伝言 (メッセージ)

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伝言 (メッセージ)

        翌日、大会最終日の早朝。  まだ薄暗い部屋の中、枕元に置いていた携帯の着信音で目が覚めた俺は、マナーモードにするのを忘れていた事に気付き、眠い目を擦りながらも急いで携帯を探した。  手に取り、発信者を確認して首を傾げる。  田舎の幼馴染、孝史からで、寝転んだまま内容を確認してみた。 『おはよう瑞希、朝早く悪いな。順調に勝ち上がってるみたいで俺も嬉しい。ところで大会中にメールしたのは、夕べ遅く雅也に頼まれたからだ』  そこまで目を通した俺はガバッと起き上がり、思わず布団の上に正座した。雅也の名前が出たせいだ。 『連絡取りたいけど、瑞希のアドレス知らないから転送してくれって頼まれた。その前に送ってもいいかどうか確認してくれって。もし気が散るようなら後でいい。けど、追いかけてきた瑞希の事が気になって、もしかして俺を気遣っていたら、そんな心配必要ないとだけ言っといてくれってさ。お前ら、何やってたんだ?』  その疑問は尤もだろう。けど、メールで説明できるような内容じゃない。 『なんかよくわからないけど、お前ならこれ見ただけで気になって試合に集中できなくなるだろうから、勝手に転送させてもらう。今日はいよいよ最終日だな。頑張れよ』  あっさりした内容と簡単な励ましの言葉に孝史らしさが溢れていて、ちょっとだけ笑えた。  すぐに着信音が鳴ってもう一つメールが届く。急いで開くと、 『瑞希、怪我とかしてないだろうな?』  いきなりの疑問符に口元が緩んだ。  あれからずっと気にしてたんだろうか。 (大丈夫だよ)と、心の中で答えてボタンを押した。  同室のみんなはまだ眠っている。  静かに立ち上がり、和室を出て広縁の籐の椅子に腰掛けた。 『あの後、車の中大騒ぎになって参ったぜ。せめて胴と垂れは外しておくべきだったな』  冗談と分かっていても、誰のせいだ! と言い返したくなる。  だけど続く内容は、俺の身を案ずるものだった。 『絡まれやしないか心配するだろ。相変わらず無頓着というか抜けてるというか、ほんと全然変わってないのな、瑞希。お前の剣も…いや、こっちは格段に逞しくなってたな。  中学の時はスピードと、切り返しの鋭さがお前の持ち味だったけど、今回はそれに力強さが加わってた。立ち会った瞬間から相手を圧倒する、迫力みたいなもの。中学の時はそんなのなかったもんな。お前が勝っても相手は納得できない顔してた。けど今回は違ってた。ああ、インハイの優勝が自信になってるのかもな。ハクが付いてたぜ。そこんとこが一番変わったって感じた』  俺の長所と短所を一番よく知ってる雅也の言葉に照れつつも、嬉しさが込み上げてくる。と同時にまた深く落ち込んだ。  俺は雅也の試合、全然見えなかった。  俺達の試合開始時間前に試合があったせいもあるけど、夕べも思ったようにもう少し気を配っていたら、第三試合で負けたのも当然知る事ができたはずだ。そしたら俺の方から雅也に会いに行ってたかもしれない。  そう考えてみてはっとした。  大きな思い違いに気付いたんだ。  雅也が負けたと知ったら、俺…会いになんか行けなかった。  今の俺はもう、あいつに何て声を掛けていいかわからない。  下手な慰めは却って惨めになるだけだ。その気持ちを俺もよく知っている。  中学の時ならどんな事でも言い合えた。けど俺達には互いに違う仲間ができた。  敗者となった時の励ましも慰めも、新しい仲間と共有するものなんだ。  俺達が気兼ねなく声を掛けれるのは、相手の勝利を祝う時だけ、なのかもしれない。  早朝の、福岡の街並みを見下ろしながら考え込んでしまった。  