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one hundred and one (side 小梅)
おばあちゃんが死んでしまったこの日。
私はついに天涯孤独となってしまった。
「お、おばあさんが亡くなって、寂しくなってしまったね」
隣にそっと座った鹿島さんが、囁くように言う。おばあちゃんの死から半日が経って、私はもう抜け殻のようになっていた。
魂が、どこかへ行ってしまったかのように。
「鹿島さん……おばあちゃんに、いつも……お花をありがとうございました」
「花が好きだと言っていたから」
「はい、」
笑ったつもりはなかった。けれど、もうずっとそうしてきたから、癖にでもなっていたのかもしれない。
鹿島さんが言った。
「こんな時くらい、泣けばいいよ。無理して笑わなくてもいいんだ。君がとても頑張っていたってことは、みんな知っている。おばあさんも、小梅ちゃんのような孫を持って、幸せだったと思うよ」
鹿島さんの言葉が、一つ一つと耳に入ってくる。けれど、今の私は何を言われても、一つたりともそれを肯定することができない。
「……違うんです、そういうんじゃないんです。私、全然良い子なんかじゃなかった」
壊れたおもちゃのようだった。
「そんなことない、小梅ちゃんは良い子だよ。優しくて、思いやりがあって、おばあちゃんだって、君のこと、」
思いも寄らない言葉。おばあちゃんのことを言われて、私の身体は奥から湧き上がってくるその衝動に耐えられなかったのだと思う。
身体の中心から、マグマが湧き上がってくるような震えがきた。
「そんなことないっっ」
狂ったような声。否定。ギリギリのところだった。暗く恐ろしい奈落の底を臨む淵で、爪先立ちをしている感覚。
落ちる。そう思ったときには、もう遅かった。
「か、鹿島さんに何がわかるのっ。私、全然良い子じゃないっ。おばあちゃんだって……おばあちゃんだって、いつまで面倒を見なきゃいけないのか、って。働いても働いても、お金が無くなっていって……お、おばあちゃんの、にゅ、入院費、に全部、消えていって、ひっく、早く、早く死んじゃえばいいのにって、お、思ったこともあって、」
墜ちていく。もう戻れない。引き返すことも這い出すこともできずに。
「小梅ちゃん、」
「鹿島さんだって、お、お金持ちだから、もしか、もしかしてお金を、だ、出してくれるかも、って……助けて、くれるかも、って思って、」
これでもう終わりだ。鹿島さんも私の本性知って、びびって逃げていくだろうな。どんだけ嫌な女なんだ。どんだけクズな人間なんだ、と。
「わたしっ、わたし、全然良い子なんかじゃないっ。こんな、ひどいこと思ってたんだからあっ……ごめんなさい、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、う、うえっ」
「こ、小梅ちゃん、」
「お、おばあちゃん、ごめんなさい。かし、かしまさん、ごめんなさいぃ、おばあちゃん、ごめんなさいいぃぃ」
鹿島さんは優しい人だから、きっと醜くて哀れな私に同情してくれているんだろう。
「……小梅ちゃん、いいんだよ。そんなことは、どうでもいいんだ」
だから、こんな優しいことを言ってくれるのだろうな。こんな嫌な女でも、鹿島さんはゆるやかに手で頬を包んでくれている。ぐっと私を抱き寄せると、頬と頬が触れるほどに、鹿島さんの顔が近づいてきて。
そして溶け合った。
このまま、一つになれればいいのに。
「小梅ちゃん、君が好きなんだ、好きでたまらないんだ。君のことが金で買えるんなら、どんな金額だって、惜しまない。けれど、君は金なんかで買っちゃだめな人なんだ。だから、俺は……俺は、お、俺、は、」
鹿島さんのその言葉が。
耳から入ってきて、するすると脳へと届いていく。ううん、これは心だ。心にまで届いているんだ。
だって私は、それだけで、その言葉だけで、こんなにも幸せを感じている。
私が息を止めていると、鹿島さんが続けて言葉をくれる。
「……どうしていいか、わからなかった。君は、絶対に金なんかで手に入らない。だけど、君と一緒にいたくて。君が欲しくて欲しくて、それなのに……どうしていいか、わからないんだ。全然、わからないんだよ」
けれど、慟哭は、私を壊していく。
「金で何とかなるんだったら、」
「ん、う、」
「幾らでも……幾らでも出したんだ。金で君を買うことを考えるだなんて……俺の方が、悪いヤツだよ。悪い男なんだ、俺は、君を……」
あとは覚えていない。全てをさらけ出して、全てを出し切って、全力で泣いたのだけは覚えている。
けれど、最後に。
「小梅ちゃん、君は……」
耳に囁くように言ってくれた。
「辛かったんだ。辛かっただけなんだよ」
鹿島さん、ありがとう。
私を救ってくれた。
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