回想 4狂愛

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回想 4狂愛

 カラスはその天性の無邪気さで、先住の者たちとすぐに打ち解けた。家具木工を得意とするので、森の中に居を構えるのがよかろうと、森外れに石造りの堅牢な住居を(あつら)えた。雪深くなる冬を見据えて、快適に過ごせるように、と大きな暖炉を設えカラスの作った家具を据え、居心地のよさそうな新居となった。にぎやかな集落からやってきたヒスイが、寂しくならないよう、カラスは納品や買い物にしょっちゅうヒスイを連れ出した。カラス夫妻は実に仲睦まじく、見ているこちらが胸焼けするほどで、「理解のあるニンゲンなら外の世界からの移住を認めてもよいかもしれない」と、頑なだった者たちの意識をも動かした。  やがて、大陸の片隅で起こった諍いが全土を飲み込む戦乱へと発展した。玄の国への入植を促す活動も次第に危険を伴い、大陸との往来が極端に細くなった。時折やってくる旅商人や、戦火を逃れてここまで逃げのびてきたニンゲンから、僅かな消息を得られるのみとなった。  ある年の初秋の頃、ようやっと厳寒期のシェルターの役割を果たす王宮の完成が目前となった。あとは、内装を整えるのみとなった状態の王宮に、珍しくカラスが一人で家具の納品に来た。 「ご苦労様。……ヒスイ殿は、どうしたんだ?」 王宮に家具を運び込みながら問うと、カラスは眉根を寄せて首を横に振った。 「どうやら風邪をこじらせたようで、最近具合がよくないんだ。帰りに街で薬を買っていくよ」 「そうか、お大事にな」  そのうち見舞いにでもと思ったが、冬前に王宮内をなんとかせねばならず、作業に忙殺されてすっかりと機会を逸してしまった。  カラスの家を訪うことができたのは、厳寒期が明け春の兆しを予感させる、ある穏やかな日の午後のことだった。遠目からカラスの家を認めて、まず何とも言えない違和感を憶えた。何がおかしいのか、と、しばし考えを巡らせ……気づいたときに足が止まった。  違和感の原因は、カラスが家の軒先に植えていた夢見草だった。雪をかぶっているとばかり思っていたが、そうではなかった。満開だったのだ。何かがおかしい。こんなに早く咲くはずがない。それに、煙突から煙が出ていない。未だ寒さの残るこの陽気で暖炉に火を入れないはずがない。己の中の声が最大音の警告を伝えていた。だが、ここで引き返すわけにはいかない。背筋を冷汗が伝うのを感じながら、家に近づいた。怖気を振り払って、扉を叩く。返答がない。裏の工房か?  家の裏に回ると、開け放った工房でカラスがいつも通り作業しているところであった。 「おお、シロガネか。ようやっと春らしい日がやってきたな」  屈託のない笑顔はいつもと変わらない。 「ああ……今年の冬も寒かったなぁ。ところで、ヒスイ殿は? ここは寒いから、中にいるのか?あれから見舞いにも来られず薄情な事だった。すまない」 「いやいや、あの時は忙しそうだったからなぁ。仕方ないよ」  カラスは作業の手を休めて、居室へと促した。その時一瞬、どこかで嗅いだ憶えのある臭気が鼻先をかすめた。甘いような、それでいて嫌悪感を誘う厭わしい臭い。ざわりと鳥肌が立った。 「ヒスイー。シロガネが来てくれたよー」  カラスは何のてらいもなく、寝室の扉を開けた。先ほどの臭いが一気に広がった。 「こ、……これは……」  あとは言葉にならなかった。寝室のベッドの上には、半分崩れかけたヒスイの遺体があった。厳寒期は気温が下がるので何とか原形をとどめていたのであろう。ただ、春の温みはとめることができず、遺体の自然崩壊が始まった。 「最近、虫が集まってくるんだよね。ヒスイは虫嫌いじゃないんだけど、ちょっとうっとうしいや」  恐ろしくて横でしゃべるカラスの表情を確認することはできなかった。  あれだけニンゲンの世界で暮らして「死」の概念を知らぬわけはあるまい。ヒスイが亡くなったことを、理解できないほど知恵がないわけではないはずだ。では、なぜここまで普通に振舞えるんだ。こいつの頭の中は、一体どうなっているんだ? 「近頃は関節も崩壊して動けなくなってしまったんだ。まぁ、当の昔からおしゃべりは難しくなってしまって。でも、意志の疎通は普通にできるから」 「ま、まさかお前……」  声を振り絞った。真実を確認するのは怖かった。でも、……。 「そうだよ。ヒスイの死体に魂を入れた。いや、戻したという方が、正解かな」  カラスの表情は見なくても判る。いつもの屈託のない笑顔で、とんでもなく恐ろしい言葉を紡いでいる。かつて、ヒスイが憂いていたカラスの無邪気さが、ここまでとは思わなかった。  開いていた天窓から、夢見草の花びらが舞い込んできた。 ーー驚くほどに、浄化能力が高いんだーーーー  ああ、だからこそ、夢見草は満開に……。ヒスイ殿を浄化させるために、満開になったのだ。
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