序章

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序章

 サラはぼんやりと天井を見つめていた。所々染みの着いた板張りの天井は、何時も眺めている物と微塵も変化は無く、サラは大きく溜め息をついた。天井から壁に目を()ると、乾いた剥き出しの日干し煉瓦が情緒の欠片も無く並んでいる。ベッドは簡素な木組みに薄いマットを敷き、汚れだらけの貧相な白いシーツが張られた(わび)しい物だ。その上に仰向けになった裸の体の上にはこれまた裸の日に焼けた浅黒い肌の男がのし掛かって、必死に腰を振っていた。この男はサラの夫でも恋人でも無かった。間男ですらない。サラが粗末な日干し煉瓦の家の粗末なベッドでこうしているのは、単純に言って、金の為であった。  行為が終わると、男はそそくさと服を着て、部屋を出ると居間で待っているサラの祖母、ナミマの所へ行き、軽く挨拶して出ていった。ナミマは先払いでもらった金を金属で出来た箱にしまい、中からコインを三枚取り出して寝室へやって来た。 「疲れたかい? 今日はこれで終わりだ。夕食は羊肉のスープにするから、これで肉を買ってきな」 そう言ってコインをベッドへ放ると、部屋を出ていった。  サラは麻で出来た目の荒いチュニックとスカートを着ると、端っこの欠けた鏡を覗き込んだ。小麦色の肌に真っ青な透き通るような瞳。髪はこの辺りの住人には珍しく、母親譲りの金髪だった。髪を整えると、サラはコインを掴んで表へ出た。西の空が黄金色に染まって、夕暮れ時を告げていた。東の空には既に青白い星が輝き始めている。乾燥した空気が汗を急速に乾かしていった。家の前の小路を歩いて大通りへ出ると、仕事から引き上げる人々の群れで辺りは賑やかだった。この大通りはオアシスの周りをグルリと囲むように走っている。ここは広大な砂漠の片隅の小さなオアシスの村だった。水面は夜空を映して、まるで紺色の鏡のように穏やかだ。その美しい水面を見て、サラは自分の荒れ果てた心との余りの違いに苛立った。道端に落ちている小石を拾うと、思い切りオアシスに向かって投げ入れる。小石は水面に円形の波を作ると、底へ沈んでいった。にわかに波立った水面を見て、サラは満足する。  何時だったか、このオアシスで幸せな時を過ごしていた気がする。遥か昔の事だが、あの頃は真実を生きていたような気がする。今のような魂の脱け殻では無く――サラはオアシスの縁に腰を降ろすと、既に静かになった水面を見つめた。冷たく澄んだ水、皆の命の糧――サラの脳裏に昔の記憶が甦った。
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