留めなかった。 父はずっと何かに苦しんでいた。 でも、その日、家を出る時は何か憑き物が落ちたような顔だった。 そんな父を止められるはずがない。 父がくれた端末はいろいろな情報にアクセスできた。 これまで知らなかった世界を知ることができた。 父は言葉の通り、その日から家に帰らなくなった。 残されたオレは自宅兼、研究所で独りぼっちだった。 数日後、ネットニュースで父が死んだことを知る。 管制局の局長だったことをそのとき初めて知った。 端末に表示される文字に実感がないからなのか、涙一つ流れなかった。 渡された端末には父のコメントが残されており、オレが年齢を追い、知識をつけると、新しいコメントに気づける仕組みになっていた。 だからまるで、父は端末の中で生きているようだった。 膨大なテキストは「お腹を冷やさないように」など。 本当にどうでもいいことばっかりで。 そのコメントを見て笑いながら、オレは初めて悲しさで涙を流した。 未完成クローン体であるオレは、致命的な病巣に侵されており短命の宿命だった。 オレはこの命の最期に、父の仇を討とうと思い至る。 そのときにはもう十五歳になっていた。 世間的には「まだ」十五歳なのだろうけれど、幸い、体格は大き目だった。 大人の恰好をしてフードを被れば年齢なんてバレない。 ナイフを潜ませ、コアシティの街に出た。 裏路地のバーで父を殺した犯人――。 ガガンバ―の席の隣に座る。 司法取引が行われ、ガガンバーは無罪放免。 ニュースにすら取り上げられていなかった。 だが、オレの情報網で何とか見つけた『父を殺した真犯人』だった。 父のことを思い出し、ポケットに隠したナイフを握る指先に力が入る。 ガガンバ―は何を思ったのか、見知らぬオレに話しかけてきた。 ナンパのつもりだろうか? そう思ったが違った。 娘であるメメンプーについて語っていた。 「アイツ、9歳のあの時からワガママ言わなくなったんだ。旅したいだの言わなくなったんだ」 今から殺すヤツのことだからこそ、何となく知りたいと思った。 だから、適当に返事してみる。 「そのほうが安全でいいじゃん」 「そう! そうなんだ。そうして欲しかったはずなのによぉ」 「何か違ったのか?」 「……つまんねぇんだ。本当は危険でも好きなことやって欲しいのか……分からねぇよ……」 その時、オレは気づいた。 ガガンバ―もきっと、娘を守る為に戦った。 ベロベロに酔ったガガンバーは、カウンターに突っ伏していた。 そのさみしげな背中が父にかぶり、無防備に眠るガガンバ―を見てもナイフが取り出せなかった。 まるで金縛りにあった気分だ。 生まれて初めて沸き上がる複雑な感情。 どうすればいいのか分からない。 自分が本当にしたいこと、欲しいものは何なのか。 それはきっと復讐ではないのかもしれない。 そうだろう。あの飄々としている父親に復讐するだなんて言ってみろ。 「ハハハ」とバカ笑いするはずだ。 そう思った瞬間、自分がやろうとしていたことが、恐ろしく稚拙のように感じた。 オレは考えた。 本や端末であふれた部屋。 残された時間が短い体で考えた。 何日も考えた末、妹……メメンプーと会いたいと思った。 オレは一度もコアシティの外に出たことがない。 だから、最期にこの世界を旅したいと思う。 どうせならメメンプーを巻き込む方法はないか? でも、友達の作り方なんて分からない。 じゃあ、本当のことを話す? いきなり姉だと言って信じてもらえるだろうか? 厳密には姉じゃないし、仮に信じてもらえたとして、生い先短い姉の存在を知ることに意味はあるのだろうか? そもそも事情が複雑だ。 メローロが本当の父親だとメメンプーは知らないかもしれない。 ガガンバ―がメローロを殺したことも。 知らないまま生きるが幸せなのだとしたら……やはり真実は話せない。 あくまで他人として一緒に旅する方法はないだろうか? オレは延命の為の薬を作りながら、メメンプーと一緒に旅をする方法を考える。 強制的に二人を繋ぐものが欲しかった。 モニタに映る懐かしいドラマが目に入る。 兄弟が力を合わせて脱獄するドラマ。 そこから発想を広げていく。 刑務所の移送では、囚人を二人一組手錠でつなげて移動する。 それは簡単には切れない材質でできているらしい。 それを使えば――。 父が残したお金がたくさんあった。 必要な人間を買収したり、ハッカーに依頼したりすれば、情報を改ざんすることができる。 茶番の舞台は用意できる。 身勝手な姉だと自覚していても、ただ死にゆくだけの人生を受け入れられなかった。 運命に苦しみ、でも抗い、結局、何も捨てられなかった父のように。
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