一章 中村 出会い編

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一章 中村 出会い編

パッ 近頃の世の中は非常に便利になって来ている。 スマホ一つでメッセージを容易に送れるし、動画 音楽を楽しめるし、態々買い物に行かなくたってゲームを楽しめる。 男は覚束無い手つきでスマホを操作する。 「えーっと これをインストールしてと あーまた店長からLINE来ちゃった。」 いちいち開かなくても内容は把握済み 店長のLINEは突然の出番という暗黙の了解の方程式が仕上がっている。 申し訳ないです 今日は体調が悪くて出勤できない状態なんです。 そんな嘘など通じるはずもない。 「分かりました 今すぐ行きます。」 昂る苛立ちを自分なりに制御し 急ぎでゲームショップ店へ向かう。 ギラギラに照り付ける太陽に体力を奪われ、 やがて日向で足を止めた。 額から滲み出る汗がTシャツにまで染み込み シャワー上がりの様に冷たく濡らす。 定時まで残り十分 遅刻など以ての外である。 いつものんびりと歩いている道がこの日ばかりは単なる拷問に過ぎなかった。 視線の先にはゲームショップ タイムリミットは残り五分 いつも通り歩いていても間に合う距離であった。 ここで無情の信号待ち 息を荒らげながら獣のような目で信号を睨み続ける。 走ることさえ忘れ 青信号になるその瞬間だけに一点集中する。 しかし信号は彼の意思を無視するかのように赤く光ったまま タイムリミットは三分 道路は渋滞から開放された自動車で埋め尽くされている。 信号無視という算段は選択肢から消えた。 消えたと言うより初めから選択肢に無かった。 彼ほど真摯でルール違反を嫌う男はいないほど、真面目で溢れいている。 そんな男が感情をコントロール出来ずに信号無視するなど有り得ない話 彼は必死に怒りを堪えてひたすら信号を待ち続けた。 そして信号が切り替わったその瞬間 スタートダッシュを切るかのように直向きに全力疾走をする。 周りに人がいようと 直射日光に当たろうとも今の彼には全く問題にならない話。 残り三十秒 汗まみれの顔を光らせながら入店する。 体が疲弊し始めたのはまさにこの瞬間からだった。 「中村君 ごめんね突然呼び出しちゃって、疲れたでしょう? 裏でゆっくり休んでいいから 回復したらレジお願いするね。 それまで俺と田中くんやってるから。」 店長の長谷川 竜也 先輩であり 中村が一番慕っている良き理解者でもある。 新人の頃から 一つ一つの作業を事細かく説明してくれたまさに育ての親とも言える存在でもあった。 「おはようございます。 たっつんさん わかりました。 そうさせていただきます。」 ロッカー裏には廃棄品がずらりと並べられていた。 中古のゲームソフトに三十年もう残り続けた玩具 コレクターしか集めないようなフィギィアに ファミコンのカセットだって残っている。 敷設されたファミコンでゲームプレイしながら時間を潰す これが中村の暇つぶしであり楽しみであった。 「久しぶりにシューティングやるか」 「銃撃連戦」 響きがいいのはタイトルだけ ユーザーからは有名なクソゲーと評されるほど思わせぶりなカセット 早速セットすると唐突にゲームがスタート 開始五秒で被弾 ゲームオーバー コンティニューを押してもまた同じようにやられてしまう。 一分間でクソゲーと呼ばれる所以を理解した。 真面にステージを突破しても タイトルのような連戦スリルなど体感できやしない。 ところが 引き続きプレイしていくうちに闇に引き込まれていき、コントローラーを動かす手を緩ませることは無い、むしろ映像の羅列を楽しんでいる姿へと変貌する。 