夢と金縛り

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夢と金縛り

強くありなさい。 そして周りの人たちを大切にしてあげなさい。 出来ることから始めるの。 友だちを大切にして友だちからも大切にされるような人になるのよ。 パパやママみたいにお家の外で働くようになった時にそういう事がとても大事になるの。 浩二、お前は人から愛さえるようになりなさい。  これは夢だ。ぼんやりとそう思った。母親の声をした色のついた薄影が揺れ動きながら不安定な音量で一方的にこちらに話し掛けてくる。  他県で父親と暮らしている母親の夢だ。両親とはしばらく電話すらしていない。母親は常にやる気と気合に溢れている人だったが、たまにしんみりとした顔でこういう事を言う人だった。  共働きだったから多分会社で何らかの問題が出たときに、こういう事を子どもに言って聞かせることで自分の心を穏やかさを保っていたのかもしれない。こういう妙に説教じみたことを言うときの母の顔は優しさと不安が混ざったような表情で、いつもの明るく溌剌とした表情とは随分違っていた。そして自分はそのないまぜの表情がとても苦手であまり顔を見れなかった。  そして思った。ああ、苦手だから不鮮明な影なのだ。すりガラス越しの会話のように不鮮明なのだ。  自分は夢の中でこれは夢だと気づく事は多い。そしてそういうときは金縛りに遭う。  金縛りは決して霊的な現象では無い。幽霊だとか呪いだとかが起こすものではない。体が寝ていて脳が起きている時に起きる現象だと説明されることもある。それはおかしな説明だと思う。それだとよく話題に上がる金縛り中の霊的現象への説明がつかない。  例えば金縛り中に部屋に幽霊がいるのを見ただとか、宇宙人がいるのを見ただとか、幽霊は見えないがはっきりと聞こえるように何かを言っただとか、そういったことへの説明が不十分になる。  身体が寝ているのだとしたら、何故見えたり聞こえたり触られたりするのがわかるのか。身体が寝ているのであれば単純な反射的反応しか出来ない状態下にあるはずなのに、複雑な情報をセンサーとしての身体が適切に受信出来ているのがそもそもおかしい。  金縛りとは脳も体も寝ている時に起こるリアルな夢の事だ。  実際に金縛りにあって困っている人間に、カメラを設置した部屋で監視下で寝てもらう実験をしたことがあるそうだ。そして全員が金縛りを受けている間であろうが、そうでない間であろうが、寝ている間に一度もまぶたを開けていないのだ。  しかし金縛りにあった人はこの部屋のこの場所に女の霊が立っていて、恨み言を言いながら自分を睨みつけていただのと主張した。しかし彼らは決してその目で幽霊どころか自分のいる部屋すら見ていない。なぜなら寝ている間に一度も目蓋を開けていないからだ。結局の所彼らが見ていたのは強烈な現実感を伴った夢なのだ。  だから自分が今金縛りになっているのは恐らくこの夢のせいだ。  母親のあの表情でああいったある意味説教じみたことを言われるのがとても嫌だったから。基本的には幸せそうに笑い溌剌としていた母親が、例の"あの表情"をするのがたまらなく嫌だった。  幸せな時間の流れが崩れるような予兆。穏やかな時間の背景には不幸せが土台を作っているかのような目をそらしたくなる現実。ずっと続いていたしこれからも続くであろう平凡で幸せな時間、そういったものが崩れるような気がして。
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