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eighty eight (side 小梅)
「お見舞いに来てくださって、ありがとうございます」
おばあちゃんの前では泣かないし、弱音は吐かない。もちろん、お金の話もしない。
鹿島さんに偶然会って、おばあちゃんのお見舞いにまで来てくれて、そんな奇跡が起こって嬉しいはずなのに、私は今日、口から鉛でも入れられたかのように、身体中が重かった。
数日前、泣き腫らしたこともあり、その直後はデトックスでもしたような爽快感があった。
けれど、現実というものは直ぐに、私を打ちのめしてくる。支払いの期日は迫ってきていて、その日付と金額は容赦なく、私をこれでもかと言うくらいに痛めつけてくるのだ。
破り捨ててしまった請求書を失くしてしまってと言って、再発行してもらう。支払いの期日を伸ばしてもらうように、会計の事務局長さんに話をする。
何とかしましょうと言われてほっと胸を撫で下ろして戻ると、鹿島さんはナースステーションでいつもお世話になっている看護師長さんと話をしていた。
「……世間話を、ね」
鹿島さんが、にこっと笑って、エレベーターのボタンを押した。
そっか。
私は、目を伏せた。
看護師長さんが、鹿島さんに何か頼んでくれたかもと思い、少しだけ期待してしまったんだ。
(……嫌な子だ、私)
認めると、泥水に浸かったような、最低な気分になった。
(鹿島さんのことを……おばあちゃんに友達だって言っちゃった)
けれど、鹿島さんは否定しなかった。
(……結局は、そういうことなのかな)
そんなことをぼーっと考えていると、エレベーターの中で並ぶ鹿島さんが、突然、手を握ってきた。
絡みそうになる指を、慌てて伸ばす。けれど、私の手はすっぽりと鹿島さんの手に包まれた。
眠り続けるおばあちゃんを見て、私のことが可哀想になったのかな、そう思った。
おばあちゃんでなく、私が。
鹿島さんの手は優しくて大きい。
体温の熱が伝わってきて、私はその間だけはうっとりとできた。
けれど、夢は醒めるものだ。
きっと、これも私の願望。
(こんな汚い自分は、鹿島さんには相応しくない)
人として失格、のような気がして、怯んでしまった。しかも、住んでいる世界も違い過ぎて。
エレベーターが一階に着くと、鹿島さんは握っていた手を離した。
それが、現実なのではないだろうかと、私は思った。
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