雪の夜

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 ベランダ側から見てリビングの向こう側である、おそらくは玄関に続く扉の先にはもう一つか二つ部屋があるらしい。 蓮は行った事も見た事もないけれど。  この広さだとこの部屋だけでワンフロアで玄関前はエレベーターとかだったりして、とは蓮でも疑ってみてる。  なんで入ってきた筈の、今居る部屋の玄関先の状況を蓮がわからないかといえば、前の部屋にいる時、突然見知らぬ人に引っ越すよと言われて、目が覚めたらこの部屋の寝室だったから。 蓮の周りではよくある話だ。  この建物の外観もベランダに出れないから蓮はよく知らない。そもそも住所だって外に見える、なんかテレビで見た事のある様な?的な鉄塔の景色から予想しただけで、ここがどこなのか蓮は知らない。  ちなみに、おそらく先は玄関だと思われる客が出入りする扉の向こう側に行く許可を蓮はもらっていない。扉に触れることも許されていない。 この部屋にきて一年。 こんな日々になってからだと三年くらいたった訳だが、ゲーム機やタブレットの中のデータと客から貰った段ボール一箱分しか蓮の生活感が無いのは相変わらずだ。  これだって明日には突然消えてしまうかもしれないが、これが今の蓮にとっての世界の全てだ。  明りもエアコンも切った室内は蓮に徐々に窓ガラスの外の様子を伝えてくれる。 今夜は客もない。  今の蓮は灰色の空から舞い出した白い雪の結晶さえ指先に触れさせることは出来ないから、時折、客が来ない日はこんな風にして外の世界へ想いを馳せる。  絶対に高いであろうスピーカーがなんとなく流していたクラシック音楽がまるで雪が降り積もるかの様に静かなアリアを奏ではじめた。 「……あ、『サヨナラの曲』」  曲がりなりにも昔は楽器を触ったことがあったから、蓮はこの曲のちゃんとした曲名を知っている。だが蓮はこの呼び方をあえて倣っている。 繊細で静かな曲とメンソールの煙草の匂いは蓮にとって結びつきの強い二つで一つの記憶だ。 そして小さな灰色の空の悲しさと、ちらりちらりと舞い始めた雪の白さは赤い華との結びつきが離れない。  窓ガラスの向こう側に舞う雪の形が変わった。雪が積もる地域に生まれ育った蓮だからわかる。これは積もる雪だ。 「降り積もる雪は……だっけ」 こんな日、蓮は吉野さんを思い出す。
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