「おーい まだかなー?」 呼び出しを受けて 初めてゲームの世界へとのめり込んでいることに気づく、 「あー それやってたの? 俺もハマるのわかるなぁー」 「たっつんさんもハマってたんですか?」 「ハマるも何も今もなおやってるゲームのひとつだよ! 最初は直ぐにやられるし、アクションも楽しめないからタイトル詐欺じゃないの?って疑問に思ったけど、やっぱりゲームって凄いね。いつの間にか全クリ目指そうって思い始めて今も休憩中にやってるさ。 ほら、昔のゲームとかってコンティニューあんまりないじゃん? このゲーム五十ステージをライフ三つでクリアしないとダメなんだよね。 だから二年プレイしても全クリできないんだ。 あはは、喋りすぎちゃった。 じゃあ レジよろしくお願いします。」 「お願いします。」 淡々と席に着く店長を羨望の眼差しで見つめる。 「中村さんいつまで遊んでたんですかぁ。」 高校生バイトの田中 美咲が中村を待ち侘びていたかのように見つめる。 「あーごめん つい遊んじゃって」 「モー中村さんはいつもそう ゲームにハマっちゃうとずっとやっちゃうんだから。 ってことで遅かった罰としてジュース奢ってくださいね。」 「ちょ ちょっと.」 キラキラした美女の目でみつめられるともう断れない状況に陥ってしまう。 男の単純さと弱さを恨みながら中村は頭を振る。 幼稚園児のように喜ぶ美咲を見ると、また買ってあげようという父親のような衝動に駆られてしまいそうになる。 そしてつい一分前の落胆もいつの間にか消え去る。 女性の笑顔のパワーならどんなストレスでも解消できる。 美咲といるといつも平和思考になってしまう自分が不思議で仕方がなかった。 「いらっしゃいませー」 世間では夏休みシーズンで繁忙期を覚悟していた思惑は見事に外れ、客足は疎ら 美咲と話す欲求を募らせていくが、下心を疑われたら人たまりも無い。 忙しいと時間が早く終わる店長のボヤキが頭を過る。 この日ほど暇で時の流れが遅いと感じることは後にも先にも無いとはらわたを煮え繰り返していくものの、願いも虚しく人足が見える気配すら感じられない。 一人会計を済ませると、店内に客はいなくなる。 新曲BGMの音がこれほどにもはっきりと聞こえるとは夢にまで思ってもいなかった。 「このゲーム欲しいーママ買ってー。」 幼稚園児か入学を控えた年齢の子が母の手を引っ張りながら懸命にゲームを強請る(ねだる)光景を微笑ましく見つめている昔の自分へ戻りたい。 一方の美咲は怠さ全開で掃除をしている。 モップでリズムを刻み、口笛で新曲を奏でる。 案の定 床は埃が散乱し水浸し ただ苦笑いを浮かべるしかない。 「トイレ掃除行ってきます。」 「あっ 俺やるよ。」 「いや大丈夫ですよ 中村さんがトイレ掃除苦手な事知ってますからレジやっててください。 混んだらお願いしますね。」 颯爽とトイレへ入ることを確認すると同時に床を入念に吹く。 新品の雑巾が黒く染まり 新しく汲み直した 水の中には埃が浮いている。 完全なる手抜き作業に大きく溜息をつく中村 じっくりと埃に塗れたバケツの水を見つめると、トイレからの歌声が耳に入る。 自動車が空の駐車場に目を向け今だと言わんばかりにトイレで耳を澄ます。 コンサートのような甘美な歌声でクラシックを口遊んでいる。 ベートーヴェン モーツァルト バッハ シューベルト.... ウィーン少年合唱団の歌声と酷似していた。 扉の向こうのコンサートに自然と引き込まれ中村の疲れを癒していく。 色んなレパートリーが聞きたい。 仕事を忘れ女性アーティストのアンコールを願っている。 「すいませーん。」 店内に響く幼い子の声 急に現実の世界へと引きずり込まれた中村は全力疾走でレジへと向かう。 