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「今日は何でしょうか?」と問う彩音。「仕事中なので、手短にお願いします」
「じゃあ、どこか座って話せる場所はあります?」
夏帆が尋ねる。彩音が「では」と踵を返し、案内されたのは内科の診察室だった。
「今日は、午後の診察はありませんから、ここなら大丈夫です」
彩音は先に、医師用の事務椅子に腰を下ろす。夏帆と葛木はそれぞれ丸椅子に腰かける。
「何か、診察されるみたいね」と夏帆が笑う。
「あたし、病気もケガもしないから。健康診断は本部庁舎内で受けるし」
「ご用件は」と彩音は怪訝な表情で尋ねる。無駄話に付き合う気はないらしい。
「早く本題に入ってほしいのね。あたしたちがなぜ来たか、気になるでしょ?」
「仕事に戻りたいだけです」彩音の表情は硬い。「用件は昨日で済んだのではないのですか?」
「昨日の用件は昨日済んだけど、今日は別に聞きたいことがあってね。まず、駐在の児島警部補って、よく来るの?」
「そうですね。よくお見かけしますけど。事故でケガをして運ばれてくる方も多いですから、話を聞きに来たりしてるんでしょう」
「名誉院長と、よく外で会ってるって言う話も聞いたんだけど?」
「お二人のプライベートな関係は知りません。でも、ここは小さな町です。警察も病院も、町を守る大切な仕事ですから、連携が密なのはいいことだと思いますけど」
「児島警部補には、悪い噂もあるみたいね?」
「そうみたいですね。昔は県警本部にいたけど不正をして飛ばされてきたんだとか、暴力団らしき人と付き合いがあるとか、その程度ですけど」
「悪い噂って、すぐ広まるもんね。でも実際に、この町で不正をしている様子はない?」
夏帆の問いに、彩音の表情に一瞬の嘲笑が浮かんだ。
「もし不正なことをしていても、あなた方には関係のないことですよね?」
「関係あるわよ。悪い奴は赦さないのが、あたしのポリシーなんだから!」
「それはあなた個人のポリシーでしょう? あなたたちは東京の殺人事件の捜査のためにこの町に来られたんですよね。だったら、駐在さんの不正がどうこうというのは、関係ないですよね?」
「そっちの事件と関係あるかどうかは、調べてみないと解らないわ」
夏帆はぐっと身を乗り出し、彩音の表情を詮索するような上目づかいで尋ねる。「それとも、東京の事件と駐在は関係がないっていう確信でもあるの?」
彩音が初めて目を逸らした。
「確信なんてありませんけど」
「けど?」
「いえ――刑事さんは、そう見ていらっしゃるのかと思うと、意外で――」
「いいえ。関連があると思って見てるわけじゃないわ。それよりも、あなたに興味があるの。あなたの方が、事件と関係してるんじゃない?」
一、動揺する。ニ、怒り出す。三、一笑に付す。夏帆が伺う中、彩音の反応は明らかに一だった。それ以上に驚いた表情を浮かべたのは葛木だ。「どうして彼女に――」と口を挟みかけたが、夏帆は「あとでね」と笑いかける。葛木の反応は想定内、というかむしろ思惑どおり。動揺は伝播する。葛木が演技でなく動揺することにより、彩音の中に起こした動揺を強化することができる。
「私、昨日、この病院と被害者の方の関係はないとお答えしたはずです。ましてや、私はその人を知りませんし」
言葉を選んでいる。ボロを出さないように、注意を払っているように見える。
「東京に行ったことは?」と夏帆は尋ねた。
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