第32回 時行の鎌倉での生活は質素だった…? 足利直義の脇を固めているのは一体誰…(予想などしてみる)??

1/1
前へ
/175ページ
次へ

第32回 時行の鎌倉での生活は質素だった…? 足利直義の脇を固めているのは一体誰…(予想などしてみる)??

 鯛のお刺身を恋しく思う時行の願いをかなえたいと、ものすごい勢いで武田家の甲斐の関所を突破する郎党たち。弧次郎も雫も亜也子も誰もいなくてつまらなそうにする時行はやはり子どもなんだなとほほえましかったり、そこにすかざず頼重が年齢肌攻撃を仕掛けるのに笑ったりと……なんとなく『暗殺教室』を思わせるようなスピード感と展開に、なつかしい思いを寄せた『逃げ上手の若君』第32回です。 ***********************************  さて、今回は吹雪と時行とのこんなやり取りがありました。  「そういえば 鎌倉での我が君の食事が知りたいですね」「さぞかし豪勢だったのでしょう 見たことも無い贅沢な珍味が…」  「そうでもないよ 普段は皆と大して変わらない」  かつて玄蕃が要求した百貫文にまったく顔色も変えなかったお坊ちゃま(第11話)の発言とは思えないですね。  第23話の「解説上手の若君」(質問は「当時お米はどれくらい食べられたの?」です)に、こんな記述があったのを皆さんは覚えていますか。  時行のおじいちゃんの更におじいちゃんは北条時頼という名君でした。この人、夜中に家来を呼び出して「酒でも飲みながら話をしよう。お、つまみがないなあ」って。そこで台所を探した家来が、こんなものがありました、と味噌をもっていくと、おお上出来だ。と喜んでいたそうです。  「解説上手の若君」では、「幕府のナンバーワンがこんな調子ですからね」というので、「武士の食生活が全体に貧しかった」一例としてあげていますが、このエピソードを『徒然草』に収録した兼好法師は、質素な生活への憧れや時頼への賞賛の気持ちを込めていたようです。  それというのも、この時頼のお母さんのエピソードも『徒然草』に書いているからです(「相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける」で始まる段落を教科書で読んだ方もいらっしゃるかと思います)。  松下禅尼が自分の邸に子の時頼を招待した時、障子の破れた箇所だけを小刀で切り取って修繕をしていました。それを見た松下禅尼の兄が、〝そんなことをお前がしなくてもいい。張り替えの上手な男を手配する。そいつなら障子全体を楽に張替えできるぞ。全体を張り替えれば、みみっちくもなくてきれいな仕上がりにもなるし……〟と。  しかし、松下禅尼はきっぱりと言います。  〝兄上、そんなことは私もわかっていますよ。今日こうすることに意味があるのです。これを時頼に見せて、物が壊れたら壊れた箇所を直して使い続けなさいと教えるのです〟  兼好はこのエピソードを紹介した最後にこう述べています。  世ををさむる道、倹約を本とす。女性(にょしょう)なれども聖人の心に通へり。天下をたもつ程の人を子にて持たれける、誠に、ただ人にはあらざりけるとぞ。  ーー世を治めるには質素倹約が根本にある。時頼ほどの名君の母はやはり違う(幼い頃から優れた教育を施していたのであるな……)。 ***********************************  話題変わりまして、郎党たちの若君への鯛のお刺身プレゼント作戦は、実は鎌倉偵察を兼ねており、足利尊氏が第25話で弟・直義に託した鎌倉の様子が最後のページで描かれていました。  ーー直義の脇にいる新キャラたち、何者!?  湘南のサーファーがいますね(笑)。友人と、桃井直常(もものいただつね)ではないかと予想を立てました。  尊氏も直義も、男が惚れる男だったのかなと思います。でも、両者の性格の違いを反映してか、異なるタイプの男たちを引き寄せている感じがしています。  不思議なことに、堅物の印象のある直義にけっこうパワー系の武将が最後まで付き従っていたりして、その一人が桃井直常でした。いずれにせよ、色黒でガタイのいいチャラ男風ないでたち(しかも、冠が耳付き?)な右端の彼、気になりすぎますね。  あとは、男気もあってクールな印象の上杉憲顕(うえすぎのりあき)は、左の男たちのどちらかかな?……なんて想像しました。  お利口そうなお子さんは、尊氏の子の義詮(よしあきら)かと思いつつ、でも尊氏の子ならタレ目だよなあ……と考えなおしています(足利将軍初代・尊氏、二代・義詮、そして三代・義満は、タレ目っぷりが激似です)。そうすると、鎌倉に直義がお連れした、後醍醐天皇の皇子・成良(なりよし)親王かなと思いました。  友人は直義が大好きなので、自分もあの足利タオル(手ぬぐい?)を持ってきゃーきゃー叫んでいる女の子たちに混ざりたいと言っていました。ーーそこで、私はハッと気づきました。  ーー第4話の諏訪頼重、集まっているの野郎ばっかり!  最近、足利将軍家がひそかに人気ですが、女性の歴史ファンの支持が高い気がしています。確かに、見た目ですか……金閣とか銀閣とか能とかの文化・芸能、〝ファッション性〟高いですね。  一方の、北条氏ゆかりの寺院や鎌倉の街のつくり……華やかでは決してありません。「倹約」一族の理想が現実化すると、ああなるのかもしれません。北条氏も諏訪氏も、見てくれとかまるで気にしない一族の印象です。  そうなんですね、確かに、諏訪の血を引く私も、大事なのは理想を描くことであり、精神とか心根とか……見た目じゃないだろ、必要性とか本質だろうが、と思う傾向がものすごく強いです。それは、女性にはウケないし、男性でも息苦しくて嫌だと思う人は少なくないと思います。  一方で、今回は『徒然草』での兼好の言をとり上げましたが、『太平記』の語り手は北条びいきなのがわかりますし、当時の公家や武家の中でも、北条氏のことを優れた政治を行った一族だったと評価している人もあります。  評価という点はさておいても、北条氏や諏訪氏と足利氏との違いをたった1ページで見せてしまう松井先生に、またしてもやられました。ーーいよいよ中先代の乱へと続くストーリーに、胸の高まりが止まりません! 〔今泉忠義訳註『改訂 徒然草』(角川文庫)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)、を参照しています。〕
/175ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加