足跡だけの世界

2/3
前へ
/3ページ
次へ
 そう、足あとである。  誰もが透明人間の社会では、他人の姿が見えないのでお互いにぶつかったりする危険が大きい。  そんなことのないようにこの社会では、自分の足あとをしっかりと付けて「今、ここにいるよ」ということを示すことが暗黙のルールなのだ。  だから皆、他人の足あとをしっかりと見るようになった。とはいっても実際、他人に関してはそれしか見るものがない。  そして皆、足あとにとても詳しくなった。  実際、足あとから人は実にいろいろなことを読み取ることができる。  まず靴の大きさや形から、男女の違いが分かる。それに同じ性別の中でも、足の大きさによって体全体の大きさがある程度想像できる。  もうすこし注意深く見てみれば、足あとの深さも人によって違うことに気づく。これは当然、その人の体重を表すはずだ。太っている、痩せているといった体形とも関係があるだろう。  そうして透明人間の世界では、足あとが唯一の外見的評価の対象となった。  分かりやすく言えば、ここでは足あとの姿が、普通の人間の世界でいう外見と同じ役割を果たすようになったのだ。  例えばある日、ある若い男性の透明人間が、道端で女性の透明人間の足あとを見つける。  その足あとは、進行方向に向かって増えてゆきながら、彼のとなりを通りすぎる。 「ああ、なんて美しい足あとの形なんだ」  男性の透明人間は思わず息をのむ。  小さめながらも、美しい曲線を描いた女性の足あと。先に向かってキュっととがった形が、なんとも言えずセクシーだ。  そして彼は柄にもなく、その女性に声をかけてしまう。 「すみません、あなたの足あと、とても綺麗ですね」  するとそれまで歩いていた女性の足あとは、急に小走りになり、立ち去ってしまった。  男性は落胆し、自分の足あとをじっと見つめる。 「しまった、こんなことなら、もっと恰好良い足あとのつく靴をはいてこればよかった」  サンダル履きで外出してしまったことを、彼は悔いた。  そういう訳で、若者の透明人間の間では、いかに魅力的な足あとを残すかが大きな関心事になった。  男性の場合は、横に太い寸胴型の足あと(そんな人はよく「縄文人」なんてからかわれた)よりも、縦に長めのシュッとした形が人気になった。  一方女性の間では、土ふまずの部分が細くくびれ、足の指の付け根の部分は十分に広がり、またそこから足先に向かって細くせばまってゆく曲線的なスタイルがもてはやされた。  特に美しい形の足あとの持ち主は話題になり、ファンがつき、時にはインフルエンサーとなった。  逆に生まれ持った足の形に恵まれない者は、それをいかにごまかすかに工夫をこらし、またあるいは足の整形も―ずるい行為として社会的にはひどく軽蔑されたが―こっそりと行うようになった。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加