聖地巡礼

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 高校からの親友である美帆と一緒に関ヶ原町にある山道を歩いていた。朝一番で滋賀県との境にある伊吹山に登ったときは雲一つない晴天だったが、夕方のこの時間にはどんよりとしていた。伊吹山のような登山客に開かれた場所とは違い、木々に覆われた場所を歩いている。秋の終わりというのもあって、地面は枯葉が積もっていた。昨日の雨の影響でぬかるんでいる場所もある。 「なんか、伊吹山とは別の意味で山道しんどくない?」 「分かる。伊吹山は開かれとるけど、ここは舗装されとらんからな。木々に囲まれとるせいか獣道みたいだしよ。人の足あともないわ」 「観光地のはずなのに…!」 「本当なら今日も日曜日だから観光ツアーとかに組み込まれとったんだろうな」 「でもさぁ、こういう山の斜面みたいなところに陣張ってたんだよね。すごくない?杭立てて、旗立ててさ。めちゃめちゃ大変じゃん。」  今から約420年前にこの土地で起こった関ヶ原の戦い。わたしと美帆の現在のマイブームは【関ヶ原の戦い】だった。もともとお互いに歴史が好きだったことに加えて、動画配信サービスに最近追加された歴史作品がふたりの心にミラクルヒット。その舞台となった場所がこの関ヶ原だった。  つまるところ、本日の行動目的は聖地巡礼である。  午前中に訪れた伊吹山は、戦いで西軍を率いていた石田三成公とゆかりがある場所だ。標高1,377メートルの伊吹山を登山下山と往復したこともあり、アラサーふたりの体力はかなり限界に達していた。  伊吹山ドライブウェイから少し車で移動をしたこの場所はガイドマップによると、(いくさ)で石田三成公に最後まで協力をして彼を支え続けた武将の慰霊碑があるという。今のわたしたちにとって、お参りをしないわけにはいかなかった。  この山一帯はその武将が関ヶ原の戦いで陣地として利用した場所と言われている。岐阜県が設置した観光客用の看板にも書いてあった。こんな急な斜面に陣を張り、この山林をつくっている木々の中に当時のものもあるかもしれないと思うと、胸も熱くなる。  しかし、テンションは上がるが疲れるものは疲れる。しかも、周囲は高い木々に囲まれていて空が狭く感じた。しかもその見える空も曇っている。そのせいか、周りの空気もどんよりと重く感じていた。  絶賛疲労蓄積中のアラサーふたりをあざ笑うかのように、子どもたちが山道を駆けていった。 「あ!ユヅル!トモキ!走るな!」 美帆の子どもたちふたりは体力が余りまくっている5歳児と3歳児だ。午前の伊吹山も一緒に往復したが、ここまでの道中で車の中で爆睡していたせいか完全復活していた。長男の由絃(ゆづる)はとにかくどんどん先に進んで行ってしまう。まるで好奇心の塊が歩いているようだった。一方、弟の智紀(ともき)は急に「まま、疲れた、抱っこ」と美帆に寄ってきた。車を降りるときに起こされて機嫌も変わりやすかったので、美帆は大きくため息をつきながらも小さな彼の要望に応えていた。  一方で、わたしは兄のユヅルを追っていた。 「タカさぁーーーーん!はやくぅぅぅう!」 ママが弟を抱えているため歩くスピードが遅くなると察したユヅルは、代わりにわたしを呼んだ。  そんなとき、分かれ道に出くわした。立て看板は残念なことにない。なんでや。ここ一応観光地やろ。不満を言っていても仕方ないので、どちらを選択するか決める必要があった。 「こっち!」 勝手に左へ歩き出そうとするゆづるを「ちょい待ち」と捕まえる。こんな山の中で子どもとはぐれでもしたらたまったものではなかった。しかも多分、彼が行きたがっているその道は、先ほどとは違うルートで下へ戻る。なぜならばこの山は複数の入り口があるからだ。 「みーちゃーん!!! これ、右よね?」 「右だと上に行くやろ? 看板に上って書いてあったでそっちだと思う!」 自分ひとりでは責任を追いきれないので美帆に確認をとった後でユヅルと一緒に右方向へ登り始めた。  今は晩秋。まだギリギリ12月ではない。しかし、とにかく寒かった。まずここ岐阜県が寒い。伊吹おろしとはよく言ったものだ。あそこから冷たい季節風が地元に届く。  先の坂道をふと見ると、落ち葉の上を踏みつけられたような跡が合った。その先までずっと続いている。誰かの足あとだろうか。ここまで来るのに見た記憶はなかった。 「足あとかなー」 「これなんだろうね」 5歳児も同じことを考えていたらしい。しゃがみこんでじっと見つめていた。 「どしたん?」 気がつけば、美帆とトモキがわたしとユヅルに追いついていた。 「みーちゃん、見てほら。足あとっぽいのがあるんよ」 「本当だ。さっきの道までなかったのに」 「やっぱりそうよね」 「とりあえず行ってみようか。どうもあと100メートルくらいらしいで、もう着くと思う」  深くは気にせずに、わたしと美帆は子ども達を連れて先へ進んでいった。もう考える体力が残っていないという方が正しかった。ついでに距離感も狂っていた。  さらに地面をしっかりと踏みしめて獣道のような坂道を進んで行く。ふと、坂の上を見上げるとひらけた場所があることに気づいた。 「ねぇ、あそこじゃない?」 例の足あともそこまで続いていた。ゴールが近いと分かって興奮しはじめた少年ふたりは大人を置いて急に山道を走り出した。止まることを知らない彼らを見失う前に、わたしと美帆がそれを追いかける。  ようやくたどり着いた場所は、目的地だった慰霊碑が祀られていた。本当にあったのだ。