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one hundred and eight (side 鹿島)
「深水、須賀くんの見送りには行かなくていいの?」
鹿島は、腕時計を見て時間を確認すると、まだうろうろとしながら書類を整理している深水の後ろ姿に声を掛けた。
「確か、六時のフライトだろ?」
「はい。ですが、彼も子供じゃないんですから、自分で行けますよ」
書類を持つ左手の薬指に婚約指輪が光っている。
「そうじゃなくてだなあ。離れ離れは、寂しいじゃないか」
「何を言ってるんですか、その海外出張を決めたのは、社長じゃありませんかっ。それに、たった二週間ですよ」
「長いよっ‼︎」
「長いって、二週間がですか? 社長の時間感覚の基準がよくわかりませんが。社長だってもうずいぶんと長い間、待っていらっしゃるじゃないですか」
鹿島は、ぐ、と喉を鳴らして、弱々しく笑った。
「別に、待っているわけでは……」
「奨学金制度の申込書、お渡ししておきましたよ」
「あ、うん……ありがとう」
鹿島は普段使わない方のスマホをワイシャツの胸ポケットから出すと、机の上に置いた。小ぶりの画面に指を置く。
「……深水、」
「……はい」
「何か、」
(小梅ちゃんは……何か、言っていたか?)
訊きたいことは山ほどあるが、聞けば傷つくことを知っていて、いつも二の足を踏んでしまう。
「…………」
深水の沈黙が、痛いような気がして、「……いや、すまない。何でもないよ」と言った。
スマホをすいっと撫ぜる。
画面には。
鹿島 要。
この携帯の中に存在する、たった一つの名前。
小梅とは別れてしまったけれど、貸したスマホに自分の名前だけが残されていたのを見て、鹿島は少し泣いた。
(それがどういう意味を持っているのかはわからないけど。死ぬほど……死ぬほど、嬉しかったんだ)
そうだ、嬉しかったのだ。
小梅にとって、自分は。
この世界の唯一無二の存在なのかもしれないと、思うことができて。
思うことができて……?
愚かだな。
鹿島は、ふ、と笑った。
(実際には、そうではなくとも……)
だから、悩みに悩んだ挙句、このスマホを処分せずに手元に残し、今でも大切に持っている。
あの後。
彼女の祖母が亡くなった後、彼女は半年間がむしゃらに働き、そして奨学金を受けながら自力で看護学校に入り、今春、卒業を迎えようとしている。
(小梅ちゃん、君って子は本当に……)
自分のことをストーカーのようだと思う所以は、小梅の近況を深水を通して知り、そして自分が出来ることを探して、援助という形で小梅に提示してみたりしてきたことにある。
けれど。
(結局は……俺は何もやってあげられていないんだ。あの頃と同じように)
度々、深水を通して申し出た支援を、小梅は頑として受けなかった。
(断られるのには、もう慣れているんだが)
鹿島は、その度に苦く笑った。
小梅を想う愛しさに、苦しめられ、時には悲しんで、そしてまた愛しく思った。
いつのまにか帰宅していた深水が、デスクへと置いていった書類を、すいっと掴む。
小梅の未来にチャンスを作りたくて、奨学金制度を創設した。
小梅は学校に行きながらも、まだ働き続けている。身体を壊しやしないか、熱でも出していやしないかと、いつも心配してしまう自分がいる。
(本当に全く俺は……バリバリのストーカーってやつだな。こんなの、気持ち悪いって思われる範疇を、とっくに超えてしまっているぞ)
デスクに申込書を投げる。
「……どうせこれも、断られるのだろうけど」
ふ、と笑い、目を瞑る。瞼の裏にはいつも、小梅の笑顔。
「もうそろそろ……君を諦めなくてはいけない」
それこそ小梅に彼氏なんかができたら、こんなストーカーまがいな男はきっと、警察に突き出されるぞ。
自虐。自分で冗談でも飛ばすように軽く思ったはずなのに。
それなのに心臓は痛み、胸は締めつけられた。
スマホを胸のポケットに戻す。
「小梅ちゃん、君を諦めなくちゃいけないんだ」
思いのほか、意思のこもった強い声が出て、自分でも狼狽えてしまった。
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