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   湯船に浸かり、ぼんやりと漠然とした事を思い描いていると、いきなり顔にしぶきがかかった。 「なっ……!」  プルプルと顔を振って手で拭い、水の飛んできた方を見ると……やっぱり安達先輩だ。  ついさっき、小さい…けどれっきとした露天風呂を見付け、喜んで外に出て行ったのに、いつの間にか俺の浸かっている一番大きな浴槽に来て、手で水鉄砲を作り遊んでる。 「もう、何やってんですか、いい年して――」  文句を言いかけて、北斗にも以前、水をかけられた事があったと思い出した。  あの後のぼせてしまって、醜態を晒したんだった。  ……危なかった。  あのまま考え事してたら、また前回の二の舞をするところだった。  内心で胸を撫で下ろし、このまま浸かっているより外に出てみようと浴槽の縁を跨いだ。 「ウソだろ吉野、怒ったのか?」  一緒になって慌てて立ち上がる先輩に、「まさか」と首を振った。 「せっかくだから俺も露天風呂に行ってきます。天気がよかったから星が見えるかも知れないでしょ」 「ああ、――いや、止めといた方がいいぜ」  ザバザバと波を立てて近付き、「ちいと期待し過ぎちまった。こんな事言ったらヒンシュクもんだが、はっきり言って……しょぼい」  声を落とし、ついでに肩も落として告げた感想に、堪えきれず吹き出した。 「……だからすぐこっちに戻って来たんですね?」  わざと悪戯っぽく睨み付けたら、舌をペロッと出してみせる。 「でも、ちょっとのぼせそうだから、涼みがてら行って来ます」  忠告してくれた先輩に手を振って、一番隅にある小さな木のドアを押し外へ出ると、細い通路がある。  短いすのこを渡り大きな敷石を踏んで行くと、ぽっかりとした空間に出た。  さっきまで浸かっていた浴槽のすぐ外、下半分をすだれに隠されていたその向こう側に、露天風呂があった。  中からの明かりが外に漏れ、計算されたようなほの暗さがいい感じに辺りを浮かび上がらせている。 『しょぼい』と言った先輩は、一体どんな露天風呂を想像していたのか……。  よくわからないけど、俺は案外好みだった。  近付いて行くと先客がいた。  後ろ姿だけど、その後頭部で誰なのかすぐにわかる。  隣部屋の二人は、中でシャワーを使っていた。  白井先輩だけ姿が見えなかったんで、先に上がったんだと思っていた。  安達先輩に誘われた時も、それほど乗り気じゃなかったし。 「――星、これじゃ無理ですね」  明るすぎる都会の空を見上げ、溜息を吐いたら、「ん?」と振り向いた先輩が、お化けでも見たような、声にならない声を上げた。 「………ちょっと、その反応はあんまりじゃないですか? 俺、足ちゃんとありますよ」  ほら、と、腰に巻いたタオルを押さえ、片足を上げて見せると、 「わあっ!! やめろ、馬鹿!」  本気で怒鳴って、大きな石で作ってある小さな湯舟の一番奥に、バシャバシャと湯を掻き分け逃げて行く。  意味不明の行動に首を傾げつつ、縁にかがんで手を浸けてみた。  ちょうどいい湯加減だ。 「あ…いい感じ。俺、これくらいが好きです」 「あ、そ」  隅っこから返る素っ気ない返事に、会話が続かない。  ……来たらまずかったんだろうか。  でも、俺はここで会えてよかった。  白井先輩だけに、どうしても言いたい事があったんだ。  湯舟の縁に腰掛けて足だけ浸け、ぶらぶら揺らしながら再び話しかけた。 「先輩、今日…ありがとうございました」  俺を見ようとしなかった先輩が、やっとこっちを向いた。 「俺の友達の事、探してくれて。もっと早く言うつもりだったんですが」 「……あれくらい何でもねえよ。それに、実際探し回ったのはお前だ」  その言葉に、「いいえ」と首を振った。 「先輩が背中を押してくれたから動けたんです。俺一人だったら、絶対後で悔やんでた」 「どうでもいい奴なら放っておくさ。お前が駐車場を駆け回って探したのは、その奴が特別な存在だったからだろ」 「はい、そうです」  はっきりと言い切った俺に、先輩が表情を和らげた。 「……俺達も同じだ。吉野に隠し事されたり、気を遣われたりしたくねえ。そんなもんを望んでんじゃねえんだ」  それだけ言うと、ザバッと勢いよく立ち上がり、俺と同じく反対側の縁に腰掛けた。「今日の第四試合の後、吉野が俺に飛びついてきた時、正直嬉しかった。けど、すぐに強烈な自己嫌悪に襲われちまった。お前が俺に抱きつくなんて、普通ならあり得ねえだろ、って。それだけお前は一戦一戦、気合い入れて、責任背負って戦ってたんだと気付いて、また深く反省した」 「そんなの……」 「だから、試合には関係なくても、少しでも吉野の役に立ちたいと思ったし、お前が俺達の事を思って口を(つぐ)んでいたなら、それについても何も言わずにおこうと思ったんだ」 「その事は……すみません」 「謝んなよ。俺はやっぱ最後まで黙って見守る事なんてできなかったし、柄じゃねえ」 「……そうですね、らしくないですよね」  そう答えて笑いかけると、同じように笑い返した先輩が、 「吉野と、その友達に感謝だな」  と言う。  迷惑をかけた俺達に感謝だなんておかしいだろうと首を傾げると、先輩が含み笑いを漏らして、湯舟の湯を手の平にすくい上げ、俺に向かってかけた。 「お前らの嘘や見栄がなかったら、俺もこんな気持ちにならなかったかもしれねえ。対戦相手を知る努力もせず目を瞑って、挑戦者らしく当たって砕けて、それなりにさっぱりした気分に浸って終わってたかもな。けど、最後の最後でちょっとあがいて、一歩でも上を目指す気になった」  狭い空を仰ぎ見て、漏らされた本音に、知らず心動かされていた。  自分以外の人の成長を目の当たりにし、素直にすごいと思ったんだ。 「明日の最終日、頑張りましょうね」 「おう」  短く答える先輩に、居心地の悪さは感じない。  白井先輩の飾り気のない言葉は、心の裏側を読み取る事の苦手な俺には、何よりも信頼できる、確かなものだった。
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