と言うのも、山道を進んでも進んでも何かが見える気配がなく、さらに観光地であるはずなのに誰もいないことに対して、わたしと美帆はかなり不安になっていた。しかし、後になって分かったことだが、10年来の友人であるわたし達ふたりが考えていたことは声に出さずとも同じだった。『今ここで引き返したら、ここまで頑張った時間と体力が無駄になる。とりあえず行けるところまで行こう。何もなかったらその時だ』お互い行き当たりばったりの性格にもほどがあったが、今回は功を奏した結果となった。 「あら、こんにちは」  わたし達4人の姿を見て、70才くらいだろうか、気の良さそうな女性が声をかけてくれた。その手には長い竹箒を持っている。落ち葉をはいていたのだろう。近くには枯葉の小山ができていた。 「こんにちは〜」 わたしが反射的に挨拶をする。こんな場所で何してるんだろうと一瞬疑ったが、どう見ても女性はこの場所一帯の手入れをしていた。 「ほら、『こんにちは』は?」 突然見知らぬ人が目の前に現れ、しかも声をかけてきたことに驚いた子どもたちはわたしとは反対に急に黙ってしまった。道をずんずん歩いていたときは「たかさんはさぁ、アノマロカリスってどう思う?」とか「ゆづくんはねぇ、アノマロカリスは名古屋港にいると思うんだよ」と持論を展開していたのに。(「アノマロカリスってなにー?」というわたしの質問はことごとくスルーされた。ちなみに古代生物らしい)あの勢いはどこへ行ったんだ少年よ。  母親である美帆に促されて「こんにちは」と恥ずかしそうに言うユヅルとは対照的に「こんにちは!!!なばためともきです!!」と、かなり元気いっぱいでしかもフルネームで知らない人に名乗った。その子どもらしい様子に女性は「ふふふ」と上品に笑った。 「ちゃんとご挨拶できて偉いわね。ここは戦国時代のお侍さんを祀ってるのよ。ちょうど、ろうそくに火を灯したところだから、お参りしていってちょうだいな」 女性に促されて、ユヅルとトモキが石碑の前に立った。しかし、まだ人生経験の浅いふたりは具体的にどのような行動をすればいいの分からずに戸惑っていた。そのことに気がついた女性は優しく彼らに伝えた。 「ろうそくの前で手を合わせてね『感染病に負けませんように、見守っていてください』って。お願いをすればいいのよ」 彼女の言葉にわたしと美帆はハッとした。いにしえの武将達が歩いた軌跡をたどって想いを馳せることだけが聖地巡礼ではないのだ。 「びょうきに負けませんようにお守りください」 「まけませんように!」  幼い彼らの後ろでわたし達も手を合わせた。これまでの感謝と、彼らへの尊敬の想いを心の中で述べた。そして、子どもたちと同じように未来への願掛けも。 「しかし、こんな遠い所までよく来たねぇ。しかもお子さんふたり連れて大変だったでしょ。こんな小さな子達が来てくれたのは初めてよ」 「ええ……」 「それはもう……」 厳しい坂道、本当にこの道で合っているかという不安、そして足腰への負担、元気盛りかつ気まぐれな子どもの相手、わたしも美帆もしんどくなかったはずがなかった。アラサーふたりのげんなりとした様子を見て、女性はまた上品に笑った。  女性はわたし達の様子を見守りながら仕事を再開した。箒を持って落ち葉をはいている。そして石碑は多少の経年劣化はあるものの、蜘蛛の巣などが張っている様子もなかった。ろうそくも新しく見えたし、その隣にはワンカップ酒がお供えされていた。毎日取り替えられているのだろう。とにかく、きちんと手入れされている場所だった。この場所は守り続けていくという強くて優しい意思を感じた。武将の生き様も魅力あふれるものだが、それを守っている人達も温かかった。とても素敵な場所だ。    同じく竹箒を持っていたと男性が、大きなカエデのような枯葉を地面から拾ってトモキに渡していた。それは落ち葉とは思えないくらいしっかりと形を残していた。まだ落ちたばかりなのだろう。男性も女性と同じ年頃に見えた。恐らく夫婦なのであろう。 「これはね、タカノツメって言うんだよ。鳥の鷹のつめに似ているからそういう名前なんだ」 その言葉に子どもたちよりもわたしと美帆の大人組が「へぇ」と感心してしまった。ここまで登ってきた坂道にたくさん見かけていたからだ。この山に多く生えている木々なのだろう。  しかし、そんな親切な男性の言葉をトモキ自身は恐らく半分も理解していない。大きな葉っぱに男性の声も聞こえず夢中な様子だった。そして、それを見て「ゆづくんもほしい!!」と、駄々をこね出す長男。慌てた男性が別のタカノツメを拾って来ると、今度は女性は「こっちの方が綺麗だからこっちの方が良いわよ」とユヅルに手渡していた。すると、たちまち笑顔になって葉っぱを触り始める。その様子に和んだかのか、夫婦はずっと笑顔で見守ってくれていた。 「今日、めちゃくちゃ楽しかったわ。連れてきてくれて本当にありがとう」 「いやいや、私も楽しかった。特に最後がな。気持ちが浄化された」 「わかる。めっちゃ手入れされていたし、あそこだけ空気が澄んでた」 「夫婦もすごくよくしてくれたしな」 車の後部座席では、ユヅルとトモキがタカノツメの葉をずっと眺めていた。 「武将の足あとを追って、まさかあんな素敵な場所に辿り着くとはな」 「もしかしたらさ、途中の道にだけ足あとがあったじゃん。昨日は雨降ってたんだから、入り口から足あとがあってもよかったはずなのに。お導きだったのかもね」 (了)
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