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「・・・島・・・田島勇太。居ないのか」
「は、はい」
夢から現実へと引き戻された。
勇太は胸の鼓動を抑えながら、眼の焦点を合わせた。クラスメイトたちが、彼の方を振り返りながら見ていた。
クスクスと笑う生徒もいた。
先ほど見ていたのは夢?
それにしても、と勇太は首を傾げる。現実が二種類あったようであり、まだ今も夢を見ているようで、何とも不思議な気分になった。しかし、こちらが現実なのであろう。窓はどこも閉じていて、桜の花などは降っていなかった。
ユキ・・・ユキはどこだろうか。一番前の一番左の窓辺の席・・・。
いた。
少年の華奢な後ろ姿が、パっと鮮明に勇太の視界へと飛び込んできた。他の生徒たちは、誰もが勇太のことを見て笑っているのに、ユキだけは真っ直ぐに黒板を凝視していた。
勇太が、ユキの背中を見詰めていると、桜の花びらが一つ、ユキの小学校の濃紺の制服の上へ、張り付いていた。紺地に花びらの薄紅がよく映えて、美しかった。
束の間、見とれていたが、眼を擦ると桜の花びらなどはどこにも無いのであった。少年の肩の上に乗っていたあの花弁は、幻であったのだろうか。窓は先程からきつく閉じられているので、遠くの校庭や、中庭にある桜の花は教室まで届かない。いくら、桜の樹があって、零れるように花が咲いているからとはいえ、窓は閉じているので、花びらがここへ入ってくるのは不可能なのだ。
まだ半分眠っているような勇太は、再び眼を擦った。
ふと、他の生徒たちとは全く異質な気配を感じた。
顔を上げるとユキがこちらを見て、微笑んでいた。だが、その笑みは他の生徒たちとは違っていた。勇太をバカにするというでもなく、同情しているというでもなく、その微笑みは優しさと暖かさが滲み出ていた。
その後、直ぐにユキは元のように黒板の方へ向き直った。たったそれだけの
一瞬の出来事なのに、勇太の心に、何故か強い印象を与えた。ユキのあの深い闇の色をした漆黒の眸、桜の花と同じ色の淡く色づいた形の良い唇が、眼に焼き付いた。
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