好意への反抗

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 翌日からの四日間は、当然ながらバイトのある日以上に忙しくなってしまった。  その日の部活終了後のミーティングで、野球部同様朝練をする事になり、昼休みしかまともに時間が取れなくなったせいだ。  途切れ途切れの作業は思ったよりはかどらず困り果てて藤木に相談すると、同じクラスの美術部員に声を掛けてくれ、必要最低限の人数で何とか進展が目に見える状態になり、金曜日の昼にはどうにか無事仕上げる事ができた。  土、日の二日間で乾燥させ、月曜日の朝練前にお披露目する事に決め、ぜひ立ち会いたいと言う面々に、青々と茂った大銀杏の下、頭を下げた。 「みんなありがと、俺一人じゃどうにもならなかった。考えが甘かったみたいだ。けど、ごめんな、出展作品抱えてるのに俺の為に時間割いてくれて」  たった数日の共同作業でも、毎日顔を合わせている同級生だ。  始業式の日に誰かが「一緒に盛り上がりたい!」と叫んでくれた通り、藤木の誘いを三人の美術部員は快く承諾してくれ――もちろん、クラス委員長の頼みを面と向かって断る奴もそういないだろうが――和気あいあい、楽しみながら手伝ってくれたクラスメートに、野球部の後輩と乾杯した時と同じく部室横の自販機でジュースをご馳走していた。  残りわずかな休憩時間。でも、完成祝いに飲む緑茶は最高に美味しい。  そう思っていると、 「大人が仕事帰りにビール飲むの、なんかわかる気がする」  どうにも止められない、というサイダーを一気に飲み干した福井が、似たような事を口にした。 「やだぁ、中年おやじみたいな事言わないで」  クラスで一番小柄な、小動物を連想させる香山が、オレンジジュースの缶から口を離して顔をしかめるけど、なら、同じ事を思っていた俺も中年おやじなのか?  「でも、何かすごい充実感。やったーって感じ」  もう一人のクラスメート、今までほとんど口を聞いた事はなかったけど、西沢と仲のいい二ノ宮が、明るい声と表情で両手を空に向けてかざした。 「私の家、ふもとだから学校見る楽しみができた」  日本人離れした上品な顔の作りでも、この三日間で言葉使いは俺より荒いと知った。 「上出来だもんな、素人とはとても思えないぜ。吉野にあんな特技があったとはな」  面白そうに俺を見る福井に、「とんでもない」と慌てて手を振った。 「元清水先生のセンスがいいからそう見えるんだ。それに『インターハイ』の文字はやっぱりゴシックの方が似合ってるし、メリハリがあっていいよ」  筆でー今回はハケだけどーカタカナを書くのは、実は非常に難しい。というか俺は苦手だ。  画数の多い漢字や、タッチの柔らかな平仮名の方がまだまし。  その苦手な部分を美術部が引き受けてくれ、スピーディーに、かつ想像以上にバランスよく仕上がったと思う。  俺は元清水先生の指示したスペースに見合う大きさの文字を書いただけで、細かい箇所で気になったり、(かす)れてしまった部分もあって、逆に皆の足を引っ張ったようなものだけど、それも愛嬌と言われわざとそのままにしておいた。    「とにかく、仕上がってよかった」  口を突いて出た本音に、手伝ってくれた四人が頷く。  そんな気のいい同級生に、一人ずつ呼び掛けた。 「福井に香山と二ノ宮、それに藤木、ほんとに助かった。お礼はさ、金も暇もないからできないけど、お前らが困った時には俺も同じように力になりたい。だから、何かあったら声掛けてくれよな」  そう言って、一人一人の顔を見渡した。 「吉野君、爽やか過ぎ。これだから誰も手が出せなくて抜け駆けできないのよね」  溜息を吐いた香山が二ノ宮に「ねぇ?」と、可愛らしく小首を傾げて同意を求めるけど、ストレートの髪を掻き揚げて俺を一瞥した二ノ宮は、 「や、私はいいわ、遠慮しとく。西城の女子を敵に回す勇気ない」  はっきり言い切った。  ……わかり易い返事だ。  それって、俺とは付き合いたくないって事、だよな。 「お前がこのガッコで一番忙しいの、よーく知ってんだよ」  落ち込みかけた俺の隣から、福井の軽いゲンコツが飛んできた。 「変な事に首突っ込んでないで試合を頑張れよ」  丸山先生と同じ、耳に痛い説教をくれる。 「ホントだよね。大事な試合前にこんな手の掛かる事相談してきた奴、僕も初めてだ」  学年一、面倒見のいい藤木にからかわれ、頬が染まる。  自分が血の気の多い方だと、遅ればせながら思い始めていた。  北斗や北斗の父さん、それに孝史もそんな俺の性格なんかとっくに見抜いてたみたいだけど、頬の赤みは中々引かず、俯く俺をからかうクラスメートに、もう何も言い返せなくなっていた。  そして週明けの早朝。  また今日も梅雨空でどんよりしているけど、少しだけ風がある。  足元の水溜りに気を付けて、丸山先生を先頭に屋上のフェンスに歩み寄ると、垂れ幕に縫い付けた紐を、藤木と二人で手摺り部分に括りつけ、たくっていた布を下に落とした。  ぶわっと一瞬大きく煽られた垂れ幕が、校舎の壁、B組とC組の間に落ちていく。  