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笑顔の男
俺は人と付き合うのが苦手だ。
上司からは「もっと他の者を気遣え、愛想よくしろ、すぐにくってかかるな我慢を覚えろ。お前は顔しか取り柄がないんだから唯一の取り柄を活かさないでどうするんだ。ちょこっと笑ってやれば物事が円滑に進むんだ。笑え」なんて耳にタコができるくらい言われ続けてきた。
俺だって分かってる。
でもさ、我慢して心にもないお世辞言って愛想ふりまいてそれでいいのか?
そこには嘘ばかりじゃないか。
それに、俺は顔しか価値がない男なのか?
仕事だって人の何倍も頑張っているし、無駄な愛想はふりまかない代わりに気遣いくらいはしてるつもりだ。
だいたいそんな事を上司が言うのも俺が上司の誘いにのらなかったからだろう?
いい歳して私怨でいじめとか、マジでムカつく!
今朝だって朝早くに上司からの電話でたたき起こされて、取引先で誰かの失敗を必死に謝って―――これから普通に出勤だ。
くそっ!とイライラに任せて目についた石ころを蹴った。
「きゃっ」
と、小さな悲鳴が聞こえ視線を向けると、長身の男が若い女の子を庇うように立ち、額から血を流していた。
「――あ…」
あ…俺……。
自分がやってしまった事に、青ざめる。
「大丈夫ですか?!私を庇ってこんな…血が……」
オロオロとして綺麗なハンカチを差し出す女の子。
長身の男はそれを手で制して、にっこりと微笑んだ。
「女の子の顔に傷がつかなくてよかったです。俺は男なんでなんてことありませんよ。気にしないで下さい」
謝らなくちゃ……そう思うのに足が動かない。
視界に入った男の笑顔が、優しく細められた目が、目じりにできた笑い皺が、すべてが優しく温かい春の日差しのようで―――。
あんな笑顔―――――反則だ…。
初めての感情に戸惑う。
俺が見とれている間に長身の男はポケットから自分のハンカチを取り出し額を押さえると恐縮する女の子に更に笑いかけ、足早にその場から去って行ってしまった。
男の姿はすぐに人混みに紛れて見えなくなる。
そこで初めて我に返り自分がしでかした事に気づく。
あぁ…俺謝れてない…。
上司の言う通りだった。
俺はあの男にも女の子にもすぐさま駆け寄って謝るべきだった。
それなのに謝りもせず、見とれたりして――――。
俺は急いで女の子に駆け寄り誠心誠意謝った。
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