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「あの……好きです」
「は? 何言ってるんだゴリラ女」
学年で人気のイケメン王子、飯田くんは冷ややかな声でそう言って去っていった。
“ゴリラ女”。それは昔から、言われていたことだった。
家が空手の道場で、物心がついた時から、空手をしていた。両親に似て大柄な身体と空手で鍛えられた筋肉。眉毛は太く、真っ黒な目に大きな鼻。そしてかなり毛深い。そう言われるのは必然だった。
見た目はゴツいけれど、私は乙女だ。アニメのイケメンに恋するし、飯田くんにも恋をした。漫画の胸キュンシーンを見て夜な夜な悶える事もある。
「私だってイケメンな彼氏欲しーよー!」
虚しい叫び声が恨めしいほど真っ青な空に吸い込まれていった。
もう青空なんて嫌いだ。
※ ※
「はぁー、疲れた」
空手が終わって、スポーツドリンクを飲みながら藍色の空の元一人足を進めた。道場と家は少し離れていた。
夜と夕方が混ざったような時間。あちこちの家から美味しそうな香りが漂って、澄んだ空気に溶けていった。
道場に同い年の友達はいない。でも、火照った頬を冷たい風が差す時一人で歩くのは大好きだ。
「ユズナ」
「え?」
唐突に声がした。どこかで聞いたことのあるような、アルトボイス。
振り返ると、幼なじみのりゅうがいた。
りゅうは私をゴリラ女と呼び出した最初の男で、大嫌いだ。同じ道場に通っているが、ゴリラ女と言われて以来口を聞いていない。
だから、もう口を聞かないで八年は経つ。
「なによ」
無視しよう、と思ったけれどそれは出来なかった。いくら嫌いでも話しかけられたら無視できない。そんな自分も嫌いだ。
りゅうは性格は最悪なのに顔だけはイケメンだ。そう言うところが更にムカつく。──にしても、名前で呼ばれたの久しぶりだ。ずっと、“ゴリラ”“ゴリラ女””ゴリラ野郎”などなど酷いあだ名で呼ばれていた。
「あん、さ」
子供の頃から変わらないぶっきらぼうな口調。りゅうはポケットに手を突っ込んで斜めに体を揺らした。
沈黙が身体の芯から体温を奪っていく。
「なに? 寒いから早く帰りたいんだけど」
自分でもゾッとするほど冷たい言い方。こう言うのも、ゴリラ女と言われる所以なんだろうか。
でも、りゅうだけには優しい声や可愛い仕草なんて出来ない。
「……すまん……その、酷いあだ名付けて」
りゅうは深々と頭を下げた。
「何よ今更」
「ユズナ、本当にごめん……その、俺……お前が、ユズナが嫌いだからそう言ったんじゃなくて……あぁ、過去の俺を殴りてぇ」
「は?」
この日初めて、いや、数年ぶりに視線がしっかりと合った。彼の焦げ茶色の瞳に吸い込ませそうになって、慌てて目を逸らした。何故か鼓動が跳ねた。
「俺……昔好きな子にはイタズラしたくなるタイプで。それでユズナを傷つけてしまったんだ」
「えっ?」
私とは真反対で生まれつき白い肌が赤みを差していた。それでも華奢ではない。空手で鍛えられた腕の筋肉が盛り上がる。りゅうはぐっと拳を握っていた。反射的に私も拳を握る。何の技を出す? 正拳突き?
「俺の昔の発言は決して許されるのではないと思う。でも……俺、俺、……ユズナが好きです」
頭のつむじが見えるほど深く頭を下げるりゅう。拳が緩んでいく。
ドキドキと鼓動が私の身体の奥から打ち鳴らす。
あんなに嫌いなはずなのに、この息苦しさはなんだろう。頭がクラクラして、視界がチカチカする。
「俺、お前の一生懸命空手に打ち込む姿が好きで。空手だけじゃなくて、何事にも一生懸命なユズナが……好きなんだ」
眩しいほど星が輝いている。いつのまにかそれは深い紺色になっていた。星の中に三日月がポッカリと浮かんでいる。
それは美しい夜空に、私の返事が吸い込まれて行った。
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