第13回 気になる…主従の絆を古典『太平記』北条高時の最期の場面に探る

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第13回 気になる…主従の絆を古典『太平記』北条高時の最期の場面に探る

 松井優征先生の『魔人探偵脳噛ネウロ』と『暗殺教室』をあらためて読んでおります。『脳噛ネウロ』から松井先生が一貫して持つメッセージがある中で、『逃げ上手の若君』では、「信頼」が一つの大きなテーマなのだと感じています。  第13話では、松井先生が北条時行を現代に〝蘇らせる〟意図はまさにここなのだなということが、とても強く伝わってきました。  (おびただ)しい人間から裏切られた経験を持ちながら時行の方から味方を裏切った記録は無い  寝返りや離反が当たり前のこの時代ではかなり一途な武将だったと言えるだろう **********************************  古典『太平記』における時行の登場場面はそんなに多くはありません。また、私は時行の歴史的な事実については多くを知りません。  しかし、『太平記』の語り手は無数にあった裏切り行為の卑劣さを嘆く一方で、そうでない武将たちの行いや心持ちを〝物語〟として熱く語ります。  例えば、北条時行の父・高時の最期の場面です。  高時はなかなか覚悟が決まらなかったようです。傍には高時の側近中の側近・長崎円喜(えんき)(大河ドラマ『太平記』では、今は亡きフランキー堺さんが難しい役どころを重厚に演じ切り、かっこいいです!)が控えています。  そこを円喜の孫で、わずか十五歳であった新左衛門が毅然とした態度で円喜の脇を二度刺し、自らも腹をかっ切って、祖父を抱きかかえるようして折り重なってこと切れます。  それを見た高時は切腹し、東勝寺にいた北条一門と彼らを最後まで守った者たちは皆、自ら腹を切るか首を切り落とすかして、果てるのです。  第12話で時行は風間玄蕃に「武士の恥なんて…鎌倉から逃げた時に大方捨てた」と告白していますが、『逃げ上手の若君』の第1話では、父・高時と、父と運命をともにした者たちを目の当たりにしている場面もありました。  時行は、裏切りに対する行き場のない怒りと果てしない悲しみ以外の何物かもまた、地獄と化した鎌倉で思い知らされたのではないでしょうか。 ***********************************  さて、鎌倉・東勝寺にて高時が最期を迎えた場面には、諏訪の人間も登場します。ーー「諏訪左衛門入道」、法名は「真性」で、諏訪盛高の父に相当する人物ではないかとされています(古典『太平記』の各本の間でこのあたりは混乱があるようです)。  やはり長崎円喜の孫であった高重は、戦場で最後の力を振り絞ったのちに東勝寺に戻り、最後の盃を受け、腹を真一文字に切って腸(はらわた)を引っ張り出しします。  ーー残る皆さんはこれを酒の(さかな)にしてください!  そう言い放って死を遂げます。  これに対して諏訪左衛門入道は言います。  ーー若い者はずいぶんとやってくれますね。だが、年寄りだからって若い者に負けてはいられない。ささ、皆さんもこれに負けない〝肴〟をくり出さないといけませんな。  言い知れない(すご)みを感じるのは私だけでしょうか。冗談なんだか本気なんだかわからない……。しかし、『逃げ上手の若君』の頼重もいつもそうですよね。  またしても、新たなる諏訪氏のおそろしさを知ってしまった気がします。  そして、左衛門入道は十文字に腹をかっ切り、その刀を高時の前に置いたのです。  このあと先に記した長崎円喜と新左衛門が続くのですが、長崎円喜は、実はずっと、高時がどうするかを案じていたのではないかと想像される描写があります。  ここで、突然思い起こしたのは、『逃げ上手の若君』で、市河助房が小笠原貞宗にささやいた「馬鹿だな 拙者がいるよ」なのです……。武士の感情表現は無骨だったのではないかなと、私は『太平記』を読んでいてそう思うことがしばしばあります。  これまた唐突と思われるかもしれませんが、『平家物語』の平家滅亡の場面。  武と勇に秀でた平家の武将たちがどんどん壇ノ浦に身を投げて沈んでいく中で、その時に平家のトップにあった宗盛だけは〝チキン〟ぶりを発揮して飛び込めないでいます。果ては、それを見かねた者たちが通り過ぎるふりをして、無理やり海に突き落としてしまうのです(しかし、宗盛とその子・清宗は(泳ぎが得意だったことも災いして)生け捕られ、鎌倉で斬首されるという、哀れながらも武士にあるまじき失態をさらします)。  円喜は、高時が威厳をもって死を受け入れてほしいと心から願っていたのではないかと私は思うのです。そして、その円喜の思いを孫の新左衛門も(あるいは高重も)察していたのではないかと思います。  こわすぎて効果があったかわかりませんが、諏訪左衛門入道もまた然りではないでしょうか。    助房の貞宗に対する、よくわからない愛情表現には笑いの止まらなかった私です。  それと似たような、ストレートには現れ出ない主君を思う気持ち、決して契約だけではない人間的な絆を、高時の最期をめぐって起きた一連の出来事から私は感じ取るのです。 **********************************  時行が「一途」に生きたその背後には、鎌倉で父・高時と最期を迎えた者たちと、頼重ら諏訪の一族の影響もあったに違いないと私は推測しています。  北条高時の弟・泰家は、高時がしなければならない役割とは違う〝逃げる〟〝生き延びる〟という選択をしました。そして、時行を諏訪盛高に預けます。 時行は、諏訪で生活することとなり、二年の間は頼重や諏訪の一族とともにあったわけです。  時行の挙兵まで、諏訪の中から情報が漏れた形跡はありません。  諏訪氏とそのご先祖様には、相当に年季の入った〝人間不信(?)〟の歴史が横たわります(これはまた追ってお話ししていければと考えています)。諏訪氏の排他的な傾向や小笠原氏との確執とは裏腹に、一族内の結束は、『逃げ上手の若君』の頼重が「精強にして鉄の結束を誇りまする」という言葉の通りだったのではないかと想像するのです。 〔日本古典文学全集『太平記』『平家物語』(小学館)を参照しています。〕
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