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* * *
石垣の上の高台にあるこの公園の端っこは、展望台のように四方が見渡せる開けた場所で、石のベンチが点々と置かれている。
ここはちょうど城の裏手に当たり、そんなに広くない幅の敷地には、天守閣を取り囲むように桜の木が立っていた。
石垣の上には柵もなく、間近に寄れば真下に深緑色のお堀が見える。その右手には、校外に広く設けられた母校の第二グランドがあった。春休み中の部活なのか、野球部とサッカー部が練習をしている。
少し離れたところにポツンとあるベンチに腰を掛けて、ぼんやりとそれを眺めがら、待つ。すぐ後ろには満開の桜の木。
四方を山に囲まれたこの小さな町が、僕の故郷。
天気の良い今日は、山際まで透明な空が広がってる。
朝夕はまだ肌寒いけれど、まさに絶好のお花見日和。雨天決行だって言ってたけど、今日は雨の心配もなさそうだ。
露店が立ち並び、簡単なお茶席も設けられている公園の中心は人出も多いが、裏手のこの辺りはあまり人は来ない。平日の今日は時折そぞろ歩きの人が静かに通り過ぎるくらいで。
あとは、ベンチに寄り添う恋人同士。日向ぼっこを楽しむ老人。
のどかな風景の中、ときおり思い出したように風が吹いて、木々を揺らす。羽織っていたスプリングコートが風にふわりと膨らんだ。
花吹雪の中、一人ベンチに座る男。横には小さなボストンバッグ。――我ながら、この場所にはあまり似つかわしくないな。とは思うけど。
降りかかる花びらに、目を上げる。
僕は、桜の花や姿そのものよりも寧ろ、このひらひらと降る花びらが好きだった。
* * *
雄彦と初めて出会ったのは、高校の入学式だった。
もう桜も終わりで、満開を過ぎた花の下、花びらが盛大に風に舞っていた。
同じ中学からこの高校へ入ったのは女の子が二人だけで、人見知りな性質でまだ友だちのいない僕は、親と一緒にいるのも恥ずかしいし、なんとなく一人で散る花びらを見上げていた。
「綺麗だな。」
呟くようなその声に振り返ると、すぐ近くに同じ詰襟の制服を着た男子が立っていた。
僕は一人でぼんやりしているところを見られていたのが、なんだか気恥しくて、わざとそっけなく答えてしまう。
「もう散ってるよ。」
「うん。でも、散る時にこんなに綺麗な花って、他に無いよな。」
照れたり茶化したりせず、さらりとそんなセリフを口に出来る素直さに、少し驚く。
新しい環境、新しい人間関係。知らず知らずのうちに緊張していたらしい僕の肩の力がふっと抜けた。
「―――そうだね。そこら中で毎年毎年、同じ時期に必ず咲いて、散って。桜なんて珍しくもないけど、…綺麗だね」
「うん。」
彼は頷いて、くしゃりと笑った。
そのときからもう、僕は彼に恋をしていたのかもしれない。
「今日は、バレンタインだ。」
「そうだね。」
僕はいい加減に相槌を打つと、前の席に座ってる雄彦を読んでいた文庫本で遮った。
それを言うためにわざわざ人の教室まで来たんだろうか。
そんなおあずけされてる犬みたいな目で見ないでほしい。一週間くらい前から、「今日は」の部分が「もうすぐ」とか「明日は」に変わってきて、――今に至る。
「そんなこと言ってる時期か? 今。もうすぐ三年の進路別授業の選択もあるし、そろそろ受験のこと考えないとだめだろ。」
雄彦は僕の持っていた文庫本を取り上げると、それで軽く頭をはたく。
「って。」
「なに先生みたいなこと言ってんだよ。成は。男子高校生にとっては、大事なイベントだろ。今日は。」
「それは良かったね。たくさんもらっただろ、雄彦。」
にっこり笑って言ってやる。
僕の知ってるだけでも朝、靴箱に二つ。どうせ机の中とか、教室でとか、お昼休みにだって貰ってるはずだ。雄彦は表向きフリーだし、モテるし。
「一個も貰ってないよ。俺。」
「うそ。」
「ほんとだってば。」
笑って彼が言う。――確かに雄彦は冗談でも嘘とか言わないタイプだけど。
「あ、やっぱりここだ!」
「おい、竹岡!」
突然、雄彦のクラスの奴らが、四、五人集団でやって来た。めずらしい。なんだろう慌てて。
「おまえっ、六組の井上さん振ったってホントかっ?」
一応声は潜めてるけど、興奮して声が上ずっている。
「振ったなんて人聞きの悪いこと言うな。」
雄彦は眉を顰める。
「ってことは、そうなんだな! 信じられない奴だな。井上さんのチョコ断るなんて罰が当たるぞっ。」
彼らは口々に悔しがっている。僕はただびっくりして彼らのやりとりを聴いていた。
確か井上さんて男子の人気ナンバーワンの女子だ。大人っぽい雰囲気の美人さんで、性格も良くて女子からも好かれてる。―――そーか。彼女も雄彦のこと好きだったのか。
