守屋たな子に捧ぐ

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守屋たな子に捧ぐ

『……県の公立高校の男性教諭が女生徒と肉体関係を持っていたことが明らかになり、教育委員会は明日、説明会を開くと……』 ◇◇◇  とある仲秋の土曜日。時刻は十六時。  部活動のために登校していた生徒達も帰路につき始めていた頃だった。  職員室に残っていた教頭の坂江(さかえ)、保険体育担当の真白(ましろ)、生物担当の合塚(あいづか)らも、それぞれ顧問を務めていた部の生徒達と解散し、帰り支度をしている最中であった。 「休みの日にまで仕事とは、何とも休まりませんなぁ」 「真白先生は授業でも部活でも体を動かしていますから尚更でしょうな。今年で四十四、四十五歳でしたっけ? 五十近いのによく教え子と一緒に走り続けられますね」 「ハッハッ! 日頃から運動してればこんなもんですよ! 慣れですよ、慣れ! 教頭もジョギングから始めてみられたらどうですか? 毎日三十分、出勤前に行うだけでも体が締まりますよ」 「いやぁ、学校来る前に三十分も走ったら私なんてもう……授業できなくなっちゃいますよ。やるなら食生活の改善からですな」  坂江と真白は掲示板の前で和やかに談笑していた。  ”運動部、大会多し!”、”文化部コンテスト、作品提出期限チェック”、”★文化発表会★”……など。日付とともに白や黄色のチョークで書き殴られた予定の数々は、教員達の日々の忙しさを感じさせる。  中年の体型の話で盛り上がりを見せる二人をよそに、合塚は色付きリップをサッと塗ってポケットに仕舞うと、椅子から立ち上がり、挨拶もなしに一人職員室を出ようとしていた。  ちょうど合塚が引き戸の取っ手に手を掛けた時だった。曇りガラスの先に映る影を確認していなかった合塚は、向こうから勢いよく入室してきた人物と衝突し、尻餅をついた上に覆い被さられた。 「いっ……たぁ〜〜!! ちょっと、香嶋(かしま)先生!! あなたねぇっ、危ないじゃないですか!! 子供みたいに急に入ってきて!! いい大人がみっともない!!」 「ああああっ、すいませんっ!! いやっ、つかヤバいんです!! ヤバいヤバいヤバいっ、こっから逃げないとっ!!」 「はぁ? ちょっ……!」  飛び退くように合塚から離れた年若い男性体育教諭……香嶋は、床に尻をつけたままの合塚の腕を掴んで引っ張り、部屋の中心へとなだれ込んだ。  しきりに”ヤバいヤバい”、と若者言葉を乱発する香嶋に、教員歴でも担当科目でも先輩である真白が怪訝な顔で声を掛けた。 「香嶋、耳から血が出てるぞ。何があったか落ち着いて話せ」 「血ぃ……? ぁっ……こ、これですよ! オレ、さっき部活終わってっ、片付けも済まして帰ろうとしたら変な足跡に追われてっ……!」 「足跡?」  話が見えず、慌てる香嶋以外の全員が顔をしかめる。  香嶋自身も説明したい内容が今ひとつ分かっていないのか、身振り手振りで起こったことを伝える。 「だから、いるんですよ! オレを追って来てるんです!! 最初はオレも変だなって思って、ああ、足跡しかないんですよぉ! そいつ体がなくて! じっと見てたらオレの真ん前まで来てっ、ちょっとビビって逃げたら急に耳の後ろ切れてっ!! 多分、あいつに追いつかれたら攻撃されるんですよぉ!!」 「何を訳の分からんことを……」  常々、教師という職に就きながら砕けた言葉を使う香嶋をよく思っていなかった真白は、溜息を吐いて腕を組み、威圧感を与えた。  坂江と合塚がもっと明確な説明を要求すると、香嶋は涙に潤む目を真白に向け、職員室の出入り口を指差した。 「じゃあ、真白先生! 外を見てきてくださいよ! 足跡があるはずですから!」 「はぁ……香嶋ぁ。昨日の夜にホラー映画でも観たか? いい歳した男が、それも体育教師がオバケなんて怖がりやがって……」 「いいから見てきてくださいよぉ!!」  