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「――味方の先鋒を責めてどうするんだよ」
俺の表情を汲み取ったのか、辻先輩が白井先輩にやんわりと抗議する。
「もう少しまろやかな日本語、使えないわけ?」
冗談交じりに詰るその口調に、相模主将が失笑して俺に手を振り、「座れ」と示した。
言われるまま腰を下ろし……また俺のせいで問題が勃発している事にやっと気付き、苦い思いで俯いた。
「まさか、お前にそんな事言われる日が来るとは、一年前は思いもしなかったな」
相模主将の声。
誰に対してのものなのか図りかねていると、「吉野」と呼ばれた。
顔を上げると、主将が俺を見て、
「今…友達に嘘を吐かれて、ショックか?」
唐突に訊いてきた。
「――――」
そんなの、こんな所ではっきりとは答えられない。それは俺個人の問題だ。
「……黙秘権か? だが、吉野のだんまりは、あまり意味ないって知ってるか?」
クスッと笑って俺を見る、その瞳は普段の穏やかさのままだ。
「問いを肯定する時しか行使しないからな。否定の時は絶対鋭い一言が飛んで来る。お前の竹刀と一緒だ」
そう言うと、ふっと口を閉ざし、今度は他の三年に目を遣る。
そして、気持ちを代弁するように再び口を開いた。
「吉野が落ち込んでいる理由が、そのまま今の白井の気持ちだと言ったら、少しはこいつの言いたい事がわかるか?」
「―――え?」
何の事?
先輩達が何を言おうとしてるのか、情けないけど全く掴めない。
そんな俺の様子をじっと観察していた主将が、溜息を吐いて、鈍い後輩の為に説明してくれた。
「例の友達との間に何があったのか、具体的には知らないが、お前は信頼していた奴に嘘を吐かれショックを受けた。吉野に対して見栄を張ったと言うなら、嘘を吐かせたのは自分に原因があったからだ、という事になる。それで落ち込んでいるんだろ?」
自分にも掴みきれない心情をはっきりと言葉にした主将に、もやもやとした想いが形になった。
頭の中でもう一度整理してみて、その通りだと、ゆっくり頷いた。
俺がもっと真剣に雅也の事を気に掛けて、学校名を聞き、試合の結果も知っていたなら、あいつは見栄なんか張る必要なかったんだ。
「なら、俺達の場合はどうだろう。相手の大将が県大会個人優勝者だと知っていて、黙っていた吉野の行動は、お前の友達のとった行動と、それほど変わらない、と、単純な白井は言いたいわけだ」
指を指された白井先輩が、いつもならぷいっと横を向くのに、真剣な眼差しで俺を見詰めている。
「吉野がそれを言わなかった理由が何にせよ、隠し事をされた格好になったのは事実だ。しかも俺達の事……まあ、メンタル面の弱さを気遣って、敢えて吉野一人の胸の中にしまい込まれていたとしたら?」
「あっ!」
小さく叫んで口を手で覆った。
そんなつもり、全然なかった。
監督みたいに大人じゃない。だから、意思を持って敢えて黙っているなんて芸当、できるはずもなかった。
ただ単に、そこまで気が回らなかっただけだ。
「――もし、お前が俺達を心配して黙ってたんなら、俺はお前を許せねえ。それはお前が口で何と言い訳しようと、心の奥底では俺達を信用してねえって事だからな」
「白井! またお前は――」
隣に座る安達先輩が、白井先輩の腕を掴んで止めようとする。
その手を振りほどいて俺を見上げた先輩の瞳の中に、今まで見せた事のない複雑な想いを見た。
疑心……ためらい、だろうか。
どちらにしても、この先輩には一番不似合いな感情――。
自分のせいでそんな顔をさせてしまったと知り、まともに見返せなくなって項垂れた。
「白井の気持ち、わかるよな」
「すみ……ません。俺、そこまで頭回らなくて、誰かに言おうとか、止めておこうとか、そんな事も考えてなかった」
「本当か?」
白井先輩の、低く問い質す声が響く。
「ええ、…そんな余裕全然なくて。ただ雅也……友達が、『邪剣』なんて言ってたんで、興味が湧いて、対戦してみたいとは思ってました。けど、それ以上は――」
「そっか、…なら、もういい。悪かったな」
口元に、皮肉ったような笑みを浮かべ、頭を下げる。
誤解が解けて嬉しい…というものじゃない。どこか自嘲的な笑い。
「こんな事言ったら、落ち込んでるお前に追い討ちをかけるとか、色々考えて我慢してみたけど……やっぱ駄目だった」
情けねえよな…と、小さく呟く。「お前を余計悩ませるのもわかってる。けど俺は黙って見守ったり、胸に秘めておくキャラじゃねえんだ。言っちまわねえと気が済まねえし、隠し事は嫌いだ」
……それは、よくわかる。
白井先輩ならそう言う。
「だから、相手が誰だろうと、傷付こうがどうしようが、真っ向から意見は言う」
それがこの人の魅力。嫌悪を感じない一番の理由だ。
「だから、監督にも『諸刃の剣』だなんて言わせねえ。新人戦の時のままでいてたまるか。俺は一人でもビデオを見るぜ」
言い切った先輩に、みんなの視線が集まった。
もちろん俺も例外じゃない。
「どんな試合展開だろうが飲まれたりしねえ。相手を認めた上で戦いに臨んでやる。どっちにしても俺達は挑戦者だ」
「白井がそう言うなら、僕も見る。迷ってたけど、確かに何も知らずに勝てる相手じゃなさそうだ。その研究材料を監督が用意してくれてるなんて、恵まれてると思うし」
辻先輩がそう言うと、
「お前ら、ホントに大丈夫か? 俺は不安だぜ。吉野の手前、勢いだけで言ってるんじゃないだろうな」
安達先輩が『待った』をかける。
「バカ言え、これ以上吉野に頼ってどうすんだ! そうしない為に、俺達のできる事をするんだろ」
「できる……かねえ」
「なら安達は出てけ。見たくねえ奴は早く寝ろ。その方がよっぽど有意義だ」
「や、冗談。俺一人除け者にすんなよ」
「いい加減にしろ」
割って入ったのは相模主将だった。
「ったく、素直じゃないぞ。時間がないんだ。もういいだろ」
手っ取り早くまとめた相模主将が、監督に向き直り頭を下げた。
「すみません、やっと話がつきました。ビデオ、見せていただけますか」
「いいのか?」
「自分達の意思で見るんです。誰かに押し付けられるわけじゃない。それに監督はちゃんと逃げ道を用意してくれました。もし今夜このまま目を瞑って、明日勝てたとしても、それ以前に自分自身に負ける事になる。そんな思い出を残してここを離れるのは嫌です」
「――なら、いいんだな」
確認した監督が、一番重要な事を告げた。「その前に、第五試合で負けたら無駄になるが、油断さえしなければまず大丈夫だと思う。だが明日は途中でビデオ見る暇なんかないからな」
「やな事言わないで下さいよ、監督。せっかくやる気になってるのに」
「ハハ、悪い」
笑いながらディスクをセットし、テレビの電源を入れてスタートボタンを押す。
何気なく話していたその監督との会話の中に、玉竜旗ならではの、真の過酷さが隠されていた。
経験しないとわからないその落とし穴に初出場の西城のメンバーが気付くはずもなく、ただ明日の六戦目で当たるだろう成実の事だけに、全てを集中していた。
それは一戦一戦を大切にする千藤監督にとっても、例外ではなかった。
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