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seventy eight (side 小梅)
「彼女と別れた」
その言葉を聞いた瞬間、なぜかデジャヴのようなものを感じた。
須賀さんが、モリタで財布を持って立っている。開口一番がその言葉だったので、私は今日の鹿島さんの様子を訊きそびれてしまった。
乾物コーナーの並びで、干し椎茸を握っていた時だ。
「え、あ、それはその……残念ですね」
「うん、でもまあ、そうでもないかも」
「振られちゃったんですか?」
なんの気なしに訊くと、須賀さんの勢いが増した。
「ううん、違う。俺から別れた。俺に好きな人ができたんだ」
多摩さんが以前言ってた言葉が蘇ってきて、ぎょっとしてしまった。
『須賀さんは、彼女さんとあまりうまくいってないって……別れるかもしれないって私にこぼしただけですよ』
『うわあ、それはもう告ってんのと同じでしょ』
慌てて、干し椎茸を棚から一つ取る。
「そ、そうなんですか」
秋田さんに干し椎茸を二つ持ってこいと言われて取りにきた時に、須賀さんに出会った。私は居たたまれなくなり、それじゃあ、と干し椎茸を二袋抱えて、戻ろうとした。
「小梅ちゃん、キミの携帯の電話番号教えてくれないかな」
エプロンのポケットから頭の先っぽだけ見えているスマホを手で押さえる。
「こ、これはその……人に借りているものなんで」
「知ってる、鹿島社長だろう?」
鹿島さんが須賀さんに話してくれていたことに安堵し、私は続けた。
「そうです。鹿島さんにお借りしてて。だから、」
「別に登録とかしなくていいから。何か用事があった時に……そうだ、あの昆布のお菓子、入荷したら教えて欲しいし」
昆布のお菓子は、須賀さんの彼女さんの好物だったような……気がする。
「須賀さん、が……?」
「うん、俺も好きなんだ」
それじゃあと番号を言うと、須賀さんはすぐにその番号にかけて、「小梅ちゃん、下の名前は何ていうの?」と、自分のスマホに登録し始める。
「はな、です。ひらがなで」
「はなちゃんか。ありがとう」
私が返事をする前に、くるっと踵を返して去ってしまった。困ったな、そう思ったけれど、鹿島さんに相談するようなことでもない。
(着歴が……と、取り敢えず須賀さんの登録だけして、鹿島さんには後で断っておこう)
三日後には、パーティーで会う予定になっている。
洋服などは、鹿島さんが用意してくれると言っていた。マナーについては、駅前の書店でマナーブックを立ち読みして、なるべくのことを頭に入れたつもりだ。
それでも、不安は尽きない。その不安に、さらに別の不安要素が足された気がして、少しだけ暗くなる。
(……大丈夫かな、私)
干し椎茸を抱き締めて、厨房へと戻る。
その日から、パーティー当日までは、そわそわとして落ち着かない気持ちで過ごしていた。
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