02

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「それ」は毒のように私を蝕んだ。 「あの時」は気にしていなかったのに。 いや、受け止めきれなかっただけかもしれない。 関係ないと思えば思うほど「それ」は私の中の表層に顔を覗かせた。 歯を磨いている時、目を覚ました時――。 何気ない生活の中で、忘れたころにふと思い出されてしまう。 私は今、どんな顔をしているのだろうか。 気づかれないよう、私は「いつも通り」を装う。 いつもの私で、塗りつぶす。 夢から目覚めると、何故か悲しい気持ちで胸が締め付けられた。 上体を起こすとともに、一筋の涙が頬を伝って流れ落ちる。 路地裏の段ボールの中だ。 なるべく手錠の鎖を伸ばして離れたムゥロが、あきれ顔でこちらを見ている。 昨日のあの一件の後、私はムゥロと一時間歩き、途中からスクーターで移動した。 二人乗りなんて初めてだ。 作業ロボではいつも二人乗りだったし、ザクレットゥにバイク乗せてもらったことはあるけれど。 スクーターを盗むムゥロを必死に止めたが「真面目なヤツだなー」「うるせー」と取りつく島もない。 その後はコロニー「ガボルガン」でスクーターを乗り捨て、商店街を見回った後は段ボールハウスの建築だ。 「まるでホームレスだな……」 「まるで、じゃねぇ。そのものだ」 私は小さくため息をついた。 だが、商店街が目の前に現れた瞬間、活気のある声に胸の高まりを抑えられなくなる。 ガボルガンは商人の町と言われるだけのことはある。 魚や、菜、装飾品、様々な物を売る露店が並び、観光客と活気でごったがえしていた。 ムゥロがガボルガンを逃走先に選んだ理由はおおむね察しがつく。 人混みに紛れて見つかりづらくし、商人たちから情報を集める作戦なのだろう。 路地裏まで響く人々の喧噪の中、ムゥロは袋の中から取り出した服をこちらに投げた。 受け取り、広げた服はクリーム色の目立たないシャツとハーフパンツだ。 続いてジャケットとスニーカーも渡される。 「いつまでも囚人服じゃ目立つからな。つか、お前、泣いてるのか?」 「な、泣いているのではない! 目ヤニがだな……」 「どーでもいい。サッサと着替えろよ」  ムゥロのはタイトなパンツスタイルに、民族衣装のようなフード付きマント。  渡されたのはハーフパンツにゆったりとしたシャツ。  どちらも手錠を隠しやすい衣装だ。  アクセサリーもあって、センスも悪くない。  一見すると観光客か旅人に見える服装だ。 「というかこれはどうやって着るのだ? 手錠が邪魔で着れないぞ」 「囚人服は切って脱ぐしかねぇな。この服もハサミで切って、着用してから縫うしかねぇ」  お互いの服を替わりばんこで縫いながら気づく。 「というより、この服はどうやって手に入れたのだ? 手錠で繋がっているのだから、私が寝ている間は動けないはずだが……」 「このコロニーに着いてすぐ、商店街回っただろ」 「あぁ」 「その時に金をかっさらった。で、商人にこの場所に来るよう伝えておいて、お前が寝てる間に買い物してきてもらった。裁縫セット。バッグと、それから食い物と水だ」 「はぁ……ムゥロ、キミはどれだけ罪を重ねれば……」  私はつい今着替えた服の袖を見てため息をついた。 「これでお前も同罪だ」 ムゥロから食料と水の入ったペットボトルを受け取った。 「ぐぬぬ……」  と言いながらも渇きには逆らえない。  久々の水分に身体が喜ぶのが分かる。  私が食事をしている間、ムゥロはポケットから拳二つ分くらいのガラス瓶を取り出していた。  カラフルな錠剤をジャラジャラとつかみ取り、ガリガリとほおばる。  そういえば、移送中の護衛車でも食べていた。  刑務官からも許可を得ているということは――。 「ムゥロは病気……なのか?」 「さぁな」  聞かれたくないのかもしれない。  深入りはせずに話題を変える。 「これからどうするのだ? ちなみに私は自首をオススメする。仮にキミがこのまま逃げれば、最悪の場合、死刑どころか見つかった時点で警官に射殺される。今ならまだ弁解の余地がある」 「ねぇよ。見つかれば射殺だ」 「仮に逃げられたとしても、怯えて暮らす毎日だ。日々、警察の技術も進歩している。自由が利かない生活は確実だろう」 「覚悟の上だ。何だ、メメンプー。情に訴えかける方法じゃ説得できないって考えて、メリット、デメリットで説得しようとしているのか? 言っておくが無駄だぞ。全部考えた上で行動している」  ムゥロは大きなアクビをしながら水に口をつけていた。  分かっている。  道徳、情、理論、メリット、デメリット。  これまでのやり取りから察するに、恐らくどんな言葉でもムゥロを説得するのは無理だろう。  私には分かる。  ムゥロは賢い。  認めたくないが、もしかしたら私よりはるかに賢いかもしれない。  以前、メローロと打ったタクティクスプーカーを思い出す。  あのとき、メローロは嫌な手ばかり打ってきた。  私の思考を先回りして打っていたのだ。  あのときの感覚に近い。  だから、私は情報収集に徹することにした。  