雅也もこんな気分だったんだろうか。  俺に、西城高校の剣道部の事を聞いた時、二人の道が分かれた事をもう察していたのか? だから、あえて声を掛けずに帰ろうとした?   その答えがこのメールの中に隠されているかもしれない。  そう思い、再びボタンを押して、読み進んだ。 『大会中、瑞希を追いかけてたら他の奴らに冷やかされて、誤魔化すのに苦労してたんだ。なのにあんなところで会うなんて、それも俺を探してたなんて思いもしなかった。おまけに追いかけてくるんだもんな。ほんと参った』  ……悪かったな。でも逃げるようにいなくなるお前が悪い!   心の中で悪態を吐いて、次を目で追う、すると――― 『けど、最高に嬉しかった。瑞希の声も気持ちもちゃんと届いたから、安心しろ。もう「俺達は成瀬とは違う」なんて言わない。お前は今もまだ本当に、俺達を成瀬と同等に思ってくれてるって、やっとわかった。俺の方こそ、ありがとうな』  昨日の、俺が雅也に投げかけたかった言葉への、返事だった。 『瑞希にはいつも驚かされて、その度、救われてきた。けど、これが最後だ。もう気付いただろう? これから先、瑞希とは剣道で支え合う事も、励まし合う事もない。その代わり、今度は同じ志を持つ者としてお前に向き合いたい。その為にも、もっと自分を磨かないと駄目だって痛感した。また一から出直しだ。夏休みにはあのボロい講堂を借りて真剣勝負しようぜ。楽しみにしてる。 じゃあな。 PS.会ってよかった』  読み終えた瞬間、鼻の奥がツンと痛くなった。  やっぱり雅也は俺よりずっと大人だ。  俺達が剣道を通じて、喜びや悔しさを分かち合っていた頃の関係に戻れない事、とっくに気付いてた。  俺の前に現れたのは、元剣道部のよしみというより同級生としてだったんだ。  あの夏の日の出来事を乗り越えたかったのは俺だけじゃない。雅也達にとっても同じだった。  それには俺に直接会って話さないと始まらない。  和彦が決死の覚悟で俺の家に来たように、雅也も彼なりに迷いながら、勇気を出して会いに来てくれた。  そうだったんだよな、雅也。  今回の再会がなかったら…雅也が俺を遠くから眺めているだけだったら、和解したというだけで、互いの距離はまだ遠いままだった。  いや、もっと離れていったかもしれない。剣道を通じての立場が変わってしまったんだから。  試合後の雅也の態度が、それを証明している。  だからあいつは黙って帰ろうとした。俺の中に、以前と同じ友達としての繋がりを見い出せなくて。  白井先輩に後押しされて追いかけた俺の行動は、無駄でも間違ってもいなかった。  離れていきそうだった大切な友達を、自分の力でこの手に連れ戻せたんだ。  片手にすっぽりと収まる小さな携帯電話。  両手でそっと握り締め、この文明の利器と、それを買い、持たせてくれたじいさんに思わず深く感謝した。  これがなかったら、雅也の気持ちがこんなに早く俺に届く事はなかった。  学生の携帯電話所持に賛否両論言われる中で、これに関しては西城の基本理念ー生徒の自主性を尊重し、あえて規制していない学校側の配慮が、今は本当に嬉しい。  最初はそれほど必要と思っていなかった。落としても気付かない程度の物体だった。  使い方を一つ間違えば、凶器にすらなるモノ。  便利な反面、そのデメリットは遥かに大きく、大人も当然厳しい目で見る。  そんな煩わしい物、なくても全然構わないと思っていたのに、いつの間にかなくてはならない存在に変化していた。  だからこそ持ちたいと願う側の俺達が、この二面性をしっかり把握しないと駄目だ。 携帯は子供の玩具(おもちゃ)でも、他人を傷つける道具でもない。 俺にとっては自分と大切な人とを繋ぐホットライン、心の拠り所なんだ。  雅也のアドレスを登録し、「滝井雅也」と入れかけて「雅也」に直した。  