第44回 諏訪頼重の孫・頼継登場! ヒネているのには訳がある…時行とは違った宿命を持つ「神」たる子の悲哀

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第44回 諏訪頼重の孫・頼継登場! ヒネているのには訳がある…時行とは違った宿命を持つ「神」たる子の悲哀

 特別な小屋で(みそぎ)をしていると思いきや、温泉につかって遊び散らかしている頼重登場……孤次郎や亜也子が直接手を下しているのはもちろんですが、娘の雫まで父に遠くから何か物を投げつけており、時行も思いっきりダイブしています(吹雪は彼らより大人ですね。あれ、でも玄蕃がいない?)。  しょうもない頼重ですが……負け戦に時行が気落ちして諏訪へ帰ってくるのがわかっていて、時行がその思いを吹っ切ることができるようにという演出だったと考えるのは私だけでしょうか。  そうでなければ、松井先生は国司編の時に真剣に水垢離をする頼重を描いてはいない気がします。やはり頼重は、自分の本心を時行に悟られないようにしているように思われてなりません。実はこれ、諏訪氏が持つ気質の一つかもしれません。ーーいい人に見られないようにカモフラージュ?  おそらく、偽善ととられるのをおそろしく嫌うのではないかと思います(諏訪一族の末裔たる私にも覚えがあります……他者の偽悪的なふるまいについても、けっこうわかってしまいます)。  そんな頼重ですが、時行の烏帽子親を望んだ時の顔は照れているのがわかります。ーーしかしながら、視線をそらして「私が貴方様の髪を切っても良いでしょうか?」と言うあたり、大事なことだからふざけられないし、いやそれ以上に、いつもふざけているから受け入れてもらえるかしら……といった、頼重の複雑な気持ちが伝わり、なんだか心温まります(横長のコマの頼重も見たことない表情ですしね!)。  実際、このシリーズでも何度か登場した諏訪左衛門入道(解説名人の盛高の父とされる人物です)が、北条時宗と烏帽子親関係にあったということも聞いたことがあります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  第44話はいろいろと含みの多い回だなと思いました。今まで見たことのない表情の頼重を見て、時行は気づくのです。  「…そうか いつの間にか私は…」  「あの人の事を父親のように思っていたのか」  しかし、時行のほんわかした気持ちは、次の瞬間に打ち砕かれます(しかも、雫や頼重が手放しで褒めた髪を強く引っ張られてというのがまた、松井先生の憎い演出!)。  ここで、前の日に頼重にダイブする時行のことを陰から見ていたのが誰で、どんな思いであったのかが、次のページでわかるのです。  「おいお前 北条の子とかでちやほやされて図に乗るなです」  「僕は神になったのだ 神の方が上です」  父・時継の前ではキラキラ良い子で、気づかれないところですごんだり、「神業 同伴ふくらはぎ殺し」を仕掛けたりとか、頼継のヒネクレぶりに爆笑でした。  偽悪的にふるまう諏訪氏のことを話したばかりですが、決して作っているのではなくて素で怖い、諏訪氏の執念深すぎて邪悪な一面を体現しちゃってるよ、この子、って思いました。  「神になったとはどういう事だ?」  時行も疑問に思いますが、妹に頼継のことを話したら〝ちょっとかわいそう〟と同情していました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  2021年3月に出版された『南北朝武将列伝』(戎光詳出版)は、南北朝時代ファンにとってバイブルの一つとなっていますが、その「南朝編」に頼継のことも詳しく記されています。しかし、見出しの武将名は「諏訪直頼」となっています(執筆者は、地元の研究者である花岡康隆氏です)。  南北朝時代に活動する諏訪氏の惣領として、頼継(よりつぐ)頼嗣(よりつぐ)直頼(ただより)頼寛(よりひろ)普寛(ふかん))という順に四人の名が史料上確認できるが、これらは同一人物であることが指摘されている。  花岡氏は、「さまざまな上位権力と結びながら、一貫して小笠原氏との抗争を繰り広げた直頼は、南北朝時代の到来によって発生・顕現した信濃の地方支配をめぐる諸矛盾を体現する存在だった」という的確な一言で直頼を評価していますが、自身と諏訪氏の生き延びを図って、アグレッシブに時代の荒波に抗したのが、ヒネクレ神様・頼継の宿命であったことがわかります。  建武二年(一三五五)六月、頼重・時継父子は小県(ちいさがた)郡の滋野(しげの)氏らとともに、北条時行を旗印に蜂起した。中先代の乱である。挙兵に先立つ二月九日、大祝(おおほうり)であった時継はその地位を退き、子息の頼継を七歳で大祝に就かせた。大祝とは、諏訪上社の神官の頂点に位置する地位である。諏訪明神の依り代で現人神(あらひとがみ)とされ、童男を立てるものとされた。  ※依り代(よりしろ)…神霊が寄せられて乗り移るもの。  もちろんこれは「時継による挙兵の準備」でした。作品の中で頼重が何度も口にしている「大乱」「大戦」(=中先代の乱)のために、頼重・時継が大軍を指揮しなければなりません。しかし、「大祝は清浄保持のため諏訪郡外へ出てはならないとされており」、それゆえに頼継は「神になった」のです。ーーまさに大人の事情!?  本来であれば、頼継の大祝就任は、一族あげて〝頼継のため〟という思いを一つにしてするものでしょう。しかし、自分が「神」になったのは、よそから来た同い年くらいの少年のためであり、「御祖父上(おじじうえ)」も「御父上(おちちうえ)」も何かと言えば〝北条北条〟〝時行時行〟と言ってそちらが先んじられていれば……子ども心にも傷つきますよね(心理学的にも、親の愛情に飢えた子どもは人間関係において困難が生じやすいようですが……自己否定的な出方ではなく、かなり強烈な方にベクトルが向いていますが、頼継もモロですね(汗))。  玄蕃もかなりヒネクレていましたが、頼継はそれを上回る強敵です。時行には自覚がなくても、頼継にしたら、一番欲しい親や家族の愛を奪っているのですから、時行に対してどれだけの憎悪を募らせているか……。宿敵・小笠原貞宗ですら、時行には一目置いています。ですが、子ども同士であれば、そこは容赦しないでしょう。  「心残りは「しなのゝかみ」(直頼)を討てなかったことである」  のちに頼継と熾烈な争いを繰り広げた小笠原政長(貞宗の子息)は、死ぬ直前にこう言い残しているそうです。頼継のタフさやしぶとさを想像してしまいました。  〝『逃げ上手の若君』は来週から『裏ありすぎの神様』になります〟なんて展開になってしまったらどうしよう……と思いつつ、頼継の動向から目が離せません。 〔亀田俊和・生駒孝臣編『南北朝武将列伝 南朝編』、阿部猛・佐藤和彦編集『日本中世史事典』(朝倉書店)を参照しています。〕
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