1.はじまりのカフェラテ

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『それで、あの店にさっさとバイト決めてきたんだ』  感心しているような、呆れているような――その両方かもしれない――そんな声だ。  面接から帰ってきた(めぐむ)は、中泉にさっそく報告の電話をした。  彼とは昼前にアパートを追い出したきりだが、今夜は別の友人の家にいる。数日転々としたあと地元に帰るようだ。 『相変わらず無駄に行動力ありすぎ』 「えっ、そうか?」 『そうだろ。普段大人しいくせして。昨日いきなりここで働きたいです! て言い出したときもビビったけど。まさか採用されるとは』 「いや、だってそろそろバイト決めないとマズいし?」  バイトを決めないとマズいのは本当だ。  当面の間は、学費・家賃・光熱費に加え最低限のお小遣いも仕送りに含まれているが、それも夏休み明けまでにアルバイトを見つけるという約束のもとだ。  本当ならもっと早くに見つけたかったが、慣れない生活にいっぱいいっぱいでアルバイトを探す余裕なんてなかった。  実習で作ったお菓子は基本的に自分たちの腹の中に収まるので、飢え死にするということはないだろうが……夏が終われば、自身で稼がない限りスマホの料金すら払えなくなる。それは問題だ。 『てゆーか、メグ、彼女できたって言ってなかったっけ』  中泉の声に棘があるのは気のせいではないだろう。 「あー……、うん」と愛は曖昧に頷いた。  夏休みに入る直前、同じクラスの女子に告白された。  実習班が同じで、普段から仲良くしている子だった。  とはいえ、男子生徒は愛を含めてクラスにたった五人しかおらず、四人いる実習班のメンバーは愛以外全員女子だ。進学してまだ数か月だが、クラス仲は悪くなく、大体の女子とは親しくしていると言っていい。  お金がないことを理由に、デートらしいデートもまだしていなかった。学校から駅までの数分の道のりを、手も繋がず歩いたことも〝デート〟に含むのならば別だが。  いっしょに遊びに行ったと言えるのはまだ付き合う前、クラスのメンバー何人かで一度映画に行っただけだ。 「僻むなよ」  冗談めかして言えば『うるせー、僻んでねえ』と噛みつかれた。  せめて情報システムやデザイン系の科なら女子もいただろうが、彼は電気電子工学科だ。残念。 『つーか、浮気だよ浮気。付き合って早々に。なんつー男だよ、お前ってやつは』 「浮気じゃないでしょ。別に俺、男の人と……なんていうか、そういうことがシたいってわけじゃないよ。たしかに一目惚れに近い感じだけど、大人の男の人への憧れっていうか?」 『まあ、ふたりっきりの店で、バイトに手出すような経営者はいないと思うけどさ』 「いや、その心配は変だろ。そんなこと、端から心配してないって」  見当違いな中泉の心配に、愛は苦笑いを浮かべた。 「とにかく、密かにときめいていられれば俺は十分なの」  昔から、恋愛のハラハラドキドキが少し苦手だった。  相手の目に、自分はどう映っているのだろう、どう思われるだろう。今の発言、変じゃなかっただろうか。挙動は? 不審じゃなかっただろうか――……。  そんな心配が絶えずつきまとって、心臓に悪い。いてもたってもいられないもどかしさが、どうにもいたたまれない。耐えられない。  しかし密かに憧れを抱いているだけの今はどうだろう。  それは、スルメをじっくり噛み締めている感じに似ている。  ふたりの関係が進展する心配をしなくてもいい。進展しない心配もしなくていい。 ------------------ 試し読みは以上です。 続きはkindle版でお楽しみください。
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