駄々っ子のように叫ぶ香嶋に促されるまま、ガラガラッ、と引き戸を開けた真白の視線の先には、確かに足跡があった。  濃赤(こきあか)色の塗料を踏んだような、ネットリとした嫌な色の足跡……その形は、内履きの裏側の跡とそっくりだった。  そして、これまた香嶋の言う通り、足跡だけで本体である人間がいない。影すら見つからないので、真白は生徒の悪質なイタズラかと眉をひそめ、顔を少しだけ戸の外に出して廊下を覗いた。  すると、ヒュンッと真白の耳に、ある音が聞こえた。  何かを勢いよく振った音だ。そう考えている間にじわじわと、しかし急激に、真白の右肩に激痛が走った。  血だ。ゆっくりと紺色のジャージが(にじ)んでゆく。  真白は反射的に後ろに倒れ、肩を押さえながら這うように坂江達がいる部屋の中心へと逃げた。 「いっ、でででぇえええ!? ハッ、アッ!? 香嶋ぁ!! ほ、本当の話じゃないかああああ!?」 「だから言ったじゃないですかぁ!! クッソ、なんなんだよ……あいつ……!」 「真白先生っ、とりあえず手当て手当て!! 合塚先生っ、救急箱取ってきて!!」 「……え? あ、はいっ」  合塚は突飛な状況に呆然としながらも、坂江の指示に従って赤い十字マークの入った木の箱を備品棚から取り出した。  意味があるのかは不明だが、坂江はとにかく危険な出入り口から距離を取ろうと、(うめ)く真白を自分達が固まっていた場所まで引きずって移動させた。  合塚から受け取った救急箱をそばに置き、真白の上着を脱がせて負傷箇所を確認する。肩には幅二センチ程度の穴が空いていた。血の出具合から見るに、何かしらの刃物を深々と刺されたのは間違いない。  消毒綿を当て、包帯を強く巻いて止血していると、背後で様子を(うかが)っていた合塚が悲鳴を上げた。 「いまっ、さっきまで明るかったのに……! まだ十六時過ぎなのにっ、もう真夜中みたいに真っ暗……!」 「……いくら秋だからって、こんなに夜が近いはずない。あの足跡のせいなのか……?」  震えながら、自分で耳の消毒をしている香嶋も同調する。  それからしばらく。やっとのことで応急処置を終えた坂江と、未だ痛みに呻く真白も交え、四人はこの不可思議な状況について話し合うことにした。  まず分かったことは、全員漏れなく攻撃されるということだ。  もしかしたら坂江と合塚は難を逃れられるのではと、不本意ながらも一人ずつ引き戸を開けてみたが結果は同じだった。真白の例があるので手だけ控え気味に差し出して検証したため軽傷で済んだが、そうなるといよいよ謎が深まるばかりだ。 「皆さん……まず、冷静に……四人の共通点を探してみましょう。それが分かれば、この状況を打破できるかも」  最年長かつ役職が一番上の坂江が差し当たっての提案をすると、皆一様に頭を傾げた。 「共通点と言われても……年齢はバラバラですよね。誕生月も違うし、血液型とか? わたしはA型ですけど」 「オレABです」 「……俺はOだ」 「私はAです。う~ん……血液型ではなさそうですね」  坂江が顎髭を触りながら、あれでもないこれでもないと思考を巡らせていると、合塚が”あっ”と声を漏らした。 「分かりました、共通点」 「えっ、本当ですか?」 「この学校に異動になった年ですよ。わたしと真白先生と教頭先生。三人とも三年前に、この学校に異動してきてます」  名前の上がった二人は、彼女と同じように”あっ”と声を漏らし、合塚を見つめた。 「確かにそうですね。私達、同じ年に来てます」 「でも、そしたらコイツはどうなるんです」  坂江の同意に続かず、真白は左手で小さく香嶋を指差した。  香嶋は”あ~……”と、無気力な声を出して言った。 「オレ、三年前にここに配属されたんです。新任で」 「じゃあ、本当にこれかも……?」 「でも、だからどうしたって話ですよ。三年前に何かあったなんてこと……あっ」 「ありましたね、事件……」  四人はある凄惨な事件を思い出した。  特に当事者である香嶋は、みるみるうちに顔が青くなっていく。  それは、三年前。