青の民

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 思うところあって、独りで国を出てきた。自問自答しながら考えたいことがあったから。  自分が「力」を持っていることの「意味」とは何なのか。  遥か北に在り自分の生国である(げん)の国は、かつて迫害された異能の者が身を寄せ合ってできた国であると聞く。故に「玄の民」を名乗る者は、それぞれに特異な「力」を持っている。  自分ら双子を奪わんと国にアワの軍勢がせまった時、建国以来遙かに永き時を生きているシロガネは言った。 「かつてニンゲンは我らに何をしたか。相容れぬものとして厭うて追い出したクセに都合の良い時に『力』を求める。奴らには記憶力がないのか。つくづくと下品な生き物め」と。  力ずくで奪いに来るほどの魅力的な「力」。  一方で、ニンゲンと折り合い、共に暮らした経験のあるクロベニは 「ニンゲンは自らの『欲』という意志によって持ちえなかった『力』を得る可能性を持っている。(ひるがえ)って、我らは生まれながらにして『力』を得ているが、それは『欲』によって選択したものではない。自らの意志無く『力』を持つということは、果たして幸いなのか。『選び取った力』を使役するニンゲンの方が、上等な種なのではないかと思ったことがある」と言った。  望むことなく、生来より備わっている「力」。  自分は、在るモノを無きモノにする力を持つ。それがどんなに巨大なものでも、消し去ることになんの負荷も支障もない。痛み、苦痛、憂いを除くことも出来れば、生ける者の命を摘むことも出来る。  双子の同胞(はらから)は、時を自在に操る力を持っている。同じく、息をするように時を進めたり戻したりすることが出来る。    「(それ)」があっても「幸い」と思える生き方とは何なのか。  「力」がある故に利用されず、「力」に振り回されることなく生きていくにはどうすればいいのか。  周囲を容易に巻き込む強い力は、ソレを制御する為に「高い倫理観」と「理性」を要する。それが無ければ、ただの暴君だ。怪物だ。その一方でニンゲン側が「力」に魅入られて安易に触れようとすると、かのアワの王と同様に自らも暴君に成り得る。ニンゲンが我ら異能の種族を畏れた理由は、そこにあったのではと思い至る。  自分が「上等」な者に成り得たのか確信はないが、最近になって、ようやっと、屈託なく自分の力を使役できるようになった。「高い理性のもと、力を使役したい」という、ある意味「欲」が付いたわけだ。逆転の発想。
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