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第四章 アリバイ写真
湯田中駅の近くを流れる夜間瀬川は、横湯川と角間川が合流してできた大きな川だ。その合流地点から南西の山手の方に行くと、児島がいる山之内西駐在所がある。交番と駐在所の違いは、通いの職場か住み込みかという点だ。住み込みである駐在勤務は、何か特別な理由がない限り交代要員もなく、二十四時間体制で町の治安維持に努める仕事だ。故に多くの場合、家事などのサポートがある妻帯者の警察官が選ばれる。
だから児島のように独身が駐在勤務になることは稀であり、往々にしてそれは左遷である。児島は一人という状況を逆手にとって、この町で好き勝手やっているのだろう。
午前中、少しゆっくり目にホテルを出た夏帆と葛木は、粉雪の降る中、駐在所の前を何度か車で往復する。朝から児島は出かけているらしく、駐在所はずっと留守のようだ。
今日も田島記念病院で聴取を行うつもりだったが、病院と言うところは午前中が最も多忙だ。受診している患者に罪はないので、その患者の邪魔にならないよう、聴取は午後にするつもりだった。正午前には横湯川の近くの蕎麦屋で信州そばを平らげ、病院へ向かう道中、夏帆はコンビニでところてんを買った。そばがあまり好きでない夏帆でも、信州そばは美味しかった。でも、やっぱり好物は外せない。
葛木の慎重な運転に揺られながら、車内でところてんを食べ終わる。
レンタカーを、山之内救急隊の救急車が追い越していく。
「スキーの事故が多いんだろうね」と葛木が言った。
「雪山じゃ、ヘリでのレスキューも難しいだろうし」
「ヘリは天候に左右されやすいから。レスキューはもちろん、ドクターヘリもあるはずだけど、こっちに来てからまだ見てないわね」
「雪山用の救急車とかってあるのかな?」
「聞いたことないけど、昨日から見てる救急車は、東京のと変わらないわね」
田島記念病院の駐車場に着く。停まっている車両の中に、児島のパトカーがあるが、本人は乗っていない。ただの巡回か、それともまた何か良からぬことで動いているのか。
慣れない雪道の運転から解放され、ほっとした表情の葛木とともに、夏帆は病院に入り、カウンターで佐々野彩音を呼び出してもらう。
今朝一番に片山がもたらした情報は、非常に興味深いものだった。田島孝輔殺しについて、妻の秀子と事務長の大石の不倫、その現場を佐々野彩音が写真に収めていたことによって、三人のアリバイが成立したと言う。確かに、アリバイと言うのは偶然が重なって成立するものだ。偶然、防犯カメラに写っていた。偶然、目撃者がいた。偶然、遠方に出張中だった。
しかし、偶然にも程度がある。たった一枚の写真が、撮った一人と撮られた二人、合計三人の事件関係者のアリバイを成立させる偶然には、どこかしら作為を感じる。作られたアリバイなら必ず崩せるが、まずはその写真を見ないと話にならない。さすがに捜査本部に忍び込んで写真を盗んでくるわけにもいかず、だったら撮った張本人に直当たりするのが今日の目的だったし、そもそも昨日の聴取のとき、気になっていたこともあった。
「お待たせしました」
十分以上待たされて、佐々野彩音が現れた。首から下げ院内ピッチを握りしめているのは、仕事の電話がかかってくる約束でもあるのか、それとも不安の表れか。夏帆はゆったりと微笑み、まっすぐに彼女を見据えた。
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