ninety (side 鹿島)

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ninety (side 鹿島)

「君の指よりは少しだけ細い」 その言葉が深水の逆鱗に触れたのか、「それならご自分で行かれたらいいんじゃないですか」と言われ、鹿島は慌てて言った。 「いやいや、小梅ちゃんは深水よりもずっと若いから。全体的に君より色々と細いのは、普通っていうか、当たり前っていうか、」 フォローするつもりが、全くその意が入っておらず、深水の怒りをさらに買った。 「小梅さんよりおばさんだし太っててすみません」 「いや、あの、」 「あ、太ってるは訂正します。やや太め、で、すみません」 「いやいや、待ってくれ。君のセンスを頼りにしているんだ。深水が選んだこの前のドレス、小梅ちゃん、すっごい気に入ってたから。ジュエリーもありがとう。本当に助かったよ」 「あ、チョコブラウニーありがとうございますとお伝えください。すごく美味しかったです」 その言葉に、鹿島は一気に奈落のどん底に落とされたような気持ちになって辟易する。 「……伝えておくよ」 「レシピを頂きたいくらいです。頼んでもらえませんか?」 「良いよ……ってか、ジュエリー貸してもらった深水へのお礼ってのは、わかるけどさあ」 「はいはい、その話はわかりましたって」 「何で、須賀くんにまでチョコブラウニー……」 「社長、出光工業との会合が3時からですので、そろそろお支度を。契約の大詰めですので、気を引き締めていただかないと。契約書は揃えてありますが、一部は須賀に任せてありますので、行きの車でお受け取りください」 「どうして、須賀くんにまであげるんだ!」 「はいはい。では行きましょう」 カバンを持たされ背中を押されながら、しぶしぶ廊下へと出る。 「さっきの件だけど、悪いが出光の帰りに寄ってもいいかな?」 「わかりました、わかりました」 何度もそんなような会話を交わしながら、鹿島はエレベーターへと乗り込んだ。 ✳︎✳︎✳︎ 「あまり高くなくて良いんだ、歳相応のものを」 すぐに店員が鍵のついたショーケースの中から、指輪を二、三個選んで出してくる。 「これなんかはダイヤと言っても小ぶりですので、お値段もそんなには、」 「いや、だから、そういう宝石はついてない方がいいんだ。もっとシンプルなものを頼む」 店員が、にこっとしながらも首を傾げて奥へと入っていった。 「社長、仕方がないですよ。堪えてください」 「そうだな。花奈が散々、高級なものばかり買っていたから。まあ、こうなるだろうと予想はしていたが、」 「リングだなんて、それこそ小梅さんに引かれませんか?」 「う、やっぱりそうなのかな」 「ブレスレットのこともありますので、慎重にお渡しください」 「そうだな」 恋人がいるという証を、どこかにつけてもらいたい。そんなことを考えて、単純にリングだと思った。 モリタやメープルで仕事をする時に、それをつけていて邪魔になってはいけないし、あまり高級過ぎて小梅を震えさせ、つけてもらえないなんてことはもちろん意味がない。 鹿島はショーケースの前をぶらぶらとしながら覗き込んだ。 (少しずつ、好きになってもらわないと。あまり、ガツガツいって怯えさせてもいけない) そのさじ加減が難しい、鹿島は苦く笑うと、ショーケースの一番端で歩みを止めた。 一番奥にある、シルバーのリング。細身で存在感はないが、小梅にはそれがちょうどいいように思えた。真ん中でねじりが入っていて、ただそれだけのシンプルなデザインだ。 周りにある宝石付きのリングと比べて、値段は格段に安いし、見劣りするのも否めない。 「でも、これでいい」 店内をうろうろとしながら物色している深水と店員を呼んで、それに決めた。 「悪いが深水、試着してみてくれ」 「もちろんです。そのために連れてこられたんですから」 そう笑いながら、左の薬指にはめた。 「あ、いや、薬指だなんて、」 鹿島が焦って言う。それは、結婚の印だと。 「何を言ってるんですか。今は、そんなこと気にしません。恋人がいる人は、敢えて、ここにはめるんですよ」 手を開いて、指輪がはまっている薬指を、トントンと右手の人差し指で差す。 「重いだろ、そんなの」 深水が薬指にはめたシルバーリングを、鹿島はじっと見つめた。 「良いと思いますよ、これ。お話に聞く、小梅さんのイメージにバッチリです」 深水が、そんな鹿島を見る。 「重くなんてありません。ここにダイヤがどんっとついていれば、別ですけど」 にこっと笑う深水に押され、そのシルバーリングに決めた。サイズは試着した深水より二つほどサイズダウンしたものを、選んだ。 包みだけは、箱に入れてきちんと包装してもらう。 小一時間で、店を出た。 「良いんでしょうか、私にまで買っていただいて」 「こんなプライベートにまで付き合ってもらって、しかも小梅ちゃんのことに関してはずいぶんと世話になってるから、まあ一つだけってことで」 深水は、持っていた小ぶりの紙袋を目の前に掲げて、頭を下げた。 「ありがとうございます。では遠慮なく」 「その分、これからも色々とアドバイスをもらうからな」 「もちろんですよ。恋のアドバイスもお任せください」 「君、恋人いたっけ?」 すると途端に、深水が冷ややかな目で見てくる。 「今はいませんが、それが何か?」 「いやいや、別に深い意味はない」 駐車場に置いてあった、車に乗り込む。須賀は今日、休みなので、鹿島は運転席に座った。隣に深水が乗り込む。 最近は自分で運転する機会も増えていて、以前よりは格段に上手くなっている。 「社長のドヤ顔、なんだかムカつきますね」 「ふふん、気持ちの良いもんだな」 笑いながらエンジンをかけて、ハンドルを回した。 (……喜んでくれるだろうか) 驚かせてはいけないから、様子を見ながら渡そう。 「……そうだ、誕生日」 思いもつかなかった。 「誕生日を聞こう」 横を見ると深水が呆れた顔を寄越していた。 「社長。社長は本当に恋愛に関しては、本当にダメ男ですね。誕生日なんて、もうとっくの昔に知っているべき重要事項です」 鹿島は自分も呆れた顔をすると、アクセルを踏む足に力を入れた。
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