第20回 人買いのいる日常…〝残酷〟な中世の現実と希望を『さんせう太夫』に見る

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第20回 人買いのいる日常…〝残酷〟な中世の現実と希望を『さんせう太夫』に見る

 「衝撃の事実を教えてあげよう」「仏さまはねいないんだよ」  ーーどこまでも嫌な奴、瘴奸(しょうかん)入道! 『逃げ上手の若君』の童たち、こんな外道に屈してしまうのか……?    さて、征蟻党(せいぎとう)の幹部三人の名前が「死蝋(しろう)」「白骨(はっこつ)」「腐乱(ふらん)」であることが前回わかりました。  「死蝋」とは、蝋化した死体のことを言います(水中や湿地帯に長時間あった死体は、水中のカルシウムやマグネシウムと結合して石鹸のような状態になるそうです)。  お頭の名前である「瘴奸」は、上記の幹部たちのように熟語ではありませんが、個々の漢字からネガティブなパワーを感じますね。「瘴」は、熱帯の山川から生じる湿熱の気、あるいはそれにあたってなる熱病のことを意味しています。「奸」は、「よこしま」の意味で、道理を犯す行いや悪事、それをした本人、悪人のことを指します。  現代の日本において、いつでもどこにでも死体を目にするということはありません。しかし、時行の生きた時代は、それが日常生活の一部であったのです。幹部たち三人の名は、そうした事実を暗示させます。また、「瘴奸」という名には、死んだ人間が形を変えて臭気を放つように、乱世によって人間的な感覚や思考が麻痺していく様が私には想起されました。 ***********************************  瘴奸は、弧次郎や亜也子、時行を瞬時に値踏みしていますが、作品の中ではわざわざ親を殺してまで、子供たちを売っていることがわかります。人身売買=「人買い」を生業としていたのです。  「人買い」を辞書で引いてみると、次のように記されていました。  かどわかした子女や、貧家から買った子女などを他に売ること。また、それを業とする者。ひとあきびと。(『日本国語大辞典』)  ※かどわかす…子供や女などをむりやり、または、だまして他に連れ去る。誘拐する。  人身売買を業とした商人。人商人ともいう。律令制時代より人買いは存在し、私奴婢は私有財産として売買を公認されていた。鎌倉、室町時代には法制上、人身売買は禁止されたが、奴婢、雑人の売買、質入れは行われ、人買いも横行した。(『ブリタニカ国際大百科事典』)  ※奴婢(ぬひ)…律令社会の最下層の賤民。公奴婢は勧誘の奴婢。私奴婢は社寺、豪族などの私有するもので、農耕や手工芸に従事し、荘園制の発達するなかで豪族の荘園拡張の労働源となった。  ※雑人(ぞうにん)…身分の低い人。下賤(げせん)の者。  中世、近世(江戸時代)での用例が掲載されていますので、「人買い」は、中世の人々にとって、死体同様に身近なものであったことが推測されます。 ***********************************  「人買い」の名前が作品のタイトルとなった古典文学があります。ーー森鷗外が小説としていることからも有名な『山椒大夫』です。私が子供の頃に、『安寿(あんじゅ)厨子王(ずしおう)』という絵本で読んだ覚えもあります。  説教浄瑠璃の一。一家離散の憂き目にあった安寿姫・対王丸(ズシオウマル)の二人の子と、その母が、人買(ひとかひ)の手に渡り、二人の子は由良の山椒大夫に、母は佐渡に売られ、安寿姫と対王丸は婢僕として虐使されるが、姉のはからいで、対王丸が逃れて、都に出、梅津の院という大臣の養子となり、所領を受け、山椒大夫を懲らしめて仇をむくいたのち、佐渡に渡り、母に再会するという筋。(『角川古語大辞典』)  もともとは、長者の没落伝説で、説経浄瑠璃 (じょうるり) などの語物文芸として近世以前から語られていた物語だということです。  ※長者…富貴の人。富豪。(太夫=長者)  ※説教浄瑠璃…中世末から近世に行われた語り物。  そこで、鷗外の小説や絵本のもととなった『さんせう太夫』を読んでみることにしました。  予想はしていましたが、鷗外作品や絵本では決して書かれていない〝残酷〟描写がこれでもかとありました。  姉の安寿は、弟の厨子王を逃がしたことで拷問を受け、錐で膝の皿に穴を開けられたりしましたが口を割らず、最後は水責めや火責めで命を落とすのです。  出世を遂げた厨子王の仕返しも強烈です。  山椒大夫を生き埋めにして、姉と自分に一番の仕打ちをした息子の三郎に対し、父の首を竹のこぎりで引くように命じます(三郎については、道行く人たちに同じように処刑をさせます)。さらに、山椒大夫に自分たちを引き渡した者も見つけ出して報復しています。  一方で、山椒大夫の息子たちで、自分たちのことを一度でも、慈悲をかけて見逃したことのある太郎と二郎のことは許してもいます。  上記は内容のごくごく一部であり、現代では『さんせう太夫』は、決してそのままでは表に出せない作品だと思います。〝残酷〟描写があるはずのない子供用の絵本ですら、古くからある本の再版のようです(絵から昭和の匂いが漂います)。  しかしながら、あえてひとつだけ言わせてもらえば、死や暴力が日常生活の一部であった時代の価値観を、現代の価値観で判断できるのでしょうか(もちろん、客観的なデータから見ても、科学的・社会的な発展から見ても、現代は過去よりも良い時代に違いありません。とはいえ、価値観の面で言えば、中世の日本人が、我々現代日本人を〝劣る〟とする点だって、あるのかもしれません)。  『さんせう太夫』を始めとした説教浄瑠璃の共通した特徴は、仏教の教えがベースにあるということです。安寿と厨子王も、安寿が身に携えていた地蔵菩薩が彼らをずっと見守り、ここぞという時に霊験が起きました。  また、『さんせう太夫』の中で厨子王は、山椒大夫のもとで同じ境遇にあって何かと姉弟を助けた「小萩」という女性、逃げだした先の寺で命がけで厨子王を守った「お聖」への恩を忘れませんでした。都に入るのに、乞食の少年たちにも助けられています。  ーー仏さまはいる。現に、苦しい中でもこうして手を差し伸べてくれる人たちがいる。だから、人としてまっすぐに生きて、救われたい。  中世の日本に「正直(セイチョク)」という語がありました。〝残酷〟な現実と表裏一体をなす、素朴な信仰、素直な思いにこそ神仏が宿るという考えもまた、中世の日本にあったことを忘れてはならないと思うのです。  『逃げ上手の若君』では、主人公・時行がまさにそういう考え方の持ち主ですね。中世の日本の一時代に誰しもが経験した思いと生活を、キャラクターとして体現しているのが「北条時行」であるという見方もできそうです。 〔日本古典文学集成『説教集』(新潮社)を参照しています。〕
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