「遅くなってごめんね こちら一点で千二百円になります。 一人で買い物しに来たの?」 少年は頷きもせず 古びたズボンのポケットから大量の小銭を出す。 少年の顔は無表情で冷酷な目付きをしていた。 少しずつ小銭を数えていく。 しかし明らかに不足していた、十円や二十円ではなく五百円以上は足りていない。 依然として変わらない少年の表情に中村も不気味に見つめるしか無かった。 「早くしてください。」 「ごめんね ちょっとお金足りないね。」 「どこが? ちゃんと数えてないでしょ? そうやって多く取るつもりなんだろ? 大人っていっつもそうだな!」 憤慨することも、 感情を吹き出すことも無く淡々と皮肉めいた発言を繰り返す少年 それでも表情は一切変わることは無い。 「ごめんね、お兄ちゃんちゃんと数えたよ。 でも僕ねちょっと少ないんだ。」 「分かったよ もういいよ。」 強引に商品を取り出し元の場所へ戻る。 思えば最初から少年の態度はふてぶてしく冷酷で無感情であった。 優しく宥めた自分が馬鹿だった、中村が後悔するほどの態度の悪さ しかしこの少年から只者ではない雰囲気を感じ取っていた。 子供にしては天真爛漫の欠片も無く コレクターが収集するであろう大正時代のブリキのおもちゃを購入しようともしていた。 じっと少年を観察し正体を露わにしてやるという根性で満ち溢れていた。 しかしずっとポーカーフェイスを貫き、玩具コーナーをじっと見つめている。 最新ゲーム機には一切目も触れずに するとまた少年がレジへと近づいてきた、それも詰問するかのように無表情で中村に詰め寄る。 「いま じっと俺の事見てたでしょ。 そんなお金が無い俺をバカにしたいのか?」 「そ、そんな事ないよ。 ただ店内を見回たしてただけだよ、ほらちゃんと物が正しいところに置かれてないとお兄ちゃん困るからね。」 表面上では余裕を見せる中村 なんで分かるんだよ! 内心は少年に対する疑心と恐怖で埋め尽くされている。 確かに少年の目線はおもちゃしか無かったはず なのに見られていることを悟っている。 目を逸らしたのか? それも有り得ない 感覚を研ぎ澄まし少年を監視し続けたのだから 逸らしてなどいない。 それなのに、少年は中村の目の前で問い詰めている。 なんの証拠もないのに発言は図星 そんな少年を目の前にして動揺しない者など存在するはずがない。 少年が北叟笑む。 「お兄さん 今嘘ついたよね? 僕分かるんだ。 絶対にじっと見てるはずだよ。」 驚愕以外の感情が浮かばない中村 彼なりにポーカーフェイスを貫いているはずなのに 小さいメンタリストに何もかも見透かされてしまう。 もう何を隠してもバレてしまう。中村はあっさりと負けを認める。 「どうして こんなに考えていることが分かるの? 何か勉強してたりするの?」 少年はムスッと冷笑いをしながら中村の顔を凝視する。 「別に勉強なんかしてない。 でもお兄さんわかりやす過ぎるよ 嘘ついた時一瞬で顔に出てたもん。」 「そうなんだ..」 唖然とするしか無かった。 客が来店することを願った。 しかしそんな願いも虚しく 店内は少年の独壇場と化している。 何を話していいか分からない。 分かるのはこの少年が只者では無いオーラを放っていることだけ。 少年も一向にレジから立ち去ろうとしない。 冷ややかな目で見つめている。 そんな冷ややかさが異常に不気味で、恐怖を植え付けられる。 何も危害を加えることは無いのに 危険な雰囲気を醸し出す。 中村の脳は少年によって支配されていた。 「ねぇ 誰か待ってたりするの?」 「誰も待ってやいないさ。 ただここでおもちゃを買おうとしただけ」 「ごめんね 何回も言うけどお金が足りないから買うことが出来ないの」 「そんなの知ってるよ。 