好意への反抗

1/2
前へ
/47ページ
次へ

好意への反抗

 事の起こりは、剣道のインハイ予選(県大会)が終って、一週間後の月曜日だった。  周囲のとんでもない騒ぎが少し収まり、嵐の中の木の葉の如く振り回された俺ー吉野瑞希ーは、疲労から回復する間もなく七月末の玉竜旗大会と、インハイ全国大会に向けての練習表を千藤監督から渡され、その鬼のようなメニューを黙々とこなしていた。  外野の騒ぎを回避する為、道場に逃げていた、とも言える。  唯一救われたのは、北斗の進言でホームセンターのバイトを八月の全国大会が終るまで休ませてもらえた事だ。  同じコーナー(ギフトショップ)の店員の加西さんや橋本さんも、本心はどうあれ快く承諾してくれ、当分普通の高校生らしく部活と勉強だけに専念することになった。  身体が慣れていた分、物足りなくも感じたけど、一人暮らしのー建前上ー俺が無理をして倒れたりしたら、もっと迷惑を掛けるとわかっているから仕方ない。  その代わり授業と睡眠以外、一日のほとんどを部活に費やしていた。  時間通り同じ道を自転車で走る、変わり映えのない朝。  ただ、梅雨真っ只中らしく、夜半から明け方にかけて降った雨で、空気までが水分を含み、重い気がする。  いつもなら涼しげな大川のせせらぎも今朝は水かさが増し、濁った色をしていた。  川土手の歩道を外れ街中へ入ると、丘の中腹に西城高校が見える。  視線を戻し、何となくいつもと違う気がしてもう一度校舎を見上げると、南棟の中心より西側、C組とD組の教室の間の壁に、白く長い布が屋上の柵から垂れ下がっていた。  壁の色と似ていてはっきりしないけど、その布に書いてある文字が目に留まった瞬間、嫌な予感がして思わず急ブレーキを掛けた。  何となくだけど、カタカナで〝インターハイ〟と書いてあるように見えた気がしたんだ。  横滑りに止まった自転車、足を着き、目だけは校舎の壁に釘付けになった。  横を学生や駅に向かう会社員が追い越していく。  振り向き、邪魔だと言わんばかりじろじろ見ていく視線に我に返り、急いでペダルを踏み込んだ。  確かめたいような、二度と見たくないような……ものすごく複雑な気分で駐輪場への緩いカーブを、立ったままこいで上がる。  結局、途中では校舎を見上げる事ができず、垂れ幕が見えるぎりぎりの場所で再び足を着き、流れる汗もそのままに文字を目で追うと、 『祝・インターハイ 全国大会出場 剣道男子個人戦 県大会優勝 ―――』  眩暈を起こしそうなほど大きくカラフルな色使いで、校舎の壁の上から下までお祝いムードに溢れ返った文字が躍っていた。  下はグラウンドに隠れて見えないけど、絶対俺の名前がフルネームで、でかでかと書いてあるに決まってる。 「―――何!? あれ」  呆然と呟いて見入ること数秒。  ふるふると頭を振り、恥ずかしさに憤死しそうな胸中をぶつける為、猛然と残りの坂道を登った。  目指す目的地は南棟一階中央、職員室だ。 「先生ッ! 何であんな事するんですか!?」  跳ね返ってきそうな勢いでドアを開け、挨拶もとばして担任の元へ駆け寄った。 「おう、おはよう吉野、早いな」  飛び込んできた俺を確認した丸山先生が、「どうだ? あの垂れ幕、中々いい出来栄えだろ」  呑気な満面笑顔で、にこにこと当事者の感想を訊いてくる。その襟首を本気で締め上げたくなった。 「先生、お願いです。あれ…外して下さい」  息も切れ切れに真剣に頭を下げて頼むと、きょとんとしたまん丸目で見上げた先生が、 「無理だな」  当然、とばかりあっさり告げる。 「どうしてですか? 俺 頼んでないですよ。やっと少し落ち着いてきたのにあんな目立つ事されたら、学校生活に差し支えます!」  教師の立場を逆手に取り訴えてみたけど、俺の望みは聞き入れてもらえず、それどころかもっと仰天する事を知らされた。 「あのなぁ吉野、ひょっとしたら駅ビルの壁に下がるとこだったんだぞ」  などと、とんでもない事実を(……事実なんだ、本当に!)聞かされて、ぐうの音も出なくなった。  元々派出好きな西城市、特に市民の信頼の篤い西城高校の生徒が、たとえよその県からの進学だろうと全国大会出場をアピールしないでどうする、みたいなノリで、先週の月曜日には地元で剣道に親しんでいる自治会長が自ら接触に来たらしい。  それを学校長が、さっき俺が言ったような理由を口実に丁重に断り、その代わり街中からも見えるように校舎の南棟に掲げる事でどうにか穏便に話がついた、という事だった。  けど、そんな説明で引き下がってたまるか。 「それなら団体の準優勝だって十分立派な成績です。