滝井なんて苗字、白井先輩に聞かれるまで、ほんとに忘れてた。  この携帯に最初に登録したのは、もちろん俺じゃない。  田舎のおじさんが、俺とじいさんの携帯ナンバー、それから緊急用にと、おじさんのを入れてくれていた。  俺の手元に届いて最初に入れたのはなぜか『成瀬北斗』。それもあいつが自分であっという間に入れてしまった。  その後に俺が自宅の電話番号を入れて、その後一年余りで五十音がほとんど埋まってしまった。  一人ひとりがかけがえのない俺の友達、そして先輩、後輩だ。  その中の一人、白井先輩の眠っている布団に近付いて、傍にかがみ鼻をつまんでみた。 「! フガッ」  妙な声を上げ、俺の指を払い除けようと手を振り回す。  それが可笑しくて笑いをかみ殺していると、気配に気付いたのかうっすらと開いた目が、寝ぼけ(まなこ)で俺に焦点を合わせた。 「先輩、おはようございます」  寝起きを襲うレポーターみたいに、覗き込み小さな声で挨拶すると、パチパチと目を(しばた)いた先輩が、声もなくいきなり飛び起きて辺りを見回し、他のみんなが寝ているのを確認したのか、へなへなと布団の上にへたり込んだ。 「……何時だ」 「え?」 「今何時だ、って訊いてんだよ」 「えっと、朝の五時過ぎです」 「……っとにお前は~、びっくりさせんじゃねえ!」  声は小声でも、広々とした額の辺りに、ぴくぴくと怒りの印が見える。  外は明るいけど起きるにはまだ少し早い時間だ。それに一番気持ちのいい時間帯でもある。  うとうととまどろみながら徐々に覚醒していくあの瞬間が、実は俺も一日の内で一番好きなんだ。 「すみません」  ぺこっと頭を下げて、手にしていた携帯を見せた。 「雅也からメールが届いたんです。友達経由で」 「雅也? ああ、昨日の……確か、滝井雅也だったな」  苗字まで口にした先輩を、驚いて見つめた。 「先輩すごい、名前覚えてたんですか」  呟いた俺を、じろっと睨み付ける。昼間よりも数倍怖い。 「……誰かさんのおかげでな。で、何て言ってきたんだ? 恨み言でも寄越したか」  機嫌の悪さも手伝ってか、その口からは容赦ない言葉が飛び出す。  でも、不機嫌だぞ、と顔中に書いて相手をする先輩は、わかりやすくてやっぱり好きだ。 「まさか。『追いかけてくれて嬉しかった』って、俺の声も気持ちもちゃんと届いたから安心しろって送ってくれました」 「そっか、ならよかったじゃねえか」 「はい。先輩…あの、ありがとうございます」  布団の上にあぐらをかいて、にこりともせず答える先輩に、正座したまま頭を下げると、 「礼は夕べ聞いた」  そっけなく返された。それでもめげずに先輩を起こした理由を伝える。  誰でもよかったわけじゃない。白井先輩に聞いて欲しかったんだ。 「昨日のは探してくれたお礼です。今のは、雅也からのメールで、俺達の関係が、前とは違うんだって気付いて、その事は辛いけど、連絡をくれたのは嬉しくて……そんな気持ち、先輩に聞いて欲しかったからなんです」 「なんだよ、そんで俺はこんな時間に無理矢理起こされたって訳か?」 「はい」 「『はい』、じゃねえ! ったくよお~」 「でも先輩しか思いつかなくて。一番よく事情知ってるの、白井先輩でしょ? だから」  恨めしそうにぼやかれ、「すみません」と再び小さく謝ると、溜息を吐いた先輩が、 「二度寝するのも何だしな……」  言い淀み、窓の外に目を遣った。「ま、いい。ちょっと付き合え」   すっくと立ち上がると、Tシャツに短パン姿のまま部屋の隅に押しやっていたテーブルの上のカードキーをポケットに突っ込んで、さっさとドアに向かう。  その大きな背中を慌てて追いかけた。
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