でもここから離れないから。」 「どうして 他の人にも迷惑かかっちゃうよ? だからお家に帰ってお金もらってまた来て欲しいなぁ。」 ウィーン 「おー 康介 ここにいたのか! 探してたんだぞ! すいません うちの倅がご迷惑をお掛けして ほら行くぞ!」 父親と思わしき人物が康介という少年の手を引っ張りあげようとする。 少年は抵抗するようにカウンターにしがみつく、何も言わないのに何かを訴えかけているような苦しみの表情を浮かべている、そして中村に対し手を差し出していく。 咄嗟に手を差し伸べるが 遂にカウンターの手が離れやがて店内に客は一人もいなくなってしまった。 父親の腕には高級腕時計 スーツも革靴もソックスでさえもブランドで統一されている。 いかにもお金持ちをアピールした風貌 無理やりフェラーリに乗り込み 運転手も秘書らしき人物が運転をしている。 フェラーリは轟音を上げて 街中を走り抜けていく。 「セレブの子が感情をずっと見せずに父親に対して激しい憎悪を抱く。 それに加えて千五百円にも満たない玩具すら買うことが出来ない....」 少年の行動は何もかも謎であった。 普通の人間以上に辛苦に満ち溢れている少年に疑問を持たざるを得ない。 父親に秘密が? 家庭状況の悪化? 中村はシャーロック・ホームズになりきったかのように推論を重ねていく。 しかし考えれば考えるほど深みにハマっていき、やがて迷宮へと誘われる。 誰も来店しないのが幸か不幸か、レジでじっと立ち尽くしている。 トイレで聞いたハーモニーを他所目にじっとじっと推理を展開する。 「中村さん 終わりました! チェックお願いします。」 ..... 「中村さん 聞こえてます? チェックお願いします!」 「あ、あぁ ごめん 今チェックするから。」 「先輩珍しいですね 何考え事してるんですか?」 「う、ううん 何もしてないよ。」 「あぁ 絶対嘘だぁ 先輩ってわかりやすいんだから! 何か悩みでもあったら私にでも相談してください!」 「おう お心遣い感謝するよ。 じゃあチェックしてるからその間レジお願いね。」 「分かりやすいかぁ...」 鏡の向こうのじっと見つめ表情を浮かべても自分では違和感が見つかる事が無い。 どの角度から見ても普通の表情 なのに直ぐに隠し事がバレてしまう。 鏡の中の自分と現実での自分 主観的に見た自分と客観的に見た自分 一体何の違いがあるのだろうか? 平成の哲学者は答えのない問いを抱え込み続ける。 鏡の自分は笑っている 現実の自分は真顔を維持しているつもりなのにも関わらず..... 「先輩 レジお願いします。」 振り返ればあっという間に行列が形成されていた。 閑古鳥が鳴くような時間は終わり繁忙期が突然訪れた。 ピッ ピッ ピッ ピッ ピッ ピッ ピッ..... 「いらっしゃいませー ありがとうございました! いらっしゃいませー ありがとうございました!」 再び店内に静寂が戻る。 額と背中には大量の汗 流石の美咲も息を荒らげている。 「大変でしたね 」 「急に来ちゃったね ってかもう休憩の時間じゃん 田中さん休憩いっておいで」 「はぁ はぁ では先に休憩頂きます。」 黄昏の静けさに引き攣られるかのように再び静寂な空間へと姿を変えた。 黙々と仮点検を行う。 しかし意識はあの少年に向いてばかりでただ手で小銭を移している感触さえ感じられる。 彼の脳内から少年を乖離させようと試行錯誤するが無意識のうちに現れる。 そんな悪循環が集中力をみるみるうちに奪っていく。 レジ打ちの時も 掃除の時もいつも少年は現れてしまう。 彼の身近には少年がいる。 そう錯覚させてしまうほどに..... 「先輩ーー 休憩終わりましたよー! 