ある女生徒が体調が悪いと言って授業を抜け出し、女子トイレで自分の首にカッターを突き刺したというショッキングな事件だった。その女生徒というのが一時期、香嶋にベッタリと依存していた問題児・守屋たな子だったのである。  新任として張り切っていた香嶋は、友達がいないという守屋の面倒をよく見ていた。そのうちに彼女は香嶋を教師としてではなく、一人の男性として見るようになってしまった。  どれだけ(さと)しても言うことを聞かず、ある日たまらず強い口調で注意してしまい、翌週に守屋は首を切った……。 「じゃあ、こっ、これ……守屋たな子の仕業ってこと、なんですかぁ……?」 「おいおい……俺がやられるところ見てただろうが。あんなの人間わざじゃねぇよ。お前だって、何もない場所でいきなり切られたんだろ?」 「そうですけど……でも、だったら……」  真白が突っ込むと、香嶋は一層情けなく眉尻を下げてうつむいた。  着任早々に起こった守屋の事件については、誰も喜んで蒸し返しはしない。場の空気が凍りつき、しばらく間があくと校内スピーカーから”ガガッ”とノイズが流れ、ある女性の声が放送された。 ―― ねぇ、本当なの? 三年前の問題児……リョーくんが遊んだ子だって話…… ―― 「……は?」  それは、間違いなく合塚の声だった。  坂江と真白が驚きの表情で合塚を見つめると、彼女は目を白黒させてスピーカーを見上げていた。 「今の……合塚先生の声、ですよね……?」 「わ、わたしじゃないっ、わたし知らないっ!!」 「……リョーくんって、まさか」  坂江の言及に、合塚はヒステリックに目を剥いて叫んだ。  その隣で真白は、終始顔を伏せている男に視線を送る。  ……と、ここでまたスピーカーから音声が流れる。 ―― ん〜、何かさぁ、卒業したら結婚してくれってうるさくってさぁ。ちょっと優しくして遊んだだけなのに、本気にされても困るっていうか……あっ、サッちゃんは本気だかんね? ははっ。……まぁ、色々言い合いになって、喧嘩した次の週にトイレで首切ったってわけ……どう? ヤッベェ女でしょ? 一命は取り留めたけど、”身も心も療養するため”ってことで自主退学になってさぁ……あん時は俺も新任だったし、いい迷惑だったよ…… ―― ―― リョーくんってば優しいから、みんな勘違いしちゃうのよ! 子供って精神的に不安定だし尚更よねぇ。わたしは大人だからリョーくんの女癖の悪さも水に流してあげるけど、これからは浮気はダメだよ? ……ねぇ、今日もウチ寄ってって? 昔のことなんて忘れさせてあげる…… ――  合塚と会話している男……間違いなく、香嶋の声だった。  気まずそうに体を縮こませる男女を交互に見つめ、坂江はダメ押しの指摘を決める。 「確か、合塚先生の下の名前って……”さや”、でしたよね。香嶋先生は”りょう”……」 「お、お前らああああ!!!!」  わなわなと真白が震えながら()えると、香嶋と合塚は”ヒィッ!”と、悲鳴を上げて抱き合った。 「香嶋ぁ!! お前のせいで、俺達はこんな状態になってるってことかあ!?」 「ちっ、ちがっ!! 俺じゃないっす、俺の声じゃないですっ!! お、俺はあのイカレ女の被害者でっ、合塚先生とはっ……そ、そもそも合塚先生と俺じゃ十個近く年が離れてるんですよぉ!? おっ、俺って年上に興味ないんで!! この会話は無効!!」 「ハァ!? ちょっとリョーくんっ、何それ!? 私のこと無効にしないでよぉー!!」 「ばっ……! いま反応するなってっ!!」  顔を見合わせて子供のようなやり取りをする二人に……というか、この状況に、坂江はただポカンと口を開け唖然としていた。 「だだだ、誰かがオレをハメようとしてんだぁーーーー!! 誰だよぉ!? こんなことしてっ、訴えてやるからなぁーーーー!?」 「訴えられんのはお前だ!! お前が生徒に手を出さなきゃ、こんなことには――」 ―― おい、守屋。