足跡だけの世界

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 あなたは今、透明人間だ。  映画かなにかによく出てくる、あの透明人間。  誰も、あなたの姿を見ることはできない。  でもあなたの五感は、正常に機能している。あなたはきちんとものを見て、音を聞き、ものに触れることができる。  誰もが一度はあこがれたことのあるあの透明人間に、あなたは今、なっている。  ほら、通りを歩いてみよう。誰もあなたのことを見はしない。それはそうだ、あなたは誰からも見えない存在なのだから。  なに、透明人間として出歩く場合、洋服はどうしたらいいのかって? 素っ裸のほうがいい? でもそれじゃあ、もしかして不意に透明効果が解けたときなんかに恥ずかしい?  心配はご無用。透明人間のあなたが着るもの、手に持つものも、一緒に透明になってしまうという便利な機能付きだ。  だから堂々とそのまま、洋服を着たまま町に出よう。まずは映画館や美術館なんかに、タダで入りに行こうじゃないか。  ほら、見慣れた近所の商店街。果物屋さんにならぶリンゴを、気づかれずにくすねることだってきっと簡単だろう。  そうやって外に出ると、しかし―ふとあなたは、あることに気づく。  確かに誰からも見られていないのかもしれないけれど、そもそも通りに人影がまったく見当たらないじゃないか。  そのとおり。しかしだからと言って、誰もいないわけではない。    実は透明人間は、あなた一人ではないのだ。  さらにはっきり言ってしまえば、この物語の世界では、住人のすべてが透明人間なのである。  つまり、誰からも自分の姿を見られることはないが、その代わりに誰の姿も見ることができないわけだ。  そんな不思議な世界の人間社会でひとつ、もっとも大切になったものがある。それは一体、なんだろうか。
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