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eighty six (side 鹿島)
日曜日、朝早くに目が覚めた。
メープルで遅めのモーニングでもいいかと思ったが、小梅がいないのにメープルに行く意味もないなと思い直すと、軽く朝食を取ってゆっくりと過ごしてから、家を出る。
本屋に寄ったり文房具を買ったりしながら、町中をぶらぶらしてからモリタへ行こうと、駅へと向かう。
その時、電車の反対方面の出口から出てくる小梅の姿を見た。
(あれ、今日は仕事じゃないのか?)
小走りで走っていく、その姿。
(そっちはもしかして……)
花奈が入院していた総合病院の方だった。小梅のおばあさんも、そこで入院していると聞いている。
(お見舞いにでも行くのだろうか)
距離的に離れているので、ここからは声はかけられない。あとをついて行こうと思ったが、それではストーカーだと自分で自分を気持ち悪く思い、止めた。
その時。
小梅が、振り返った。
鹿島は自分を見つけたのかと思ったが、遠目でも視線は合っていない。
何を見ているのかと思って振り返って見ると、背後にそびえ立つビルの入り口に、大きなカラクリ時計。
(ああ、時間を見てるのか)
すると、小梅がこちらを見た気がした。慌てて手を振ると、大きく振り返してくれた。
「あー、鹿島さんー」
大通り。左右を見ながら渡ってくる。
「小梅ちゃん!」
奇跡か、と思った。会いたいと思って会いに行くところを、こんなタイミングで出会えるとは思いも寄らなかった。
(なんだこれ、やばい、嬉しい)
「こんにちはあ、こんなところでどうしたんですか?」
手元のレジ袋を見て、「あ、お買い物ですね」と笑う。
「うん、文房具と本を」
「今日はお休みですもんね」
軽く息を切らしていて、子犬のように自分へと駆けてきてくれたのが、くすぐったいような気がした。
「小梅ちゃんは、その、どこか行くの?」
「あ、はいっ。おばあちゃんのとこに」
「県病院だね。お見舞い?」
「そうです」
「……あのさ、」
鹿島は勇気を出して、訊いた。
「良かったらでいいんだけど、俺もお見舞いさせてもらえないかな」
小梅がきょとんとした顔になる。
小梅のおばあさんは長い間寝たきりで、意識がない植物状態だと聞いている。
(……家族でもないのに、出しゃばり過ぎかな)
そんな気持ちがあって、強くは出られない。手探りで言葉を探す。
「……やっぱり、無理かな。だめなら次の機会でも大丈夫だから遠慮なく断って」
「いえ、大丈夫です。おばあちゃんも喜ぶと思うし……でも本当に良いんですか?」
「うん、」
「それじゃ、今から?」
「君がいいなら、」
「行きますか?」
「うん」
突然の提案に呆気なく許可が出たことを意外に思いながら、鹿島は小梅を伴って、近くのフラワーショップに寄って、小ぶりな花束を買った。
「そんな、花束なんていいですよ。意識がないんで、いただいてもわからないですし。もったいないです」
「でも、手ぶらだと落ち着かないし」
「そうですか、じゃあお言葉に甘えて。おばあちゃん、お花大好きなので、喜びます」
駅から病院までは歩いて10分ほど離れていて、小梅はそれが当たり前というように歩き出す。鹿島は、小梅の隣で肩を並べて歩いた。
(タクシーっていう考えは思い浮かばないんだろうな)
隣を歩く小梅の顔をちらと見る。笑顔を浮かべてはいるが、いつものように足取りは軽くない。
そりゃお見舞いなんだからそれが当たり前だろうと思う。
当たり障りのない会話を交わしながら、鹿島は小梅の隣を歩いた。
病院のエントランスを抜け、知った道といった感じにずんずんと歩いていき、エレベーターに乗る。8階で降りると、正面に配置されているナースステーションに声を掛けた。
「こんにちはあ」
「あら、小梅ちゃん。ちょっと久しぶりかな?」
「はい、いつもお世話になります」
鹿島も頭を下げると、年配でベテランそうな看護師がにこっと笑った。
「あら、こんにちは」
「今日は、おばあちゃんにお客さまを連れてきました」
「こんにちは」
鹿島が挨拶を返すと、年配の看護師は怪訝な目つきで鹿島を見たが、すぐに小梅の方へと顔を向けた。
「おばあちゃん、今日のリハビリはもう終わってるから」
「いつもありがとうございます」
小梅が手を上げながら、ナースステーションを離れて、廊下を歩き出す。鹿島も少し遅れて、後をついていこうとする。
年配の看護師にもう一度軽く頭を下げると、看護師は何か言いたそうな表情を浮かべた。けれど、すぐに思い直したのか、頭を下げると、手元のカルテに目を落とした。
(なんだろう、俺、不審に思われてるのか?)
歳の差を、こういう時に感じるというのも、癪に触るが仕方がない。
(恋人には、見えないのだろうか)
気にはなるが、あまり考えないようにと、小梅の後を追うようにしてついていった。廊下の一番奥、ぽつんとひとつだけ離れた病室の前に来た。
トントンとノックをして、小梅が「おばあちゃーん」と声を出しながら、病室へと入っていく。鹿島も足を忍ばせながら、入っていった。
「おばあちゃん、来たよー。今日はお客さんがいるよー」
病室にはひとつベッドがあり、老人が眠っている。
驚いた。
(もっとたくさんの機械につながれているのかと思っていた……)
眠り姫の老人は想像と随分違って、頬の血色もよく、痩せてはいるが痩せ過ぎてはいない。けれど点滴の針が刺さった細い腕は、見るからに痛々しかった。
「おばあちゃん、鹿島さんだよ。えっと私の……と、友達、」
小梅が鹿島を見て、へへと笑う。
鹿島も苦笑しながら、小梅の祖母のかたわらに寄った。
「初めまして、鹿島と申します。小梅さんとは、仲良くさせてもらっています」
顔をある程度近づけると、消毒液か何かの匂いがふわりと漂ってきた。
「リハビリしてもらったから、顔色が良いねえ。良かったね、おばあちゃん」
小梅が祖母の細い腕をさする。
「おばあちゃん、鹿島さんがおばあちゃんに花束をくれたよ」
鹿島はその言葉で左手に持っていた花束の存在を思い出し、小梅にどうぞと言って渡した。
「おばあちゃん、お花好きでしょ。花瓶に差して、飾っておくね」
受け取った花束を病室の中にあるミニキッチンの方へと運ぶ。
ジャーという音とガランとシンクに花瓶を置いた音が響いてきた。
鹿島は、ベッドの横にあったイスに腰掛けた。
横顔が。
小梅の横顔に似ている気がした。
「小梅さんとはお付き合いさせていただいています」
小さな声で、囁くように、鹿島は言った。小梅には聞こえないように。
「大切にします。安心してください」
キッチンから出てきた小梅は、花瓶を両手で抱えている。
「小梅ちゃんは、花が似合うね」
鹿島が言うと、小梅は照れたように頬を染めた。
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