第40回 あらためて望月氏、小笠原氏…そして、十歳の雫が頼重の名代(みょうだい)ってありなの?

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第40回 あらためて望月氏、小笠原氏…そして、十歳の雫が頼重の名代(みょうだい)ってありなの?

 『逃げ上手の若君』第40話、望月重信(しげのぶ)と亜也子の感動(?)の父娘対面がほほえましかったです(え、そんなことはない?)。  第22話で、瘴奸(しょうかん)を「鬼心仏刀(きしんぶっとう)」にて倒し、ほぼ無傷だったはずの時行が「肋骨亀裂骨折」という、吹雪や弧次郎や亜也子よりも重傷を負った(コミックス3巻参照)理由が、この望月家の〝アバラ折りの抱擁〟にあったとは……。  ーーここで、あらためて望月氏について知りたいと思いました。  平安末期~戦国時代にかけて,現在の長野県佐久市の旧望月町付近に根拠を有した武士。信濃の旧族とされる滋野(しげの)氏の分流で,滋野為通の三男広重が望月牧の牧監(もくげん)として土着し,望月三郎を称したことに始まるとされる。平安末期,保元の乱(1156)に従った武士に望月氏がみえ,その後,治承・寿永の内乱に際しては源義仲に従い,鎌倉幕府成立後御家人となった。望月氏は鎌倉幕府滅亡後,北条時行を擁して起こした中先代の乱(1335)に与(くみ)した。そのため守護小笠原貞宗の命により居城の望月城は攻撃され落城した。以後望月氏は衰え,室町時代には大井氏の支配下に入ったといわれている。戦国時代には甲斐武田氏の信濃進攻により武田氏被官となり,1567年(永禄10)に遠江守望月信雅が武田氏に異心なき旨の起請文(きしようもん)を小県(ちいさがた)郡塩田(しおだ)の生島足島(いくしまたるしま)神社に奉納している。 〔「世界大百科事典」の「望月氏(もちづきうじ)の項目より〕  北条氏の得宗被官の中でも有力な一族であった諏訪氏、そしてその諏訪氏と信濃で強い結びつきのあった一族にとって、鎌倉幕府の滅亡と時行を擁立しての中先代の乱が、いかに彼らの運命を変えてしまったかがわかります。 ***********************************  望月氏の話題はいったんおいておいて、雫のことについても今回は話してみたいと思いました。  「雫は 頼重殿の名代(みょうだい)として重臣たちに顔が利く」「彼女ならではだ 大将を配置転換するなどという大胆な発想は」  祢津頼直の鷹の術を「南」の砦で生かすことで、「南」の戦力を「中」に補充するという雫の提言を受けて、時行は彼女をこう評しました。  雫の目元や少しダークで発想がズレているところが頼重に似ているので、雫は頼重の娘で間違いないのだろうと私はずっとそう思っていましたが、第24話の守屋山(もりやさん)で神獣たちと祈っているというエピソード以来、彼女は実は諏訪の精霊か何かの化身かもしれないという推測もしてきました。  しかし、今回のこの、見事に本質的なところだけを攻めて最適・最善の結論を導くという洞察力は、これまでこのシリーズで分析してきた諏訪一族の十八番(おはこ)だなということで、また作品に対する私の深読みは振り出しに戻ってしまいました。  ちなみに、わずか十歳の女の子が、諏訪氏の当主であり明神でもある頼重の名代(作品の中では「代理人」という説明が付されています)を務めるなど、少年漫画でありがちな設定のひとつでしょ?と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。  鎌倉幕府滅亡の際、鎌倉を直接に攻め落としたのは新田義貞ですが、彼と彼に従った軍勢のもとに、足利尊氏の嫡男である義詮(よしあきら)が鎌倉を脱出してきて合流します。これは、当時は西にいたために鎌倉には向かえなかった足利尊氏の、まさに「名代」と解釈されています。ーーその時の義詮は四歳です。  加えて、この時代の子どもたちの持つ能力を決して馬鹿にはできないこと、女性の活躍の事実があったことについては、これまでもこのシリーズで触れてきました。松井先生は、そうした史実もしっかり踏まえた上で、雫はもちろんのこと、時行の脇を固める郎党たちの個性を描いているのだなあと思います。 ***********************************  さて、最後にやはり、やられっぱなしでは終わらない、小笠原貞宗の登場です。  先日、語学のレッスン中に小笠原諸島の話題が出て、なぜ「小笠原」なのかとふと疑問に思って調べたところ、「1593年、信濃国深志の城主、小笠原貞頼が発見した」(「日本語「語源」辞典」)とあり、知らなかったとはいえ……たまげました。   ※「日本史辞典」には、「豊臣秀吉に仕えた武将小笠原貞頼の発見によるとされるが、確証に欠ける」とあったことも補足しておきます。  また、近代史の話を聞く機会があった時に、東郷平八郎(日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃滅した海軍軍人)の部下で小笠原という人が出てきた時に、〝小笠原も息の長い一族だよね〟とぼそっとつぶやいた方がいたのですが、私もそう思いました。〝生き延び上手の小笠原くん〟だなと……。  私は現在、地元の歴史講座で鎌倉時代末期と南北朝時代について学んでいますが、本当に当時は世の中がどう変化して、誰が覇権を握るかはわからない中で、誰もがギリギリの選択をした時代だったということを、くり返し講師の先生から伺っています。  先に引用した「望月氏」の項目の最後にはこうありました。  82年(天正10)の武田氏滅亡後,この地を支配した徳川家康の被官依田信蕃に降伏した武士の中に望月印月斎の名がみえる以外は,その動向は不明である。  『逃げ上手の若君』は少年漫画であって、諏訪頼重は未来予知ができるというキャラクター設定ですが、それでもすべてが見えているわけではありませんし、第39話では冒頭の解説の際に頼重が「ここから先の未来は見ないようにしておりまする…」と述べています。  たとえ未来がわかっていたとしても、それを変えることはできないということなのかもしれません。だとしたら、頼重(や代々諏訪で明神になる当主たち)は本当に重い宿命を背負っていることになります。ーーだからこそ逆に、どう生きるかということ、もしかしたら宿命かもしれないその未来も変えるまでの強い意志こそが、彼らの人生の最も必要なことなのだと私は思います。  第25話の最後、時行は頼重に「頼重殿も… いつか消えて無くなるのですか?」と聞きます。  頼重はその問いには直接答えず、「今は見えない力が活躍できる最後の時代」「今を目一杯生きなされ」「時代の変革期を心残り無く遊び倒すのです!」といった言葉を時行に投げ返します。  私の家も、諏訪氏の有力な一族でしたが、望月氏と同じように武田氏の支配下に入り、最終的には、諏訪の地を捨てるという決心をしてまで〝生きる〟という選択をしたとみています。  小笠原氏とは形は違いますが、諏訪氏もまた、消えて無くなってなどいないのです。もともとが違いすぎる一族だったであろうことはこれまでもここで書いてきました。ーー現に、諏訪一族きってのスターの一人である頼重は、こうしてトップ少年漫画誌の有名漫画家さんが復活させてくれているではないですか!  相当型破りで、キンピカに光り輝く、胡散臭いまでのかっこいいキャラクターとしてよみがえり、時行とともにまさに現代の「中先代の乱」を起こしていると考えると、こんな痛快なことはないと私は思うのです。 〔参考とした辞書・事典類は記事の中で示しています。〕
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