どんな言葉にどう反応するのか、情報を集め、彼女を説得する道筋を立てたかった。  こちらの意図がバレたら何もしゃべらなくなるかもしれない。  私は細心の注意を払い、言葉を選ぶ。  ムゥロが空虚を睨みつけて言った。 「やることは一つだ。この忌々しい手錠を外す」 「方法に心当たりがあるのか?」 「たりめーだ。十八人も殺してるんだぞ。どうすれば捕まったとしても逃げ延びることができるのか……それも考えてある。オレはいつも最悪のパターンを事前に想定しておく」 「用心深いんだな。でも、それじゃあ何故十八人も殺したのだ?」 「それを聞いてどうする。今は少しでもオレの情報を集めたいんだろうが、こっちは見通した上で対応している。覚えておけ」  ぐぬ、バレていたか。 「これの解除はキーピックも破壊も無理だって刑務官は言ってたが、ありゃウソだ」 「方法があるのか?」 「ま、ウソっつーか刑務官も知らないんだろうが。破壊は無理でも解錠は可能だ。相応のハッキング技術と機械の扱いに長けてる必要があるがな」 「ハッキング技術と機械の扱い……」  私はユーリとザクレットゥを思い浮かべた。 「心当たりがあるって顔だな」 「あぁ、ラビリンスでもトップの実力者たちだ」  私は自分のことのように胸を張った。 「でもな、オレにも心当たりくらいはある」 「誰だ?」 「元ドッグキャラバンのメンバー。モンボーとキャンディだ」 「その人たちが誰だか知らないが、世界一はユーリとザクレットゥだ」 「ハッ。てめぇ、モンボーとキャンディ知らないなんてどこのモグリだよ。そのユーリとザクなんちゃらなんて目じゃないぜ」 「ムゥロ! ユーリとザクレットゥをバカにするのは許さないぞ」  立ち上がった私を追うように、ムゥロも立ち上がって睨んでくる。 「じゃあ、どっちの意見優先させるか、勝負をつけようじゃないか」 「何で勝負をつけるというのだ」  ムゥロがアゴで示したのはさびれたゲームセンターだ。  電飾はショートし、店内も暗い。  ガラの悪い連中が店の前でたむろしている。 「お前、利き腕はどっちだ?」 「両利きだ」 「じゃ、手錠があっても問題ないな。ガンショットプーカー、タクティクスプーカーあたりで勝負するってのはどうだ?」 「望むところだ!」  私たちはさびれたゲームセンターの暗がりに入っていった。  筐体の光が店内の埃に反射している。  その奥にあるドデカい筐体がガンショットプーカーだ。  ホログラムで表示されたカウボーイ風西部劇舞台が、パラパラと切り替わって宇宙戦記物に変わる。  ガンショットプーカーはザクレットゥからコツを教わった。  ガガンバーにも勝てるようになったから大丈夫だ。  私は手錠がつけられていない左の義手で並べられた銃の一つを掴む。  グリンボルグ社製の中期に作られたS型と呼ばれる銃だ。 「オレは……何でもいっか」  ムゥロは手触りを確かめるどころか、型も会社も関係なく適当に目の前の銃を掴む。  それはザクレゥットゥさえ「じゃじゃ馬」と言っていた特殊銃だ。 「本当にそれでいいのか?」 「別に何でもいいんだよ。弾が出りゃ、後は誤差だ」 「ムゥロ、後悔するなよ」 「ハッ」  ムゥロが鼻を鳴らすと同時にバトルが開始された。  たこ足の宇宙人が次々と襲ってくる。  難易度は恐らく最高難度。  馬鹿みたいに忙しく気を抜けない。  的が現れた瞬間に撃ち抜いている。  絶対に負けない。  義手であっても、精密に調整を重ねた特別性だ。  右手と同じように扱える。  ガガンバーに鍛えられてからは、誰にも負けたことがないし、今回だって絶対に負けない。  そう思っていたのに――。  結果は僅差負けだった。  ちらりと横を向くと、気だるそうに銃を構えていたムゥロが「ハッ。まったく後悔してないんだが?」と笑った。  頭の中が真っ白になりそうな怒りを覚えた。 「タクティスプーカーで叩きのめす!」  不自然に声が上ずってしまった。  でも、まぁいいさ。  何故なら、タクティスプーカーは一番の得意ゲームだ。  仮に全力のメローロと戦ったら勝負は分からないかもしれないが、それこそ負けなしだ。 「はじめっぞ」  ゲームセンターに備え付けられたタクティクスプーカーの筐体の椅子に並んで座る。  かなり古い型で、レトロな文字表示が懐かしい。  ゲームが始まるとムゥロは口数が減った。  一手、また一手と打ち、余裕を持って勝っていた盤面に、しかし、油断など微塵も忍ばせなかった。  絶対に負けない。  負けたくない。  その気持ちを一手一手にこめ、いつもより慎重にコマを進めた。  しかし、二時間を超える攻防の末――。  負けたのは私だった。 「そ、そんな……」 「口ほどにもないヤツだな」  ムゥロの笑みは私をイラつかせた。  恥ずかしさと悔しさで腕が震え、噛んだ歯がカチカチと音を鳴らせた。  そんなこと言っているが、十分苦戦しているではないか。  そう反撃したかったが、寸前で飲み込む。  負けは負け。  これ以上、恥の上塗りをしたくはなかった。
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