第127回 クールに決めているようで、本当は不器用な関東の田舎武士だった斯波家長の純情ーー足利直義が矯正してしまった、感情に揺さぶられる自分を取り戻せ!?

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第127回 クールに決めているようで、本当は不器用な関東の田舎武士だった斯波家長の純情ーー足利直義が矯正してしまった、感情に揺さぶられる自分を取り戻せ!?

 「中先代殿ー! 助太刀に来ました!」  新田徳寿丸(のちの義興)くん、強いですね。  義興は義貞の次男で、母が上野一宮の社家ということで、その出自が低いことから重用されず、幼名徳寿丸として新田荘に留まっていたところが、北畠顕家が奥羽から大軍を率いて上洛の際に新田荘で蜂起してその軍に加わり、鎌倉を占領した。その後も大活躍することとなる。〔人物叢書232『新田義貞』〕  この時期、父・義貞は別の場所で戦っているので、そういう事情だったのかと妙に納得というか、『逃げ上手の若君』のこのキャラだと、顕家に従軍すると言ってきかなかったヤンチャぶりが想像されます。    「おそいよ伊達君」  「ご容赦を 手強い敵将がおり」  お互いの信頼感が感じられる春日顕国と伊達行朝です。  古典『太平記』によれば、この時の足利方の主な戦力は、斯波家長と上杉憲顕、桃井直常と鎌倉にいた高一族らの引き連れた軍であったようです。足利義詮に励まされて死ぬ気で戦ったとはいえ、「その勢一万騎に過ぎざりけり」。対する顕家方は、「かれこれ都合十万余騎」とあります。  ※義詮の激励については本シリーズの第123回で紹介しています。 第123回 武と美を誇る公家の青年・北畠顕家にキラキラ・オフという考えはありえない? そして、鎌倉最古の寺にも遠慮なし!の斯波家長 https://estar.jp/novels/25773681/viewer?page=125  「あっはは こりゃダメだ」「この戦力差じゃどうしようもない」  ここから、家長の本心が徐々に明かされた第127話「未来1337」。ーークールに決めているようで、本当は不器用な関東の田舎武士だった家長の純情に涙してしまったオバちゃんでした。   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  「お前が身に着ける 鉢金 鉢巻 目庇 髪飾り 全て関東庇番の仲間のものだ」  ※鉢金(はちがね)…兜の前額部を保護する鉄の板。  ※目庇(まびさし)…兜(かぶと)の鉢の正面下方につけた板の近世の名称。形状は鉢の構造によって相違する。  家長が身に着けている〝形見〟については、私が主催している「『逃げ若』を撫でる会」に参加していらっしゃる方たちと、ある程度特定していましたが(家長の鉢巻が鶴子ちゃんの烏帽子の柄と同じだとは、参加者の方よりご指摘をいただきました!)、髪飾りもそうだったのですね……。  「若いってそういう事だろ! 孫二郎」  自分たちだけの〝理想郷〟を求めて鎌倉に向かう二年前の関東庇番衆ーーそういえばと、単行本9巻を取り出して、第73話「庇番1335」を読み直しました。  「…仕方ないなぁ 岩松殿の兵は僕のついでに整えときますよ」と言って、出陣前夜だというのに酒と女三昧の岩松に軽くため息をついてみる家長。  吉良義満や今川範満の〝雑草盛り〟〝馬刺し盛り〟に目を疑ったり、石塔範家の「白拍子天女鶴子ちゃん」には(渋川義季を除く)庇番全員で顎が外れるくらいに驚いてみたり……。  家長は、関東庇番の仲間が本当に好きだったのだとわかったら、涙が出てきました。  どうやら家長は、本気で直義の身を案じており、それ以上の野心はなさそうなのがわかりました。「足利一門」の超エリートとしての家長の自負と自覚が、一門を重視する直義のあり方、物事に筋を通す直義の政治姿勢と一致しているのが真相だったみたいです。さらに『逃げ上手の若君』のおいて、さわやかさが微塵も感じられない家長なのですが、二年前に「僕の未来を僕より真剣に考えてくれる人に… 忠誠を誓わぬわけがない」(第91話『直義1335』)と涙したあの気持ちに、少年らしい純粋さは凝縮されているのだと思いました。  このシリーズの第122回で私はこのように考えました。しかしこれ以上に、家長が直義へ抱くの思いはもっと純粋なのかもしれません(詳しくは書けませんが、家長の思いを託された上杉憲顕の今後の動きが、史実と重ね合わせた時に、感慨深くもあります)。  家長の身に着けている物が、かつて自分たちと戦って敗北した庇番衆の持ち物であったことに気付く時行には、彼らへの敬意すら感じられます。そして、家長は戦死した四人分の四つともを、戦いの時には常に身につけていたのですね。  クールに決めているつもりでも、この暑苦しいまでの仲間意識には、家長のマインドが関東の田舎武士の何者でもないと思わせられるのです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  「そもそも家長! 汝の戦は小賢しく陰湿で爺臭い!」  北畠顕家が看破していますが、家長にも十分その自覚があります。  「策士も政治家も終わりにして 復讐の鬼でも演じてやるか!」  家長は賢いので、「策士」も「政治家」もできてしまったのが、不幸の始まりだったのかもしれません(もしかしたら、何らかの理由で愛情に飢えていて、自分以外のものになってでも認められたという強い承認欲求を持つ可能性もあります)。ーー気づいたら何もかも、「演じて」いる自分がいて、本心が自分でも分からないようです。  もし、現代のような平和な時代だったら、演技派の人気俳優になっているのかもしれませんね(悪役専門!?)。あるいは、映画監督やゲームやTVドラマのシナリオライター??   芥川龍之介は長編小説を書くことができなかったということを聞いたことがあります。短編では完璧に支配できる作品世界が、長編だといろいろと破綻が生じることが原因ではないかということでした。  家長も、「策の要所で想定外の邪魔が入」ったことが自分の策が失敗した原因であると分析しています。こういう考え方が「爺臭い」のでしょうね。だからこそ、常に今この時しか見ていない「脳筋貴族」の顕家を一時は封じることができたのかもしれませんが……。  とはいえ、第119話のラストで「時行… 生きていたのか!」と言って時行を凝視した家長ーー自分の手で仲間の仇を討てるという気持ちに激しく感情が揺さぶられた彼が、本物の彼であるような気がしてなりません(感情の起伏が激しい彼を、足利の未来を担うエリートとするために〝矯正〟してしまった直義が、個人的には恨めしく思われます)。  果たして家長は、感情の起伏が激しいというその本性をぶつけて、あるいは、十代の少年の素の感情を取り戻して、時行に向き合うことが出来るのでしょうか。 〔人物叢書232『新田義貞』(峰岸純夫著・日本歴史学会編集/吉川弘文館)、『太平記』(岩波文庫)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕
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