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one hundred and four (side 鹿島)
小梅が離れていってから、ずっとスマホを握り締めていた鹿島は、ぼんやりと待合いで座っていた。そこへ、入院患者の家族だろうか、バタバタと数人が会計カウンターを横切っていくのをみると、鹿島はようやく正気を取り戻した。
(ああ、結局……)
スマホをスライドする。薄暗闇の中、ほわっと淡い灯りがともされる。
(……手には入らなかった)
箱に入ったままの指輪を、ぼうっとした目で見た。
小梅ちゃんとのデートの約束を取り付けるたび、これまでの世界が一変し、飛んで回りたいほど嬉しかったのを、昨日のことのように覚えている。本当に空でも飛べるのではないかというくらいに、バカみたいに浮かれていた自分がいた。
それが。
その全てが。
自分の失態で、呆気なく失ってしまった。
(いや、それだけが原因じゃない)
スマホの画面をスライドする。
(住む世界が違うって言うなら、俺は、)
データというデータは、一つも入っていない。
「全てを捨ててでも……小梅ちゃん、君の側に行きたいのに」
ふ、と弱々しい笑み。
登録の名前を呼び出す。
連絡先。
鹿島 要。
小梅の声が蘇ってくる。
「須賀さんが、昆布のお菓子が入荷したら連絡して欲しいって言うんです」
困ったような顔をして、スマホを差し出した。あの時。画面を覗き込むと、『須賀さん』との表示。
顔がかっかと火照ってくるのを感じながら、鹿島は返事をした。
「いいよ、別に。小梅ちゃんの判断で登録増やしてもらって、全然良いから」
大人の余裕を見せたかったが、そんな些細なことにも失敗した。言葉に棘があったのだろうか、小梅が苦笑しながら言った。
「多分、登録するのは須賀さんだけですよ。私……そんなに仲の良い友達とか、いないんです」
「そんなことないよ。君は皆んなから好かれている。大同なんかは小梅ちゃんが携帯を持ったなんて聞いたら、即登録をごり押ししてくるだろうから気をつけて」
「あはは、大同さんって、ブルドーザーみたいですもんね」
笑顔で。
そのブルドーザーの言葉があまりに大同のイメージにハマり過ぎて、腹を抱えて笑った。
鹿島は視線を落として、手の中に包まれているスマホを見た。身体に震えが走った。震える両肩が少し、左右に揺れた。
鹿島 要。
たった一つだけ。
他には誰の名前も、登録されていない。
「小梅ちゃん、小梅ちゃん、こ、うめ、……」
涙がぽとんぽとんと続けて零れ、スマホの画面に二つ落ちた。
鹿島は、後から後からせり上がってくる嗚咽を、いつまでも止められなかった。
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