「別に井上さんのだけを断った訳じゃないぞ。今年からは俺、誰からもチョコ貰わないことにしたから。」
雄彦は興奮している彼らとは対照的に、淡々と言った。
「なんで!? 去年山ほど貰ってたじゃんか!」
「俺、恋人いるし。」
もう、大騒ぎ。何気に聞き耳立ててたクラスの他の奴らまで、えー!!とか、マジ? とかの声が上がっている中、ひとり僕はその場に凍りつく。
「え、誰? 誰だれ、誰???」
「この学校の子か? 教えろよ、ずるいぞおまえ!」
何がどうずるいのかは謎だけど、口々に問い詰める友人たちを尻目に、雄彦は僕を見て言う。
「内緒。」
―――心臓が止まるかと思った。
彼らはその視線の意味を、僕が雄彦の恋人を知っていると解釈したのか、僕に向かって訊いてくる。
「そーだ。成瀬、お前なら知ってるだろ? 竹岡の恋人って誰?」
雄彦は黙ってる。
「―――知らない。」
そうとしか、答えようがなかった。
何か言おうとした彼らを遮るように、チャイムが鳴った。
「さ、戻ろうぜ。」
まだぶつぶつ煩い友人たちを急かして、雄彦はさっさと自分の教室に戻っていく。
知らない。と、そう言ったとき、雄彦がどんな表情をしていたのか。僕は見ることが出来なかった。
電車通学の僕らは、放課後いつものように二人で駅までの道を歩く。ただ黙って。
聞きたくて聞けないことのせいで、他の言葉が出てこない。
「昼休み、邪魔が入って話途中になったけど、俺、成に渡すものがあったんだ。」
彼はポケットから小さな包みを取り出し、僕に差し出した。
アイボリーの包装紙にこげ茶色のリボンのかかった小さな箱。
「――チョコレート?」
「そう。」
「でも今年は誰にも貰わなかったって、」
「これは、俺がおまえにやろうと思って買った奴。」
「なんで?」
僕は本当に訳がわからずに、聞いた。
「なんでって…。好きな相手にチョコあげる日だろ? 今日は。」
彼は子供にいうみたいに、ゆっくりとわかりやすく言った。
「去年お前くれなかったしさ。俺も今年は作戦を変えたんだ。考えてみれば、俺達の場合どっちでもいいもんな。俺だって他の女どもに成をとられたくないから。」
僕は彼にもらったチョコレートを握りしめたまま、顔を上げられない。
「ありがとう。」
僕はようやくそれだけを言って、彼の肩に掛けられたスポーツバックから下がる紐を掴んで歩く。
本当は、去年、渡すつもりだった。
名前は知らないけど、お昼休みに雄彦にチョコレートを渡していた女の子。栗色のさらさらのロングヘアのとっても可愛い子だった。
そのあと彼女は、付き添いの友達に、良かったね。渡せてよかったね。って慰められながら泣いていたんだ。
義理チョコも多いけど、それでもやっぱり、好きな男の子のいる女子にとっては、一年に一度の大切な日で。一生懸命おしゃれして、勇気を振り絞ってチョコレートを渡す。
微笑ましい光景だった。なのに、――胸が痛くて。
結局僕は、用意していてチョコを渡せなかった。
斜め前を歩く彼に、小さく、ごめん。と呟く。
「ん?」
雄彦が振り返る。
「どうして、…チョコ貰わなかったんだ?」
恋人がいるって言ったんだ?――とは聞けなかった。
「受け取るくらい、受け取ってあげればいいのに。」
「義理チョコなんていらないし、本気なら応えられない。」
はっきりと言い切る。
「言っただろ? 恋人がいるからって。受け取ってあげるのも優しさかもしれないけど、誰もかれも傷つけないで済むほど、俺器用じゃないし。」
雄彦の大きな手が、僕の頭をくしゃりと掴む。
バスケットボールも余裕で掴める雄彦は、お前の小っちゃい頭なら掴んで持ち上げれそう。とか言って、笑ってたっけ。――もう、半分癖みたいになった仕草。
「成のことで手いっぱいだから。」
そう微笑う。
解ってたんだ、雄彦は。本当は僕が嫌だったこと。冗談めかして、たくさんもらったんだから十分だろ。って、渡さなかった僕の気持ちは、見透かされていた。
醜い嫉妬心を悟られてしまった僕は、その言葉を素直に嬉しいと思えなかった。
次の日、雄彦の恋人いるよ宣言は学校中の噂になっていた。おかげで僕まで朝から質問攻めだ。
知らぬ存ぜぬで通したけど、お前ら一年の時からべったりなくせになんで知らないの?的なことを散々言われて、いい加減うんざりしてきた。
朝から胃が痛くてお腹も空いてなかったけど、とりあえずお弁当を広げる。さすがに今日は雄彦もうちのクラスにお弁当を食べに来られないだろう。お年頃なのか、その手の話題には男子も女子も目が無いみたい。
「ねぇ、彼女、お茶しない?」
