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ninety four (side 鹿島)
『お前まじであれはマズいぞ』
電話越しに、大同がマズいを連呼した。
大同が言っているのは、指輪を深水と一緒に買いに行った件ではない。
鹿島は、朝からずっと痛む頭を抱えて、机に突っ伏して言った。
「頭に響くから、大声を出すな。それに、あれは俺が悪いんじゃない」
頭痛薬を飲んだが、あまり効き目がない。
『橘くんから電話があったんだろ?』
パーティーでも名刺交換をした、女性起業家の一人だ。
「会社にな」
『じゃあなんで、お前の個人携帯知ってたんだ?』
はああっと溜め息を吐いた。
「……俺が間違えて、彼女の携帯に折り返ししちまったんだよ……」
少しの沈黙の後、予想通りの返答が返ってきた。
『バカだな』
「……深水にも言われたよ」
くそっ、口惜しさもあり鹿島は吐き捨てるように言った。
『なんで会ったんだよ』
「会ったんじゃねえ。会社の前で待ち伏せされりゃ、話すしかないだろう」
『プライベートのことか?』
「違うっ‼︎」
大声が携帯を通して、うわんと響いた。大同が咄嗟に携帯を耳から離したのがわかり、鹿島は声のトーンを落とした。
「仕事のことだよ。起業した件でアドバイスが欲しいって言われた。食事にも誘われたけど、ちゃんと断ったし、それに、」
『…………』
「それに、恋人がいるってことも話してある」
『ああ、あん時か』
「そうだよ、あのパーティーの時にな」
『お前がヤキモチ焼いて、小梅ちゃんを……』
「うるさい」
一喝したが、電話の向こうで含み笑いがする。鹿島は、大同のその笑いで一気に胸焼けがしそうになり、気分が悪くなって言った。
「おい、何とかしてくれ。頼む」
『何とかって言ってもなあ。週刊誌に写真売られちゃあ、何ともできねえ』
鹿島は、押し黙ってしまった。
自社ビルの前で橘に待ち伏せされた時。
随分と失礼だとは思ったが、「先日、パーティーでご一緒させていただきました藤間不動産の詩織さんにも、鹿島さんに相談してみたらどうかって言われましたの」と言われ、かわすことができなかった。
藤間不動産が、重要な取引先の相手ということもあり、その名を出せば鹿島が橘を無下にできないということを、計算した作戦だったのだろう。
「わたくしもまさか、プライベートナンバーにお電話をいただけるなんて、思ってもみませんでしたわ。とても光栄です」
プライベートを強調した言い方が鼻についたが、その番号にこちらから掛けてしまった手前、立ち話とはいえ断れなかった。
仕事の相談に乗って欲しい、食事でもとの誘いを受けたが、それは丁寧に断った。では自社のホームページに載せる推薦文だけいただけませんか、と言われ、渋々オッケーした。
「うわあ、ありがとうございます。鹿島さんのお名前をホームページに載せることができるなんて、箔がつきますわ」
「大したお力にもなれませんよ」
「ご謙遜を。鹿島さんの影響力は素晴らしいものがありますから、とても嬉しいですわ」
「それじゃ、」
話を切って、その場を離れようとした。すると、橘が直ぐに動いた。
「鹿島さん、写真を一緒にお願いします」
スマホを自撮り用に設定して、隣に立とうとする橘を、鹿島は手を上げて阻止した。
「写真は後ほど、メールで送りますので」
自分にできるギリギリの所まで、譲歩したつもりだった。
実は、メープルの真斗にいなされてからは、落ち込んでしまって小梅にメールもできていない有様だ。言い訳でも何でも、一つでもメールしたりすれば、それで引導を渡されて別れることになるかも知れないと思うと、小梅の名前をスマホ画面に呼び出すことすら、怖くて出来なかった。
(情けな……)
自分はまだ小梅とは恋人同士だと思いたかった。
だからこそ、先日深水を連れて買い物をし、それを目撃されるという大失態の、その二の舞を踏みたくなかった。
仕事とはいえど、他の女を自分に近づけたくないという気持ちがまさった。
「写真は止めてください。後ほど、推薦文と一緒に許可した写真を送りますので、」
「いいじゃないですか、写真くらい」
「いや、それは、」
もう一度、言おうとしたところを、腕をぐいっと引っ張られて、カシャっと写真を撮られた。
「ちょっと、君っ‼︎」
「うわあ、嬉しいっ。ありがとうございます。ではご連絡をお待ちしていますね」
そう言って、待たせていたタクシーへとさっさと乗り込んで去ってしまった。
その写真が、なぜか週刊誌の起業家紹介コーナーに掲載されている。
「人脈も大切なんです。わたくし、鹿島さんと普段から親しくさせていただいているんです」
そう語る橘の談話を読んで、鹿島はその記事を破り捨てた。
「くそっ、やられた」
鹿島の肩に頭を持たせかけた橘との写真は、一見恋人同士だ。
『お前、自分が有名人だってこと、忘れんなよ』
大同の声にはっと我に返る。
「……小梅ちゃん、週刊誌なんか、見ないよな」
弱々しい声が出て、心底自分を情けないと思った。
『大丈夫だろ、イマドキの若い子はおばはんが好むような週刊誌なんて読まねえよ』
手元にあるビリビリに破られた週刊誌の表紙が、喫茶メープルの本棚にあったのを思い出すと、鹿島は痛む頭と胸を押さえて、机に突っ伏した。
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