香嶋と付き合ってるんだって? いいのかなぁ、教師と生徒がそんな関係…… ――  またもやスピーカーから流れた声……それは、たった今、香嶋を怒鳴り散らしている最中の真白のものだった。  怒りで真っ赤になった顔は一気に血の気が引き、金魚のように口をパクパクと開閉させながらスピーカーを見上げている。  坂江はこの場において唯一の味方だと思っていた真白に、そんなはずないと(すが)るような目を向けた。 「……ち」 「真白先生、あなた」 「違ぁぁああうううう!!!! やめろおおおおおお!!!!」 ―― ほれ、教育指導だ。そこに座れ。年頃の女には、己の体の大切さを思い知らせてやらんとな…… ――  真白の静止をかき消すように、スピーカーはボリュームを上げて下劣な音声を部屋いっぱいに響かせた。途切れることなく、彼のおぞましい台詞の数々が流れ……坂江は耐え切れず、両手で耳を塞いだ。香嶋と合塚は、お返しとばかりに真白を(ののし)った。 「信じられないっ!! よく他人のこと責められたもんね!?」 「ああ、その通り!! よくも俺のこと責められたもんだなぁ!? あんたのやったことの方がずっと最低じゃないか!!」 「うるせえ!! 先に手ぇ出してんのはテメェだろ!! 俺は猿教師に捨てられて傷心した生徒を慰めようとしただけだ!!」 「慰める!? 脅したくせに、よくそんなことが言えるわね!? きっとこれは守屋たな子の怨念よ!! 生霊よ!! 真白先生に復讐しようとしているんだわ!!」 「お、俺だけじゃないだろ!! ここにいる全員にあいつは――」 ―― 恥ずかしいったらありゃせん……あんな事件起こして、その上、自殺だと!? 次からどんな顔して職場に行けと言うんだ! 全く、肩身が狭くてたまらんわ! お前の育て方が悪かったから、あいつはあんな軟弱者になったんだ! ―― ―― あんまりよ! 私だってパートで働きながら必死だったのに! 毎日飲んで帰ってきて、あなたが小さい頃から遊んであげてればたな子だって、少しくらい明るくなってたはずよ! ――  喧騒は、さらに登場した別の男女の声で一時静まった。  覚えのない声だが、誰の声かは分かる。  ”育て方”、”たな子”……守屋たな子の両親だ。  騒いでいた三人は、流れる守屋夫婦のいさかいに誰からともなく落胆する。 「死んだ……? 守屋が……?」 「やっぱり、これは復讐なのか……?」 「…… っなんで、わ、わたし関係ないのにっ!! なんで巻き込まれなきゃいけないのよぉ!?」 「お、オレだって悪くない!!」 「馬鹿っ、香嶋は悪いだろ!! お前がたぶらかしてなきゃ、俺だってアイツに手を出さなかったんだ!!」 「真白さんはどう足掻いても責任逃れ無理でしょっ!! こん中じゃ、あんたが一番の悪だ!!」  また三人の言い合いが始まる。  スピーカーから、目の前から……守屋夫妻も同僚達も、この期に及んでまだ自らの保身に走っている。  情けない大人達を見て、坂江はやるせなさを感じた。  守屋たな子はどれだけ寂しかっただろうか。内気というだけで誰にも相手にされず、誰にも信用されず、死した後に両親にさえ(いた)まれないなど……。  坂江はまず、取っ組み合いに発展している三人に向かって声を荒げた。 「君達っ……我々は教師だぞ!! 守るべき立場の大人が寄ってたかって、こんなっ……恥を知れ!!」 「ご抗弁垂れてますけど、どうせ教頭も守屋に何かしたんでしょう!? じゃなきゃこの場に居合わせるわけがないんだ!! 自分だけ高尚ぶってないで白状したらどうなんです!?」 「私は何もやっていない!! 守屋さんのことだって、何も知らな――」  真白の反論に真っ向から否定する坂江だったが、次の瞬間、強く言い放った自分自身の言葉が頭の中で反復する。  そう、何も知らなかった。  カッターで首を刺すというショッキングな事件。いじめがなかったか校内でアンケートを取ったし、教育委員会や警察を交えての聞き取り調査も行った。連日ニュースで取り上げられ、坂江は馬車馬の如く対応に追われた。  だが、言ってしまえばそれだけだ。  