仮点検終わりました?」 「う、うん 仮点検終わったよ。 っていうか休憩終わるの早くない?」 「えっ そうですか? ほら あの時計 もう十五分経ってますよ。」 「あぁ ほんとだ 今日はやけに時間が経つのが早いな」 「えっ いつも通りですよ。 ってことは今日先輩何かいい事でもありましたか? よく言うじゃないですか 楽しいことがあれば時間が早く過ぎるって!」 「うーんどうかな? 俺も少し歳をとったとかそんな所かもね。 じゃあ休憩させてもらうね」 新たに中村の楽しみが出来た。 早速銃撃連戦をセットし並々ならぬ思いでコントローラーをギュッと握りしめる。 クソゲーレッテルを貼られる所以 それでも人間がクソゲーにのめり込んでしまう所以 たった三時間の間で二つの理由が同時に解明できた自分が誇り高くなる。 カチカチカチカチカチカチ 長谷川がカップラーメンを啜りながら新商品チェック業務を黙々とこなしているのを余所に中村はただ指を動かすことだけに神経を集中させている。 進めど進めどエリアは全く同じ 変化しているのは敵だけでバリエーション不足は否めない。 「また宇宙ステージかよ!」 何回も見る画面に中村はとうとう苛立ちを募らせる。 十ステージ 二十ステージ クリアを積み重ねようが容赦なく同じ画面のループが襲う。 そして遂にはレベルアップした宇宙船にやられてしまった。 呆気なく終わった。 時計を見ると休憩終了の時間を迎えた。 リベンジする気力さえ起きない。 カウンターへ戻っても客は疎らだった。 中村を見つけるやいなや美咲が駆け寄り、掃除作業へと入っていく。 「仕事をする振りをしてどうせサボる算段だろう。」 美咲の目論見を悟るだけで、仕事が舞い込むわけでない、そんな事は分かりきっている。 しかしこの日ほどやることがない日も珍しい事 美咲の気持ちも分からなくはないと自分に言い聞かせた。 店内をじっと見渡す。 スマホを見つめながらCDを探す女子高生二人 ファミコンソフトを探すレトロゲーム好きのサラリーマン そして 挙動不審を周りを見つめながら玩具コーナーに立ち尽くす小学生 「すいませーん このアーティストのCDってどこにありますか?」 「えーっと この新人アーティストコーナーっていう欄の三段目にあります。」 「あーあったありがとうございます。」 バタバタバタバタバタ 店内を颯爽と駆け抜ける足音 様子を窺っていた少年が中村の不意を突いて逃げ出した。 手にはあのブリキのおもちゃ 「田中さん レジおねがい」 すかさず中村も少年の後を追う。 少年は信号を無視するほど無我夢中に逃亡する。 「こら 待ちなさい。」 夜が深まる閑静な住宅街に怒号が響き渡る。 二百メートルを過ぎたコンビニ付近で遂に中村は少年を捕らえた。 しかし少年は今にもまた走り出しそうな抵抗で激しく中村に掴みかかる。 万引き犯の正体は間違いなく康介というお金持ちの少年であった。 しかし冷酷な面影は無く 狼のような目付きで睨み続ける。 「どうして 万引きなんかするんだ。 君 フェラーリとか乗ってたのに何故そんな真似をするんだ? お父さんに買ってもらうとかしないの?」 「フェラーリとか乗ったらお金持ちなのかよ? お父さんがお金持ちだったらなんでも買って貰えると思うのかよ!!」 パチン 悪態を着く康介に中村は平手打ちをする。 浅はかな行動だった。 無意識に手が出てしまった。 見えない憎悪が中村を襲い始めた。 「もっと叩けよ。 俺が憎いんだったらもっと叩けよ! どうせ万引きをしても反省しないクソガキとかでも思ってるんだろ!」 目の前の少年が憎い 悪人のように醜い。 なのに もう一度手を出してしまいそうで怒声を発しそうなのに、何も出来ない。 