seventy three (side 小梅)

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seventy three (side 小梅)

差し出したチョコブラウニー。 「これ、なに?」 鹿島さんの、温度のない冷やっとした返事が返ってきて、私は焦ってしまった。 ブレスレットも返して、そしてスマホも返した。それできっと、鹿島さんを怒らせたんだ。 そりゃあ当たり前だよ。そうに決まってる。せっかくの、心を込めて作ったこのチョコブラウニーを、こんなの要らない、くだらないって、突っ返されるのと同じことなのだから。 それでも笑っていなければと、いつものように笑顔を見せようとした。 「い、要らないですよね、こんなの」 自虐。うまく笑えない。 何も言ってくれない鹿島さんの顔を、怖くて見ることもできない。私の視線は、哀れなチョコブラウニーが入った小箱に注がれている。 ……こんな安っぽいもの、なんであげようと思ってしまったのだろう。 鼻の奥につんと痛みがある。 (鹿島さんなら、もっと高級なもの……が、良いに決まってる、) そっと、手を伸ばそうとした。 ここで例えプレゼントを貰ってもらえなくても、きっと私は家へと持ち帰るだろう。捨てるのはもったいないって思ってしまって、ひとりぼっちの家でちゃんと食べるんだろうな。 そう思うと、情けなさと貧乏の悲しみにぶわっと襲われた。 (ううん、そうだ。誰かにあげちゃおう。いつも手作りスイーツを貰ってばかりいる多摩さんにでも……) 指先が小箱に届く時。 鹿島さんが、すっと手を伸ばして、小箱を押さえた。 「本当に貰っていいの?」 え? 「あ、でも、こんなもの、」 「貰う、貰うよ」 っと……。 「え、あ、はい」 良かった。 お情けでも貰ってもらえるなら。 感謝の気持ちを込めて、丁寧に作ったから。にこっと笑うと、今度は鼻の奥がつんと痛くなる。 「……俺のために、作ってくれたんだよね?」 鹿島さんのその言葉に、はっとして顔を上げた。そうなんだ、私。その言葉を言いたかったんだ。 「も、もちろんですっ。鹿島さんが何が好きなのかなって考えて、確か前にチョコが好きだって言ってたし、」 そう言っていたのは、皐月さんだったっけ? 「ワインと一緒に食べるって言ってたし、それでその……チョコにしようかなって」 ここでようやく鹿島さんの顔を見ることができた。 鹿島さんは、優しげな笑みを浮かべて、私の話を聞いてくれている。 その優しい視線。じわっと温かみに包まれていく。 ああ、私。 本当に。 鹿島さんのことが好きなんだなあ。 「あのブレスレットのプレゼントもせっかく選んで貰ったのに、返してしまってすみませんでした。でも、すごく、すごく、すご……」 喉が、ぐうと変な風に鳴ったけれど、構わなかった。 「すご、く、嬉しかっ、た……んです」 良かった、言えたよ。ちゃんと伝えなきゃって思ってた。 鹿島さんの側にいると。鹿島さんと話していると。 嬉しくて、楽しくて、あったかくて、くすぐったいんだ。 愛しい、ってこういうことなのだろう? おばあちゃんを思う気持ちと少し違うのは、手を握りたいと思うんじゃなくて、手を握って貰いたいって。 秋田さんや店長、多摩さんやメープルの双子を思う気持ちと少し違うのは、心配をかけたくないと笑顔を見せるんじゃなくて、純粋に鹿島さんの笑顔を見たいって。 貰ったプレゼントは、すごくすごく嬉しかった。そう自分の気持ちを吐き出すように伝えると、ぽろっと涙が零れ落ちた。 けれど、手が震えてしまうくらい高級なものは、貧乏人の自分には相応しくないんだ。 ありがとう。思ってたこと全部言えたから、もういいかな。 チョコブラウニーも食べてもらえるかはわからないけれど、貰ってもらえるなら、それでいい。 その時。 ガタンっと音がした。 鹿島さんが立ち上がってテーブルを横へとよけると、私の前にひざまずいて手を握った。 温かく大きな手に包まれる。鹿島さんの体温が一気に流れ入ってくる。その温度で、私の手はチョコレートのように溶けそうになる。 「小梅ちゃん、ごめん。こんな思いをさせてしまって……違うんだ、お、俺を好きになって欲しくて。俺、小梅ちゃんの気持ちとか、そういうの何も……何も考えていなくて。ごめんな」 一瞬。 鹿島さんが息を止めたような気がした。 「小梅ちゃん、俺と付き合ってくれないか」 全部、全部、溶けてゆく? 重く苦しい現実の時間は止まり、楽しい夢の国の時間が始まるの? 身体を奪い取られるように、抱きすくめられている。 今度のそれは、モリタの秋田さんでなく、間違いなく鹿島さんだった。
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