ninety one (side 小梅)

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ninety one (side 小梅)

(……あ、もしかして) 目を疑う、ということでもなかった。 「おい、小梅、あれ……」 真斗さんの焦った声が胸に迫る。 隼人さんに頼まれて、隼人さんの娘のヒナちゃんを保育園に迎えに行く時だった。 「たまにはヒナ坊に会いてえから」 そう言って、私の後ろをふらふらとついてくる真斗さんが、私の腕を取って言った。 「鹿島さんじゃねえ?」 大通りのジュエリーショップから、女性と二人で出てくる姿。遠目からでもわかる、それは確かに鹿島さんだった。 自分の目を疑うこともなかった私は、それでも足を止めた。 疑うという気持ちが湧いてこないのは、その二人があまりにもお似合い過ぎたからだろう。 その女性は。 すらっとした体型。花奈さんよりは少しふっくらしているけれど、それでもその脚線美は、パンツスーツを着ていてもわかるほどだ。 肩まで下ろした髪は、曲線を描いているし、黒縁の眼鏡は知性の象徴的存在だ。その頭の中にはきっと、ビジネス用語がたくさん詰め込まれているのだろう。 鹿島さんの横に立つと、二人は絵に描いたようにとてもお似合いだった。 女性が手にしている小ぶりの紙袋には、そのショップと同じロゴ。 指輪の専門店なのだろう、ロゴは二つのリングが重なったデザインのものだ。 相変わらず、私の歩みはストップしているけれど、そうしているうちに二人は、駐車場に停めてあった鹿島さんの大きな黒の車に乗って、そして去った。 「なんだよ、あいつっ。女がいたのか。ムカつくヤロウだ」 私が言葉を言いあぐねていると、真斗さんが私をちらっと見て、言った。 「小梅、あんな男、もうやめとけ」 パーティーであったことを雰囲気で察したのか、真斗さんはここ数日、同じ言葉を繰り返している。 「バカにすんのもほどがあるぞ。小梅、お前にはもっといいヤツがいるって。俺が紹介してやるから、」 私が唇を歪ませているのを見ると、真斗さんがもっと怒って言った。 「社長だからって、あんなの。マジで最低だな」 「……そんなことはないと思います。あの人は多分、お知り合いの方で、」 「知り合いなんかに、ほいほい指輪なんか買うかよ。愛人に決まってる」 「鹿島さんは浮気とか、そんなことは……」 浮気。 そうだった、以前にも。別れた花奈さんがそんなようなことを言ってたっけ? 「そんなんじゃないと思いますよ。きっと何か、特別な理由があるはずです」 「小梅っ」 真斗さんの声がはじけて飛んだ。 「真斗さん、申し訳ないですけど、ヒナちゃん迎えに行ってもらえますか? 私、先にお店に戻ってます」 踵を返して、走り出す。 「あ、小梅っ‼︎」 真斗さんの声に反応して、くるりと踵を返して叫ぶ。 「ヒナちゃん、絶対に迎えに行ってくださいよー‼︎」 大きく手を振って、笑う。けれど、すぐに涙が溢れそうになり、メープルへの帰り道を早足で駆けた。 責任感の強い真斗さんは、ヒナちゃんを迎えに行ってくれるだろうから、私を追ってくることはない。 だから泣けばいいし、泣いてる姿を通り過ぎていく人に見られたって、恥ずかしくもなんともない。 泣いた顔っていうものは、知っている人に見られるのが、私にとっては一番、痛いから。 同情、憐憫(れんびん)、そしてその後に見舞われる情けなさ。 複雑に混ざり合う気持ちを、『笑う』という行為で押さえつけなければと思って。 (メープルに着くまでに……笑わないと) 私は、目元を手の甲で拭った。 (笑え、笑え、笑え、) 自分に命令しながら、私はがむしゃらに走った。
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