思い返せば、守屋について調べたことはよく覚えている。  守屋は元々、友人のいない生徒として入学当初から悪目立ちしていた。容姿は十人並みだが、幼い頃から他人に心を開くのに時間がかかり、常に顔をうつむかせる癖を持っていた。ボソボソと呟くような喋り方も相まって、実の両親すら”難しい子”と語っていたのが印象深かった。  だから、自殺未遂の際、周囲は彼女に非があると思ってしまったのだ。  当時二十六歳だった香嶋は、歳が近いせいというだけでなく、その爽やかなルックスと態度で男女問わず生徒に人気だった。どんな生徒にも友人のように接し、どんな生徒の悩みも聞く……だから、守屋は多感な時期に親身になってくれた香嶋という教師を、一人の男として見つめてしまったのだと……”勘違いの恋”をしてしまったのだと、周囲は判断したのだ。  学校も、警察も、社会も、親でさえも、悪いのは守屋たな子だと疑わなかった。  先程の放送を聞くに、彼女は家の中でも孤独に耐えてきたのだろう。  小さい頃から一人で耐えて、ようやく話を聞いてくれる大人には弄ばれ、裏切られ……体の関係を持ったことはマズかったが、それでももう少し、行き着く先が違ってもよかったはずだ。こんな、男の食い物にされて生を終えるなど……。  坂江はテンプレ通りの調査で満足してしまったことを今更ながらに後悔した。香嶋をもっと問いただしていれば。自主退学を選ぶ前に両親を介してではなく、直接守屋と面談していれば。  ここが守屋の生み出した断罪場ならば、身内の悪事に気付けなかった自分は勿論罪人であろう。同時期に勤めていた他の教員が何故この場に集められていないのかは分からないが、そんなこと今は些事(さじ)だ。自分は裁かれる覚悟を決めたのだから。  黙りこんだ坂江に、三人の教諭はこれでもかというほど己を棚上げし、卑しく罵った。 「あんたは何やったんだよ!? 一人だけ言わないなんて卑怯ですよぉ!!」 「真面目なフリしちゃって、そういうのが一番悪質だと思いますわ!!」 「ほらほら早く言っちまってくださいよおおおお!! アンタも淫行かああああ!?」  あぁ、手本となるべき教師が……何故こんな……。  坂江は深呼吸してから、落ち着いた口調でスピーカーと向かい合った。 「守屋さん。あの時に真相にたどり着けなかったこと……謝っても許されることじゃないのは分かってます。でも……すみませんでした。もし元の世界に戻れるなら、私はこの事実を公表します。そして、絶対に……あなたの名誉を回復させます」  ブツッ……ブツッ……と、スピーカーから妙なノイズが流れる。  真白、香嶋、合塚は息を呑んで続きを待った。坂江も。  そして……。 ―― お願いします ――  透き通った女性の声が響くと、四人は一斉に意識を失った。  そこは西日が差してオレンジ色に染まる元の職員室だった。  ”教頭”と重く刻まれたプレートが端に置かれたデスクを前に、キャスター付きの椅子に座っていた坂江は、立ち上がって辺りを見渡した。  真白、合塚、香嶋も帰ってこれたみたいだ。各々個人の席についている。三人とも授業中に昼寝する学生のように腕を組み、その上に顔を伏せて寝ている。  坂江はふと、自身の右手が、ある物を握っていることに気が付いた。  それは、小さな黒いボイスレコーダーだった。これが何のために手の中にあるのか、坂江は分かっていた。  三人が目を覚ませば、守屋の件を公表するのを邪魔しようとするだろう。坂江はデスクの下に置いてある鞄を引っ掴み、職員室を飛び出した。  教育委員会にも連絡しなければ……揉み消されそうになれば、最悪週刊誌に持ち込むか……。  ”退職”の二文字が頭をよぎる。  定年退職まで、あと六年だったのになぁ……。  通り雨に打たれぬかるんだグラウンドに足跡を残す。坂江はズボンの裾に大きな泥跳ねを付けながら、警察署へ向かった。
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