第三章 不穏な曇天

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 改札前で待っていると、黒いPコートに白いパンツスタイルの和泉が足取り軽やかに現れた。 「やぁ!」と和泉はキザに手を挙げる。「僕の登場を待っていてくれるなんて! そんなに僕が来るのが待ち遠しか」 「片山は?」 「彼なら、タバコが吸えないから公共交通機関なんか乗らないんだってさ。それより夏帆たん、せっかく温泉に来たんだから、まずは一緒にそこの足湯でも」 「もう入って来たから」  夏帆は踵を返し、先に歩き出す。自動的についてくる和泉は飼い犬のようだ。女性に対する余計なセリフばかりがスラスラと出なければもっと優秀な刑事なのだろうが、でもそれがなければ和泉の個性が失われる。女性に対する態度は褒められるものばかりではないが、そこが人間らしさでもある。  片山が車で来ることは想定内。彼は温泉なんかに同僚と一緒に泊まるタイプでもないし、葛木が昨日泊っていた部屋への追加は一名だけにしておいて正解だった。  溶け固まった雪の道を、三人の足音が響く。駅から温泉街に入ると、その道――かえで通りは、なだらかな上り坂になっている。すれ違う浴衣姿のカップルや家族連れは、湯めぐりが目的らしく、みんなビニールバッグを提げている。  ホテルへ向かう道すがらも寸暇を惜しんで捜査報告だ。 「で、東京の方の進展は?」 「まず、鴨さんが遺族を説得しているけど、なかなか情報提供に応じてもらえてなくて、通話履歴やメール解析はまだなんだって。まあ、遺族の立場からすれば当然だよね。運悪く強盗に殺されたんじゃなく、マル害にも殺される動機があるかもしれないってことが明らかになるかもしれないわけだし」 「遺族はどんな事件でも傷ついてるわ。そこは時間がかかっても、鴨さんに任せましょ。で、あんたの方は?」 「会社の方で聞き込みをしたけど、マル害の評判はいいよ。人当たりもいいし、嫌味も言わないし、馬鹿正直って言うか。人並みに出世欲もあったみたいだけど、人がいいだけじゃ出世はできないよね。軽口は禍の元。同期が証言してたと思うけど」 「会社の通話記録は?」 「田島記念病院からの電話は例の一度だけ。内容は不明。あとは仕事関係の電話ばかりかな。この一ヶ月分だけでもかなりの量があるから、所轄が一つずつ潰してくれてる。でも、多分怪しげな対象はなさそうだね」 「他には?」 「毎年、異動の時期になると、二課を希望していたらしい。何でも、救急車の設計が夢だったんだって」 「それを早く言いなさいよ!」夏帆の声が温泉街に響く。 「いい感じね。やっぱり、方向性はこっちね。で、マル害はどうして救急車にこだわりがあったの?」 「平凡な理由さ。自分の子どもが大けがをして救急車で搬送されたとき、乗り心地が悪かったんだって。で、乗り心地を追求した救急車の企画を出したこともあるけど、部内の企画会議で却下されたんだって」 「どうして?」 「そりゃ、救急車に同乗する家族目線のことしかなくて、メインとなる救急隊員や傷病者の利用の視点が欠けてたんじゃない? 却下の正式な理由は機密らしいけど、社内の評価から推察すると、ね」 「でも、これじゃ――」と葛木が腕を組んだ。「やっぱり、マル害が殺される理由が見えてこないな」
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