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第五回戦、西城高校の四試合目、再び五人抜きのチャンスが来た。
相手は一回戦からフルに戦い、勝ち上がってきた高校。
今までの戦績は大将までもつれ込んでの逆転勝利が三回あると、千藤監督からアドバイスがあった。
勢いに乗せたらやり難くなる。とにかく先手を取って早めに仕掛けるように言われた。
その読みが当たったのか、三人抜きした時点ですでに相手から闘志がなくなった。
四人目を迎え、気が満ちる。
反対に相手はすっかり逃げ腰になっていた。
相手に恵まれていた、と思う。
副将に次いで大将も、二本取って勝負がついた。
「吉野、もしかして最後まで俺達遊ばせる気じゃないだろうな?」
退場し、面を外して汗を拭く俺に、安達先輩が文句を言う。
「そんな事……でも――」
「何だ? 張り合いのない相手だったんで、物足りないのか」
相模主将に本根をずばっと突かれ、心の内を読まれた気がして頬が染まった。
自分が自惚れてるみたいで、すごく恥ずかしい。
俯き、平常心、平常心と、唱えていると、
「全国規模の大会、滅多に出なかったんだろ。俺達と同じで」
白井先輩が手にしていた防具を床に下ろしながら答えた。
どうしてそんな事がわかるのか不思議に思っていると、
「お、主将みたいな事、言ってるじゃん」
安達先輩がすかさず茶々を入れて混ぜ返す。
口の悪い同級生を睨みつける副将に、疑問をぶつけてみた。すると、
「……目標が、『最終日に残る』ってのだったら?」
逆に問われ、ドキッとした。北斗と交わした約束、そのものだったせいだ。
黙ったままの俺に、白井先輩が続けた。
「自分達の調子がよくて、思いがけず勝ち進んだとする。目標をクリアした後、とんでもなく強い奴に当たったら、半分は戦意喪失すると思うぜ」
「そうかもね。常連で上位に入るのが当たり前だったり、何回も強い学校に挑戦してるところじゃないと、その気持ちの壁を破るのは難しいと思うよ」
辻先輩も白井先輩と同じように感じてたみたいだ。
「なら、西城も同じって事ですか?」
「同じになりかけてた」
「『かけてた』?」
「新人戦の時が、さっきの高校と同じ状態だったんだと思う」
隣で聞いていた主将がさらっと認めた。「だけど、俺達には矢織さんというすごい人がいてくれた」
その名前が出て、思わず納得して深く頷いた。
「新人戦で怒られて、あれから俺達なりに努力してきたつもりだ。その成果は十分にあった。昨日のミーティングで実感した」
「そうそう。あのままの俺達だったら、ベスト32にもなったら、きっと飛び上がって喜んでたぜ」
「けど、何もしないでここまで来たようなもんだよね」
辻先輩が安達先輩の顔を見て、意味深に笑う。
「まあな。満足度から言えば、全然足りない」
頷いた安達先輩が、使わなかった竹刀の柄の感触を確かめるようにギュッと強く握り締めた。
「次はいよいよ例のとこだ」
白井先輩の呟きに、安達先輩が相槌を打つ。
「ベスト16か、入りたいよな」
みんなの話を聞いていた相模主将が、俺に声を掛けてきた。
「吉野、体調はどうだ? 疲れはあるだろうが」
「万全です」
にこっと笑い、汗を拭いていたタオルをたたんだ。
さっきの試合は忘れる。今度の相手は最高に強い。
それに何と言っても地元の高校だ。応援席は全部敵になるだろう。
それくらい覚悟しておかないと、声援だけで浮き足だってしまったら勝負にもならない。
会場は人数が減って、ようやく残った高校の選手の区別ができ始めた。
場所の確保が比較的スムーズになったせいだ。
その代わり、次の試合開始までの待ち時間が急激に短くなった。
勝ち残った高校があちこちで集い、監督からの注意や指導を受ける。その人達の持っている竹刀袋に目がいった。
色々な文字、例えば『闘魂』とか、『無心』なんてものが入れてある。
それだけじゃない。頭に巻く手拭にも同じような文字が入っていて、とにかく目立つ。
県大会では気付かなかったけど、全国に出てあちこちの大きな大会に慣れていくと、自然とそういうものも真似るようになるんだろうか?