グラウンドで見守る元清水先生の隣で、福井が頭上に両腕で大きく丸の字を作り、確認した香山と二ノ宮が校舎の下に走ってきて、用意していたブロックに裾の紐を結び付けた。  ―――完成だ。  真下から見上げる二人と、元清水先生、福井に手を振って応え、一番の恩人を振り向いた。 「先生、ありがとうございました」  配布物を遅らせる名人でも、迅速に対応してくれた担任にもう一度ぺこりと頭を下げると、先生がフェンスから身を乗り出して下を覗き、呆れたように唸った。 「本当に作ってしまうとはな」  上からだと出来栄えを見るのは難しいと思うんだけど、それよりも実際に作り上げた事に驚いてるようだ。 「それにしても、今時 自分から厄介事を買って出る奴がいるとは」  振り返り、「珍しい奴だ」と俺の肩をぽんと叩いた。 「中学の内申書に書かれていた通りだな」 「吉野の内申書? 何て書いてあったんですか?」  興味深く訊ねる藤木に「言えるわけないだろ」と呆れ声で即答する。  それを聞いて、密かに胸を撫で下ろした。  中三の時は最低だった。何を書かれているか見当もつかない。  俺でさえ知らない事を、こんなところで学年トップの奴に暴露されたら、みっともなくて学校に来れなくなる、そう思いほっと息を吐いていると、 「だがまあ、藤木なら言わなくてもわかるだろう」  意味深に目配せしてカラカラ笑う。 「それもそうですね」  意味ありげに頷いた藤木が会話から弾き出された俺に視線を移して、堪え切れずに噴き出した。  もしかして、遊ばれているんだろうか?   まあいい。垂れ幕は完成したんだ。  二ノ宮じゃないけど、充実感が押し寄せ思い切り伸びをすると、耳に届く二人の笑い声に、梅雨のうっとうしさも少しだけ晴れたような気がした。  その日の放課後。  一人、晴れ晴れとした気分で道場に行った俺に、先輩達の反応は冷たかった。  口外しないように頼んでいたのに、言い出したのが誰なのかもう部の三年生は全員知っていて、俺以外の一、二年が平常通りのランニングに出た隙を衝き、手荒く扱われた。  きっと小野寺会長が相模(さがみ)主将にでも話したに違いない。 「こら吉野! 貴重な時間潰しやがって、そんな暇あるなら素振りでもしとけ」  安達先輩の一言で、他の先輩からも一斉に非難を浴びるはめになった。 「何でですか、準優勝なのに何もないって方が変ですよ」  練習そっちのけで俺に詰め寄る三年生に、むきになって抗議する。 「現に俺のがなかったら団体の方を作ってたって聞きました。俺一人晒し者なんて、絶対嫌です」  ぷいっと顔を逸らし本音をばらすと、白井先輩が素足でひたひた近付いて来た。 「いい度胸だな、吉野。なら俺もお前の嫌がる事してやる」  それを聞いた他の先輩から、静止の声が上がる。 「バカ白井、吉野に手を出すな、返り討ちに遭うぞ」 「そうだぜ、主将がいない間に問題なんか起こすなよ」  からかう同級生を振り向いて、白井先輩も負けじと応戦する。 「ふん、望むところだ。相模が恐くて副将なんかやってられるか」  何の話をしているのやら、呆然と成り行きを見守っていると、 「逃げろ吉野!」  安達先輩の鋭い声が飛んできた。 「え?」と先輩に目を遣ったのと同時に、腕がガシッとつかまれ、あれっと思う間もなく、白井先輩の馬鹿力全開のような抱え込みに遭い、窒息寸前になった。 「先輩……苦しい……」 「吉野、ほっそいなぁ。…こんな身体でよく優勝できたよな」  太い腕でがしっと羽交い絞めにし、感心するように肉付きの悪さを口にする白井先輩に、コンプレックスを刺激され負けず嫌いが顔を出した。 「先輩を基準にすれば、誰でも貧弱になるでしょ」  むっとして睨み上げ、抜け出そうともがく。 「もう、力緩めて下さい! 息できません」 「自業自得だ。何でお前は、そう………」  言い掛けた言葉が途切れ、二の腕に指を掛けて引き剥がそうとしていた俺は、動きを止め、大柄で逞しい副主将を見上げた。 「先輩?」 「……何でもねえよ。ほら、皆帰ってくるぞ」  出入り口を目で示し、俺の身体を解放する。  その脈絡のない行動に戸惑いつつも、外に走りに出ている仲間の手前、それ以上の時間のロスは避けて稽古に入った。 『何でお前は、そう………』 その続きが気になりながらも、それをもう一度直接本人に聞く気は起きなかった。  きっと白井先輩は訊いてもはぐらかしてしまう。  だけど、今はこのままでいい。  五月の険悪な状態からやっと修復して、一年の時と同じに振舞えだしたんだ。  それだけで十分満足しているし、先輩も俺を嫌ってないとわかる。  ただ、噂していた三人の内、古谷(ふるや)先輩だけは、俺を拒絶し続けていた。  理由はわからない。   俺だって万人に好かれたいとは思ってないし、好かれるとも思ってない。  けど、訳もわからず嫌われているのだけがひしひし伝わると、内心、心穏やかではいられなかった。
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