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「みやこ先生、書けたよ、見て?」
「どれどれ?」
茉奈ちゃんが、ノートを持ってきて私に見せた。並んでいるのは、覚えたての5歳の子どもの手による、拙いひらがな。大学生になりたての私が『先生』だなんてちょっとくすぐったい気がするけれど、でも、心がほんわり温かくなる。
***
茉奈ちゃんの家は、昨年お父さんを事故で亡くしてから母子家庭になった。専業主婦だった茉奈ちゃんのお母さんはそのショックから1年弱で立ち直ってフルタイムの仕事に就いたそうだ。そして、今日のように帰りが遅くなる日には、茉奈ちゃんのために子守り兼家庭教師のアルバイトを家に呼んでいた。
「あんた、大学は休みが多くて暇なんでしょ? 行ってあげてよ」
人助けと思ってさ、母にそう言われて、母の友人のそのまた友人という遠い関わりのこの家にやって来ることになったのは、冬のはじめごろ。このバイトも今日でもう4度目で、茉奈ちゃんは少しずつ打ち解けてくれていた。
お父さん子だった茉奈ちゃんは、事故の後ずっとひどく落ち込んだけれど、最近ようやく少しずつ元気になってきたのだそうで。
お母さんは、バイトの初日に私の手をしっかりと握って言った。
「茉奈を家に独り残すのが、どうしても心配なんです。よろしくお願いします」
***
「えーと?
『おとうさんのあしあとがとおくからわかって、わたしはうれしくなりました』。うん、よく書けているわ、茉奈ちゃん、すごいねえ!」
「えへへ」
「でもさ、足あとじゃなくて、足おとじゃないかしらね?」
あ と お って、似ているものね、そう言いながら、ノートに赤ペンで、あ と お を並べて書き込んでみる。いつものように笑って、あ、そっかぁ、と言うかと思った茉奈ちゃんは、不思議そうにその赤字を見つめてから、顔を上げて言った。
「足おとって、見える?」
「え? ううん、見えないと思う。聴こえるけれど」
「じゃあ、足あとで、よくない?」
「どういうこと?」
話が見えない、そう思って聞き返すと、茉奈ちゃんはぱっとノートを閉じて、首を横に振った。
「ううん、何でもない」
「…そう」
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