第149回 「茶色い記憶」の「茶色」って、どの茶色だよ!? 「思考停止」レベルの体験を超えて、金色に輝く人生をその手に……!

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第149回 「茶色い記憶」の「茶色」って、どの茶色だよ!? 「思考停止」レベルの体験を超えて、金色に輝く人生をその手に……!

 「吹雪に続いて 夏までも」寝返ってしまったのかという衝撃的な展開に、不敵な笑みを浮かべた玄蕃の「仕掛け」とは一体……!? 一週間待った『逃げ上手の若君』第149話のタイトルは「茶色い記憶1338」です。〝どの茶色だよ!〟と思わずツッコんでしまいましたが、なにがなんだかわからない夏に、事の真相を明かす玄蕃。  すべてを明かされて驚く夏の顔の崩壊ぶりが好きです。そして、第148話の最後で玄蕃が「クックックッ」と笑ったのは、してやったりという思いだけでなく、「茶色」にまつわる思い出し笑いなのかもしれません。  かがんだ時に、男の子だってバレなかったのかしらなどと思いつつ(正体を明かす時に、その手を使わなくてよかったという安堵もありつつ)、自分のことをさりげなく「超絶イケ面」と言っちゃったり(まあ、「超絶」は別にしても事実か……)、足利尊氏と高師直の評価もなかなか的確だったりしますね。果ては、玄蕃のやらかした「茶色」が「グチャ」で「ピチャ」「ピチャ」とは、確かに「エグい」。ーーこりゃ完全に、夏の「失態」ですわな(笑)。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  「お前は投降すると思った 高師直の軍にな」  やはり、玄蕃は最初から夏の正体に気づいていたのでした(逃若党みんな優秀……)。しかも、時行にはあくまで事後報告で、すべて仕込み済みだったとは!  また、夏のことを「思考停止」と評しているところをみると、青野原での「あーあ やだな武士のこういうとこ」と独り言ちたかのような一言も、わざと夏に聞かせていたのだったと確信しました。 第144回 土岐頼遠にも部下たちにも何かが欠けているーー北畠顕家や雫の父や兄にはあって、婆娑羅大名にはなかったのは「意地」だった!? https://estar.jp/novels/25773681/viewer?page=146  そういえば、この時とらえられていた〝下がり眉〟君も元気で新しい生活を送っているのかななどと考えてしまいました。    「(ぼん)は 家族を全て失くした後 父を得た 家族を得た 兄弟を得た」「お前も同じさ」  読者はつい忘れがちなのですが、夏や〝下がり眉〟君だけではなく、作品の主人公・時行もまた、「思考停止」に陥ってもおかしくないほどの壮絶な体験をしているのです。あれから二年の時が経ち、時行は今、父や家族、鎌倉を失ったゆえの復讐心のみで戦っているわけではないのです。北条再興の当初からの希望を抱きながらも、数々の出会いと成長にともなって新たな意志を持ち、理想を描いているに違いありません。ーーそして、周囲の人間にも影響を与えています。  第148話では、新田徳寿丸が時行の姿を見て、「俺も父上に頼らず名を上げたい」という自らの意志を見せていました。北畠顕家もそうです。彼は、時行の「優しさ」というのが、必ずしも戦場におけるマイナス要素ではない(プラスに働くことすらある)という、新たな認識を持つに至っています。  ーー玄蕃は、夏の「才能を買っている」だけで、彼女を決して「一人にさせず」に今回の機会を狙っていたのでしょうか。  作品登場当初はなかなかの曲者だった玄蕃ですが(そういえば、諏訪では一度離脱も考えていましたね……(第37話「顔1335」))、その根はまっすぐであり、時行たちと行動をともにするうちに、彼もまた、時行の生き方に共感を覚えているのだと私は想像します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  最後に、気になる今後の戦いですが……このあたり、古典『太平記』でも本によって随分差があるようです。結城宗広さんも妙なテンションで熱血全開ですよ(笑)。鈴木由美先生の『中先代の乱』では、「顕家は伊勢や奈良を転戦した後、吉野へ行く義良親王と別れ、河内へ向かった(『元弘日記裏書』延元三年二月・二月二十八日条)。」とあります。  駿河四郎さん、柔和なイケメンなのに、関所突破の「哀れ」泰家(第49話「凄み1335」)を思い出す顔面「パアン」に若干引きます……。この〝顔芸〟がいかに今後の顕家軍に貢献するのかまったく予測不能です。 〔『太平記』(岩波文庫)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)、鈴木由紀『中先代の乱』(中公文庫)を参照しています。〕 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【おまけ】  玄蕃は「微かに残る下野(しもつけ)訛り」を、夏の正体に「察しがついてた」要因の一つとしていますが、他にも、彼女が海魚を食べようとしなかったことなども、しっかり観察していたのではないかと思われました。(下野は今の栃木県です)。  「京へ筑紫に坂東さ」といった諺から、地域による言葉の違いへの認識が、当時の人々にあったとされています(室町時代)。これは〝どこどこ〔 〕行く〟といった表現の空欄に入る言葉に、近畿圏では「へ」、九州地方では「に」、関東・東北地方では「さ」が用いられるという現象を表しています。  言葉で出身地を推測する(あるいは、バレないようにする、変装する)ために、各地の言葉の特徴を知ることは、忍の教養としては必須だったのかもしれませんね。 〔【おまけ】部分については、和田利政・金田弘『国語要説 三訂版』(秀英出版)を参照しています。〕
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