それとも、各々の高校が守り受け継いできた『伝統の言葉』みたいなものなのか。
西城は竹刀袋と防具バッグのデザインは合わせているけど、字なんか入れてない。
そんな事したらきっと高くつくんだろうな…と、せこい事を想像してしまう身の上がちょっと悲しいけど、実は西城でほっとしている。
それでなくても剣道の防具は高額だ。必要以上に金をかけたくないというのが俺の本根だ。
だから相模先輩や辻先輩のように、「彼女からの手作りだ」と言って、お守りを目印にぶら下げていたりするのが、すごく嬉しい。
たとえ「いいだろう」と自慢されても、少しも気分悪くないし、落ち込んだりもしない。何だか微笑ましくすら思えるんだ。
のんきにもそんな事を考えながら次の試合を待っていると、原田先輩と本城、久保の見学組の三人が走ってきた。
「相模、ちょっと時間あるか?」
原田先輩が早口で訊く。
何事かと、緊張が走った。
「どうした? 上で何かあったのか?」
『上』というのは二階席の事だ。
校数は減ったといっても、やっと県大会並だ。
トラブルに巻き込まれる可能性や、不慮の事故だってあるかもしれない。
主将の顔色がはっきり変わったのに気付いた原田先輩が、慌てて首と手を振った。
「あ! ワリィ、違う違う、上は大丈夫。何も問題ない。あ、吉野、五人抜きさすがだ。軽くやってくれるよな。一年なんか大騒ぎしてたぜ」
「は……」
その忙しなさに目を瞬いた。いきなりの話題転換についていけない。
それでも、危機感には全然関係ない話題を口にされ少し安心した。
問題が起きたわけじゃないとはっきり察したからだ。
「インターネットの応援メッセージ、会場の入り口でやってるだろ?」
「ああ、昨日言ってたヤツか?」
「そう」
相模主将と原田先輩は同部屋だ。昨日、そんな話が部屋の中で出たんだろう。
「さっきもう一回覗いたら、西城からメッセージが来てたんだ」
言い終わらない内に、先輩達が駆け出した。
「あ、先輩ちょっと! 防具……」
止めかけた俺の肩に手が掛けられた。振り向くと本城が、「行ってきて」と、促してくれる。
「ごめん、頼む」
それだけ言って先輩の後を追いかけた。
駆けつけた先にいたのは佐倉と、夕べ大浴場を教えてくれた稲森に明神。
西城からのメッセージを開き、待っていてくれた。
『ベスト64進出、おめでとう。野球部もどういうわけか準決勝まで辿り着いた。三年にとっては最後の大会だ、十分に楽しんで欲しい。土産話、僕達も楽しみにしている』
小野寺会長からの激励だ。それから三年の担任、俺の担任の丸山先生も、
『吉野の活躍、二ーEのみんな見守ってるぞ』
なんて寄越してくれてる。それに藤木。
『やっぱり吉野について行けばよかった。身体が二つ欲しいよ。最終日も頑張れ!』
短いけど、みんなの心がしっかりと伝わる。
嬉しくて……胸が一杯になった。
ほとんど野球の応援に出ているはずなのに、俺達にもこうやって時間を割いてメッセージをくれる人達がいる。
西城のみんなが応援してくれてる。その気持ちが力になった。
出場する選手五人の心が一つになる。
相手はインハイ福岡県大会優勝校。胸を借りるつもりでぶつかって行く。
呼びに来てくれた原田先輩と、佐倉達にも礼を言って頭を下げた相模主将が、俺達に「行こう」、と声を掛ける。
頷いて試合場に戻る俺達の後ろから、仲間がエールを送る。
振り返り軽く手を振って、昂ぶる士気を胸に歩き出した。
試合前の円陣を組み、監督からの注意を聞く先輩達の表情は、いつもに増して頼もしく見える。
「相模、お前からは何かないか? この試合が最後になるかもしれん」
初めて、監督が主将に声を掛けた。
「止めて下さいよ、監督。俺達一応勝つつもりでいるんですから」
せっかく盛り上がっていたのに、気力を失うような事を平気で口にする監督を睨んでおいて、俺達に向かった。
小さな円陣、だけどその絆は、衝突したり励まされたりして築き上げた、何物にも変え難い確かなものだ。
「辻、安達、白井、吉野、ありがとう」
いきなり頭を下げられ、面食らってしまった。
「お前らが西城にいたから、ここまで来れた。特に吉野、西城に来てくれて、ほんとにありがとう。おかげで、長年の夢だった最高の舞台で俺の剣道に終止符を打てる。こんな幸せな事ってない」
その言葉に、驚きを隠せず主将の顔を見詰めた。「吉野がいてくれるから、俺達安心して引退できる。去年の矢織先輩とは大違いだ。楽させてもらって申し訳ない」
そんな言葉で他の選手の緊張をほぐす。「だから今日、この試合は、ここにいるみんなの記憶に残る試合にしような」
「おう、今日は燃え尽きるぜ」
白井先輩の相槌に、みんなそれぞれ想いを込めて頷く。
「よし、行くぞ」
「おう!」
「はい」
バラバラな返事に、監督が吹き出した。
「おーい吉野、こんな時くらい先輩に合わせろ。力抜けるだろ」
安達先輩にからかわれ、「でも」と言い訳してみた。
「俺、まだ二年だし……」
「いいから、相手に迎合するのも大切な事だぜ」
「はぁ」
「吉野が言いにくいなら、僕達が『はい』って言えばいいんじゃないの?」
辻先輩からの妥協案に、白井先輩が思いっきり顔をしかめた。
「言えるか! 途中で思い出してみろ、試合どころじゃなくなっちまう」
「……確かに、気持ち悪いかも」
ぼそっと零した安達先輩の一言で、小さな輪の中が急に騒々しくなる。
「わかりました! 俺が『おう!』って言います」
この場を収集させる為、声を大きくして答えたら、他の四人、監督も含め五人に大笑いされた。
「似合わないな、確かに」
安達先輩に言われ、赤面して俯いた。……わかってるよ、そんな事。
「うーん、まあバラバラでもいいか」
首を捻った相模主将の一言で、問題が難なく解決した。「これが今の俺達のカラーだ」
「そうみたいだね」
にこっと笑う辻先輩の返事を受けて咳払いした主将が、再び仕切り直した。
「よし、なら気を取り直して、もう一度、行くぞ!」
「おう!」
「はい!」
まとまりはないけど、最高のチームワーク、個性的な掛け声が、試合場の隅に響いた。
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