同じクラスのお調子者、関口がやかんと弁当箱を持ってやって来た。
この学校ではお昼休みに、各教室に一つ、インスタントラーメンのCMでしか見たことのないようなでっかい薬缶に入ったお茶が配られる。当番がお茶係りだ。
「彼女じゃねーし。」
僕は愛想のない言い方でコップを差し出す。
「あれ、ご機嫌斜めなの? 成ちゃん。めずらしい。」
「別に。」
人見知りな僕に友達は少ない。もともと表情に乏しくて感情が表に出ない性質だから、円滑な人間関係のために、普段は適当に周りに合わせてなんとなく愛想笑いくらいは浮かべる様に努力はしてるけど。今日はさすがにその気力もない。
「眉間に皺よってる。――いつもにこにこ優しい成ちゃんが、そんな顏してたらファンが減ってよ?」
急にころっと口調を変えて、180㎝を軽く超えるゴツイ身体で、箸を握りしめて小首を傾げる。その低い声でその口調、上目使いでぱちぱち瞬きするの止めて。
僕は思わず吹き出してしまった。
「そうよ、笑って! キャンディ、泣きべそなんてサヨナラよ!」
「泣いてないし! てかキャンディって何?」
ツボってる僕に、関口が追い打ちをかける。
「えー。知らない? 古の少女マンガの主題歌。ひとりぼっちでいると、ちょっぴり寂しくなって、鏡に向かって、笑って~、笑って~。って歌うんだって。」
「いや、意味わかんない。ホラー漫画?」
「いや、トキメキ少女マンガ。――よし、ならば歌ってしんぜよう。」
「いらない。遠慮しとく。」
「う、つれないとこは、相変わらず。」
大げさに、机に突っ伏した関口。
冷たくあしらいながらも、僕の方は少し気分が軽くなった。
「成瀬って、物分りいいっていうか、いろいろ大人だよね。俺はさー、成瀬はもうちょっと我儘でもいいと思う。嫌なこと言われたら、別に怒ってもいいんだよ?」
珍しく真面目な口ぶり。
意外とよく見てるよね、関口は。
軽く流したつもりだったけど、『実は彼女ってお前のことだったりして!』って笑ってた奴らもいた。無視したけど。本当にそうだったら彼らも笑えない。それがジョークだって分かってるから、相手になんてしない。
『あいつの好みって巨乳のロングヘアだろ? こないだグラビア見ながら言ってたよなぁ? な、どーなの? そういうタイプ?』
これはわざわざうちのクラスまで聞きにきた、雄彦と同じ剣道部の奴らのセリフ。初めて聞いたよ。いらない情報をどうもありがとう。だ。
いちいちまともに相手しないで、めんどくさい、俺に訊くな!って怒ってもよかったってこと?
これって慰められてる…のかな? 思わず、無言で見上げてしまう。
ささくれだっていた僕の気持ちが、なんとなく癒される。関口って案外イイ奴かも。
「あ、ちょっとクサかった? うーん、キャラじゃないか、やっぱ。」
関口は自分で自分に突っ込みを入れてる。なんか赤面してるし。意外と照れ屋だし。
学年で一、二を争うおちゃらけ系のお笑い男子の意外な一面に、つい顏が綻んでしまう。
「ああ、やだ。男相手に何真っ赤になってんだか。…言っとくけど。俺にそっちの気はないからな?」
赤くなった顔を手で仰ぎながら、目を逸らす。
「分かってるよ、そんなこと。お前彼女いるじゃん。」
動揺を隠しつつ、答える。そう、関口は一つ下の後輩と付き合ってる。吹奏楽部の元気で可愛い子。
「でもほら、正直、成瀬って綺麗な顔してるしさ、俺らと違ってむさ苦しくないし、こう、なんか守ってあげたい的な? そういうとこあるよな、成ちゃんて。」
「俺って、…そういうふうに見えるってこと?」
笑って言おうとして、失敗した。
「そういうふう、って?」
「男を好きになりそうな感じ。……ホモとか、オカマっぽい?とか。」
一瞬の沈黙―――。
「いやいやいやいや、そういうことじゃなくて! えと、ほら、そう!ジャニーズ系! もう、やだーっナルちゃんたら、オカマさんって逆にもっとマッチョじゃなくちゃ! ね、アタシみたいなナイスバディじゃないと?」
焦って冗談にしたいのか何なのか、捨て身のオカマネタか。確かに関口は帰宅部のくせに無駄にマッチョ系だ。
「怒った? 成ちゃん。ごめん、俺そういうつもりじゃなくて…。」
黙り込んだ僕の様子を伺うように、情けない声を出した関口。
「うそ。怒ってない。ふふ、関口のそんな焦った顏初めて見た。」
今度はちゃんと笑えてたはず。笑って顔を上げた僕に、関口が一瞬ぽかんとして、
「――成瀬って、けっこうイイ性格してるよな。実は。」
「今頃気付いた?」
拗ねたようにそう言った関口の額に、僕は軽くでこぴんをしてやった。
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