何でそっちはないんですか?」 「個人優勝がなかったら、そっちに用意できたかも知れんが、なにぶん予算が……」 「自治会長は?」 「全国大会出場に意味があるんだ。吉野が準優勝でもやはりあれはあっただろう」  外を目で示し視線を戻すと、「だがな」と続ける。 「納得できません」  言いかけた先生を、思い切り睨み付けていた。  個人の準優勝と団体準優勝の待遇が、全国に行けるかどうかで違ってくるなんて、全力を尽くした選手には全く関係ない事だ。  そんなものに振り回される事自体、どうかしてる。 そ んな俺の、目一杯不服そうな無言の抗議を読み取った先生が、やれやれと溜息を吐いた。 「そうかもしれんが、布だけならまだしも、あれを作るのにどれだけかかると思う?」  同意しつつも大人の…というか、金銭面の事情を持ち出した。 「そんなに簡単に用意できる代物じゃないんだぞ」 『だから、作ってもらえただけ、ありがたいと思え』  大人の都合を勝手に押し付けて、感謝しろと暗に言う。  確かに俺が団体戦に出ていて優勝し、こうやって祝ってもらえたなら、こんなに反感を覚えなかった。それどころか素直に嬉しいと思っただろう。  唇を噛み、自分の感情を押し殺しかけて、さっきの先生の言葉を思い出した。 「―――『布だけならまだしも』って、言われましたよね?」  顔を上げ、先生の薄くなりかけた頭を見下ろして聞いてみた。「布は用意できるんですか?」 「あ? ああ。まあ字を入れる事を思えばしれてるだろう。一万もあれば足りるんじゃないか? 駅前の商店街には行き付けの店もあるし」 「なら、それ用の白い布を用意して下さい。俺が書きます」  意気込んで提案した俺に、職員室に居合わせた他の先生の目が集中する。  呆れたのか、馬鹿にしてるのか……そんな諸々の視線に晒されても、自分の意思を曲げる気は毛頭なかった。 「おいおい吉野、そんな事に関わってる場合じゃないだろ」  目の前の担任も例外じゃない。「お前が達筆なのは知ってるし、自分だけ特別に扱われるのが嫌なのもわかるが、それはちょっと無謀じゃないか?」  苦笑して見上げ、俺を気遣いながらも正論を主張する。  先生が反対するのは無理のない事だし、立場上当然だ。  俺だって普通ならこんな事……自分の首を絞めるような事、言ったりしない。  それでなくても倒れそうなくらい忙しいんだ。  けど、俺の個人優勝より団体準優勝の方がどう考えたって価値がある。  俺のが下ろせないなら、絶対、意地でも団体の垂れ幕を作ってやる。  そう決心して、先生に食い下がった。 「俺、中学の時、古くなった垂れ幕を作り直すのや、催しの時の大文字書くの、手伝ってました」  先生が困惑げに目を(しばた)いた。  同じ教師でも田舎の先生は人使いが荒かった。  生徒数が少なくて一人一人の個性をしっかり把握していたから、それぞれの得意な分野でしょっちゅう生徒を呼び出し、手を借りていた。  遊んでる最中での呼び出しは決して愉快なものではなかったけど、それは俺達の経験や自信に繋がっていたと、今ならわかる。  その時はなんて横着な先生達だと思ってたんだけど……。 「草書や行書は無理ですけど、楷書でなら書けます。後はバランスとか配色の問題だから、美術の先生にでも構成のアドバイスをしてもらえばいいでしょう?」  バイトの宛名書きでも一緒だけど、他人に見られる字は崩してしまう草書や行書より、はっきりとした楷書の方がいいくらいだ。  返事を待つ俺を、途方に暮れた顔で見上げ、ガリガリと頭を掻いた丸山先生が、 「本気なのか?」  と問うのに、「当然です」ときっぱり言い切った。 「う~ん。…ま、自主性という点では反対する理由もないんだが……」  俺を下からじっと見据え、諦めたように溜息を吐いた。 「なら、他の先生方にもかけてみて、了解が貰えたら布は明日にでも用意しよう。吉野は一応生徒会からの提案という事で、会長の小野寺に事前に頼んでおけ」  意外に素早い決断に、俺の方が戸惑ってしまった。 「はい! ありがとうございます、先生」  満面の笑顔で深く頭を下げると、先生が何故か激しく咳払いを始めた。 「それと、美術の元清水先生にはお前から穏便に頼めよ。くれぐれも睨み付けたりするんじゃないぞ」  教師に対する俺の態度に釘を刺し、厄介払いするかの如く手で追い払われた。 『これ以上はもう何も聞かん』と言いたげだ。  でも、俺ももう何も言う事はない。  先輩や他の部員の為に出来る事がある、それが何より嬉しかった。  
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加