立ち尽くすだけしかできない。 康介から恐怖のオーラを感じ取った中村はじっと目を見つめることしか出来ない。 ポツリと降る天気雨が立ち尽くす二人の影に咲くマリーゴールドを濡らす。 雨の勢いが一段と増し 傘を持たないサラリーマンが濡れまいと鞄を上げながらかけ出す瞬間でも、二人は見つめ合うばかり 石化が溶けたのは雨音が弱まった頃だった。 「万引きしたらね お兄ちゃん達もそうだけどお店全体の人が困っちゃうんだよ。 君のした事は多くの人を悲しませるような事なの、だからお父さんお母さんを呼んで話さないといけないんだ。 電話番号知ってる?」 首を横に振る。携帯電話を持っていなかったらしい。 父親の名前が出る度に頑なに拒絶反応を示す。 もし所持していたとしても恐らく出ることは無いだろうと連絡を諦める。 康介を連れ、店内へ戻る。 美咲がレジで中村を待ちわびていたかのように視線を向ける。 帰りが遅いと愚痴をこぼす。 中村が康介を追いかけてから三十分近くが経っていた上に、二回目のゲームラッシュによって再び行列ができ始めていた。 幸いにもクレームにまではならなかった明らかに美咲の表情から疲弊感が浮かび上がっている。 康介には目もくれずのべつまくなしに責め立てる。 カードゲームコーナーで燥いでいた中学生達も逃げるように立ち去る。 「ごめんごめん 今度ジュース奢るからさ。」 「ジュースじゃ納得いかないです! どっか寿司でも奢って下さい。」 「そ、そんなぁあんまお金無いって。」 「それは嘘ですよね。 私より確実に貰ってますよね? 三十分間もレジをやらせたんですから、それくらいは当然ですよね?」 無茶な持論に口を閉ざし俯く中村 そんな彼を康介は侮蔑するかのように下から見つめる。 「それは違うんじゃない? お姉ちゃん そんな事でご飯を奢ってもらおうとするなんて汚い大人だね。」 口を塞ぎ笑って誤魔化した。 漸く美咲は康介の存在に気づいたものの、プライドを傷つけられたと怒りの矛先を向ける。 女子高生のプライドを舐めるんじゃないと言わんばかりに罵声を浴びせる。 「落ち着いて 落ち着いて」 宥める中村を引き止める。 「もうそんなに怒ってる時点でプライドの欠片も無いんじゃないの? っていうか僕みたいな子供を怒鳴っても意味ないし、大人気ないと思わないの?」 「こ、こいつ」 美咲の口がぴたりと止まった。 未だになにか言いたそうに口をモゴモゴさせているが、不思議と言葉を詰まらせる。 「大人って本当に狡い人ばっかりだよね 立場が弱い人には直ぐに怒ったり、否定的になったりして強がるのに 偉い人には何もしないでただゴマをスって悪いことをしても見逃しちゃう。 しかも人の痛いところを突いて当たり前かのように追い詰めて、さぞ当然かのようにものを強請ったりして まさに今のお姉ちゃんみたいだよね。」 美咲は拳を強く握る。 今にでも康介に襲いかかりそうな戦闘態勢 もし中村というバリアが無ければコテンパンにやられてしまうかもしれない。 余計な事を言うなと康介にテレパシーをかけても途中で遮られたかのように、口を動かし続ける。 「もういい!」 美咲はバックルームへと逃げ出す。 泣き声がレジ横にまで響く。 相当我慢していた。 しかし、全く少年を責め立てることは出来ない。 皮肉めいたことばかり喋るが殆どが正論に過ぎなかった。 「君たちのお父さん お母さん来ないの? 」 「多分探してると思う。 でも心配なんかしてくれないさ。 僕だって帰りたくないから。」 「どうして?」 康介は突然俯いて何も喋らなくなった。 三回目だった。 家族の話題になると必ず塞ぎ込んでしまう。 してはいけない質問をしてしまったのかと不穏な空気が漂よい康介との距離は縮まらない、糸口さえ見つける事に困窮したまま。 