14人が本棚に入れています
本棚に追加
夕焼けが眩しい屋上に忍び込み、天体望遠鏡をセットして日が沈み切るのを待つ。
沈んでから学校が閉まるまで、今の時期ならば約2時間。ひたすら空を見上げて過ごすのが好きだった。
毛布に包まり、魔法瓶に入れた温かい紅茶を飲みながらいつものように空を眺めていると、これもまたいつものようにスピーカーから帰宅を促す放送流れる。
魔法瓶をリュックに押し込み、望遠鏡と毛布をロッカーに押し込むために片づけを始める。
屋上の扉を静かに開け階段下に教師がいないことを確認すると足音を立てないよう下りていく。
すると、もう放送もあったというのにピアノの音がする。
その曲は俺でも聴いたことがある曲だった。
どんなやつが弾いているのか見てやろうと音楽室の扉を少し開けて覗くと、ピアノ越しに相手と目が合った。
「こんばんは。キミはだれ?」
声色は低く柔らかで心地よく、顔も一部しか見えていないにも関わらず、それでも十分わかるほど美しい。
綺麗な栗毛色の髪やグレーの瞳から異国の血が入っているのがわかる。
「あ、ごめん。俺は、2年の中林朔です。えっと……」
相手の顔を見たことがないのでおそらく学年が違うのだろうということはわかったが、後輩なのか先輩なのかわからずどう話せばいいのか迷ってしまう。
「ボクは茉理……こんな時間に先生以外のお客さんが来たのは初めてだな」
「よかったら一曲聴いていく?」
茉理と名乗ったその美しい男は、傍にある椅子を指さし座ることを勧めてくる。
俺は勧められるまま、音楽室に足を踏み入れ椅子に座るが、ピアノのすぐ近くにある椅子は、思ったよりもピアノに近く、茉理のまつ毛の長さまで目に入ってしまう。
「何かリクエストがあればどうぞ」
「さっきの曲が聴きたい」
「さっきの……いいよ」
茉理はすぐに先ほどの曲を軽やかな指運びで弾いて見せる。
その指の滑らかな動きに思わず見惚れていたが、勢いよく開いた扉と教師の声によって現実に引き戻される。
「お前ら、下校時刻過ぎてるだろ、早く帰れ!」
俺の学校は近隣の県では1、2を争う進学校で、全寮制でもあるためαとβしか存在しない。
全寮制ということで窮屈に思うαも多く、大半は様々な地方からやってきたβが占めている。でも、あの男は間違いなくαだという確信があった。
12分間。
たった12分間でその容姿、所作、そして音色の美しさで人の心を占拠していったのだから。
翌日も翌々日も、いつもならロッカーから引っ張り出した天体望遠鏡を抱えると真っ先に駆け上がる階段を途中で足を止め、音楽室の扉の陰に座ってピアノの音に耳を傾ける。
そんなことを1週間続けていると、いつもは聴こえるピアノの音色が聴こえず物足りなさを感じてしまう。音楽室の主はいないのかと思い、音楽室に足を踏み入れると、急に視界が真っ暗になった。
「いらっしゃい。やっと盗み聴きじゃなく、ちゃんとお客さんになってくれる気になってくれたのかな?ナカバヤシハジメくん」
頭の後ろから声がする。視界を塞いでいる犯人がすぐにわかってしまう。
「えっと、茉理……くん?」
「ははは、正解だよ。ハジメってば、毎日扉の前に座って全然入ってこないんだもん。だから待ち伏せしちゃった」
茉理が笑いながら手をほどいた。
なぜ自分が毎日こっそりピアノを聴いていたことがバレたのか気になり、尋ねようと振り返ると、ピアノの椅子に座っていない茉理は思った以上に背が高くてさらに驚いてしまう。
頭一つ分ほども差があるが、ちらりと足元を見ると明らかに腰の位置が違い過ぎてこれがαかと慄いてしまう。
「いや、それよりなんで俺が毎日聴いてたこと知ってるんだよ」
我に返りそう尋ねると、茉理はくすくすと笑う。
「頭隠して尻隠さずっていうの?ハジメの影がいつも見えていたよ」
いつも盗み聴いていた時間は確かに日の入り直前で、影が伸びる時間帯であった。そんなことを失念していた自分が恥ずかしい。
「さあ、ハジメ。諦めてまたボクのお客さんになってくれる?」
逆光になりまぶしくて茉理の表情はわからないが、声は楽しそうに弾んでいる。
「まあ……勝手に聴くのもフェアじゃないしな……」
「ふふ、ありがとう。聴きたい曲があったら遠慮なく言ってね」
茉理はそう言うと俺の手を引いてピアノの傍に歩いていく。
俺を前回と同じ椅子に座らせると茉理ピアノの前に座る。鍵盤に手を置き、深呼吸すると踊るように指が鍵盤を弾いていく。
美しいメロデイを奏でるが、俺にはそれがなんの曲なのかはわからない。
1曲弾き終わった茉理がこちらを見た。
「前にあった時もそのバッグを大事そうに抱えていたけど、それには何が入っているの?」
そう言われ茉理の視線の先を見ると、天体望遠鏡を入れたバッグのことを指しているのだとわかった。
「ああ、これは星を観るための道具だよ」
「星?……もしかしてハジメは星が好きなの?」
星が好きなのかと問われれば、好きだから毎日望遠鏡を抱えて教師に見つからないようこっそり屋上へと忍び込んでいるのだ。好きではないはずがない。
「そっか……だから……」
茉理は何か思い出したようにクスクスと笑う。
何に対して笑われているのか分からずムッとしてしまう。顔に出やすいタイプなので、茉理にもそれはすぐに伝わる。
「ううん、バカにしたつもりはないんだよ。最初にリクエストされた曲がきらきら星変奏曲だったから、星が好きだからかなと思っただけ」
「ねえ、ハジメ!今度はボクに星を見せてよ」
最初のコメントを投稿しよう!