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「あの監督、絶対タヌキだ」  とは、談話室を退出してドアを振り返った安達先輩の口から零れた台詞だ。  吹き出しそうになり、咳払いして誤魔化す俺の隣で、辻先輩が頷いた。 「まあね。一杯喰わされた気もするけど、それがあの監督のすごいところかもね」 「そうかあ? ずるいとこだろ?」  監督をほめるその言葉がしゃくに障ったのか、間髪入れず白井先輩が反撃する。それを相模主将が取り成した。 「そうかも知れないが、あのビデオを見て意気消沈した奴いるか?」  エレベーターホールに向かいながら互いに言い合う三年の後ろを、黙ってついて歩く。  先輩達がどう思ったか、正直気になっていた。 「いや、それほどでもない…ってか、あれだけ大層な事を並べ立てた手前、落ち込んでなんかいられないだろ」  一番尻込みしていた安達先輩の台詞とは思えない強気の口調に、さっきのは白井先輩に対する嫌がらせだったのかと思えてきた。  仲がいいのか悪いのか、今一測りかねる二人だ。でも、メンバーの雰囲気は悪くない。  俺のせいでまた気まずくなりそうだったのに、四月の時の一方的に責められるような雰囲気は一切なかった。  今回のは、明らかに俺の不注意だったのにも係わらず、だ。  さっきのミーティングを思い返している間に、エレベーターの昇降口の前に着いた。  宿舎になっている旅館は五階建て、ホテルなんてしゃれたものじゃないけど、ふんだんに植樹してあるせいか不思議と福岡の街並みにしっくり溶け込んでいて、これはこれで風情があった。  俺の田舎にできた、取って付けたようなスパとは根本からして違う。  そんなどうでもいい事を考えつつ、二階で下からエレベーターが上がるのを待っていた俺達は、ドアが開き、中に入ろうとして、「あれっ!?」と声を上げた。  西城の一年生が数人乗っていたんだ。それも片手にタオルを持ち、色取り取りの袋を下げている。 「何だお前ら、土産でも買ってきたのか?」  その袋に目を遣り、頭上から話し掛ける白井先輩に、便乗した安達先輩が 「呑気でいいよなー」  と溜息を零す。  いきなりの先輩、しかも主将、副主将も一緒になった緊張でか、後輩達が手にしたタオルで額の汗を拭きながら、「違いますよ」と揃って激しく首を振った。 「風呂入ってきたんです。大浴場」 「え! そんなのあったか?」  安達先輩の声が箱の中に響いたところで、ポンッ、と音がして四階に到着した。俺達の部屋がある階だ。  ぞろぞろと降りながら一年生の明神が答えた。 「ええ、別館に。一度一階に下りないと行けないけど、別館の二階です」 「すっげ広いし、建てて間がないみたいでやたら綺麗でさ」  タメ口で話すのは、ころんとした身体つきの、何故か憎めない稲森だ。 「僕らが最後だったから、今は誰もいないんじゃないかな」  一緒に教えてくれたその情報を聞いて、短く口笛が鳴る。安達先輩だ。 「サンキュ! いい情報くれたよ。な、白井」 「――お前、まさか行きたいなんて言い出すんじゃねえだろうな」 「当たり~、相模と辻も行くだろ?」  ヘヘッと笑って誘いかける無邪気な同級生に、隣部屋の二人が苦笑を漏らす。 「あ、何だよ、大人ぶった笑い方しちゃって。そっちはいいけど、こっちは一人ずつ待ってたら遅くなるんだよ。いいから付き合え! 吉野もだ」  いきなり振られた誘いに、俺じゃなく、何故か白井先輩が目を剥いて声を上げた。 「おま……吉野まで誘うのか!?」 「当然」  あっさりと答えた安達先輩が、つかつかと俺に近寄ってきて肩を抱いた。 「二年だからって仲間外れはよくない。なあ吉野、そう思うだろ?」  耳元に、何故か息を吹きかけ問う。 「いえ、俺は別にどっちでも…入れさえすれば――」  くすぐったくて首を竦め返事しかけると、白井先輩が安達先輩のシャツを力任せに引っ張って引き剥がし、中に割って入った。 「馬鹿! はっきり断れ」  俺をギロッと一瞥して、安達先輩に向き直る。「気安く触んな。お前が絡むと吉野が穢れる」  本気で睨みつけ、「離れろ」と言う白井先輩に、 「俺はバイ菌か!」  安達先輩がむくれて反撃する。  二人の掛け合いを呆気に取られ眺めていたら、「まあまあ」とまたまた辻先輩が仲裁に入ってくれた。  俺にはこの二人は手に負えない。  北斗と久保の言い合いが、数段かわいく思える。 「吉野は風呂好きだもんね。狭いユニットバスなんかより疲れが取れるんじゃない? 今日も一番多く試合したんだ。ゆっくり浸かってリラックスするのも、いい気分転換になるよ」  友達の事で落ち込む俺を励まそうとしてくれてるみたいだ。  その気持ちが嬉しくて、自然にこくんと頷いていた。 「やたっ! はい、決定! 辻ちゃん偉い。なら即用意な」  指をパチンと鳴らして安達先輩が笑い、二つ並んだドアの片方を叩く。  もうとっくに部屋の前に着いていた。  さっきまでの、テレビに映し出された映像を食い入るように見つめ、呆然としていた表情はどこへやら、修学旅行にでも来たようにはしゃぐ明るい先輩と、同じく楽しそうな辻先輩。苦笑いの相模主将に、一人渋い表情の白井先輩。  それぞれの想いが入り混じる中、その渦中に放り込まれた格好の俺は、不機嫌そうな白井先輩に戸惑いつつも、内心ほっとしていた。  対戦相手を知った後の、先輩達の動揺が気になっていた。  人事じゃない、俺自身はっきり言ってかなり厳しいと感じた。  インハイ代表校が北九付属だと思い込んでいた俺達は、具体的な対策案を出す前に、真の県大会優勝校が明日の六戦目の相手だという事実を、ビデオ半ばで知り、愕然とした。  監督は、確かに狸かもしれない。  どちらにしても、明日になればその情報は俺達の耳に入っただろう。  そこでうろたえさせるより、今晩のミーティングに賭けたんだ。  それに相手の名前と、変則的な構えが多いという事がわかったのは、間違いなく収穫だった。  体格にばらつきがあり、上段の構えをとる人が二人もいた。  白井先輩以外、中肉中背の西城に上段の構えを得意とする人はいない。  当然そんな相手と試合する機会は、ものすごく少ない。  それでなくても今まで県内だけで、それほど県外に出向くチャンスもなかったんだ。  千藤監督に出会って体制は劇的に変わったけど、どれほど優秀な監督でもたった四ヶ月ほどでそうそう遠征を組めるわけもなかった。  戸惑いや迷いは、自分の竹刀を鈍らせ、弱気にさせる。  それを克服する為に、どの学校も遠路をものともせず、日本中出稽古に行くんだと思う。   ―――全国。その舞台に今、自分もいるのが、夢みたいだ。
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