店先にライトが照らされることもないまま刻一刻と時間だけが進んでいる。 美咲の啜り泣きが止むこともないまま、深夜帯の松尾がやって来る。 身丈に合わない半袖のTシャツを身に纏い顔面汗だらけだが至福の表情でスポーツドリンクを一気飲みしている。 いつ泣き止むか分からない美咲の元へ慰めに行きたい中村の要望は目の前の康介によって阻まれている。 もしそのまま美咲の所へ行ったとしても追い出されることは目に見えている。 その上再び万引きをされれば松尾の怒号が待っている。 そんなダブルパンチを危惧した中村は康介の目の前で仮点検をする。 なにやら札束をじっと見つめている。今まで以上にない程目を輝かせている。 高級サファイアを見つめるように数万円しかない札を凝視している。 この子もお金には勝てないかと初めて子供ならではの可愛さを感じ取る。 硬貨をかき混ぜる音にも異常に反応している 金持ちも雀の涙程度しかない硬貨に執着していると感じ取ると同じ人間の共通意識の発見に加え富豪も庶民も同じフィールド上で存在している周知の事実を痛感した。 間もなく就業終了時間 高級フェラーリから父親が現れる。 ゴキブリを見るかのような目で露骨に嫌な表情を浮かべた。 残り2分間 ベートーヴェンの運命がかかってもおかしくないようなシチュエーション 「康介 遅くまで何をしてたんだ! 二度もご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。 さぁいくぞ!」 手を引っ張る圧力に逆らうように必死にしがみつく。 そして康介の姿はまたフェラーリの中へ消えた。 宵闇に吸い込まれていくように。 「もうあがりな。」 「すいません お疲れ様でした。」 ぶっきらぼうという愛称が最も似合うほど松尾は冷たい。 その上陳列が美しくないだの 埃が落ちているだの姑のようにいびる。 そんな細かいところはどうでもいい、あんたのせいで士気が下がってるんだよ。 と松尾の前で叫ぶ妄想をしてみるもののベテランの壁に阻まれて、はいと返事をするしか他はない。 レジ点検する松尾の背筋を鋭い目付きで見つめバックルームへと戻る。 美咲の姿はなかった。 ブランドのバッグもユニクロの私服も全て無い。 少年にばかり意識を向けていたが、思えば点検準備を終えた途端から泣き声はピタリと止まっている。 勝手に帰宅している。彼の中での答えはほぼ決まっていた。 浮かない顔でタイムカードを切り 足早に着替えを済ませる。 「レジ周り 埃溜まってたよ ちゃんと掃除しなさいよ。」 「すいません。」 うるさい。 日に日に反発心を高めていく。 業務が終了するその瞬間でさえ憂鬱な気分にさせられるから当然だろう。 今日は一段と疲れていた。 そもそも店長からLINEさえ来なければあの少年と出会うことも無かったし、美咲や松尾に苛立つことさえ無かった。 「あぁもうなんで出勤するんだよ。俺ってついてないなぁ。」 記憶が蘇れば蘇るほど虫酸が走る。 こんな夜中に人気さえあるわけが無いのになんであの少年はずっとブリキのおもちゃを抱えて待っていたのだろう。 結局辿り着くのは同じ疑問ばかりであった。 自宅へ帰宅してカップラーメンを啜る時も、風呂場でゆっくりしている時も、風呂上がりのコーヒー牛乳を一気に呷るその時も康介の事が頭からこびりついて離れない。 明日も来るのだろうか? またレジ横で立ち往生するのだろうか? そんな不安を抱きながらぐっすりと眠りについた。 しかしあの日から三ヶ月が経っても康介の姿もフェラーリも見ることは無かった。  
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