第80回 「天女」に生涯を捧げた石塔範家死す…白拍子について調べてみた

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第80回 「天女」に生涯を捧げた石塔範家死す…白拍子について調べてみた

 亜也子、望月党の力を借りて石塔範家を討つも「強者…」と一言、石塔を見つめる表情が曇る『逃げ上手の若君』第80話。  亜也子が雫に嫉妬心を抱いていることを見抜き、石塔は最後にこう語ります。  「その展開も見てみたかった」「表情 心情」「すべてが鶴子ちゃんの進化の糧となれたろうに」  石塔は鋭い観察眼の持ち主で、彼の女神である「白拍子天女鶴子ちゃん」は、石塔が接した現実の女性の様々な長所を取り込んで、常にバージョンアップしていたのだと理解しました。  しかし、それがもう一転するのが諏訪で見たという「天女」です。眩しい光の中に見えるシルエットは、雫のように見えます。  諏訪頼重は雫を自分の娘だと時行に紹介しています。確かに、父譲りの現実的な戦略眼を持つ少女です。そうでありながら、石塔の人生を変えてしまった「天女」なのでしょうか。石塔の鶴子ちゃんはおそらく、彼が目にした「天女」にすべく〝育成〟がなされていたけれども、それを超えることはなかったのだとしたら、雫とは一体何者なのだろうか……と、また頭を抱えています。  私は個人的に、時行のお嫁さんになるのは亜也子(みたいなタイプ)ではないかと思っています。石塔は、亜也子の「現実を足掻(あが)くその泥臭さを…美しいと思ってしまった」と吐露していますが、「若様のためなら」ボロボロになるのも「かまわない」という一途さは、石塔でなくてもぐっときますね。  かつて、小笠原領を出て諏訪に帰る場面(第36話)で時行も、亜也子の田楽舞について、「貞宗の追及など忘れてしまった 君の事で胸が一杯になっていたから」と頬を赤らめて彼女に告げています。一方で時行は、雫のことも気にはなっているにもかかわらず、「相変わらず雫は浮世離れしててよくわからない」と評しています(第51話)。  前回のこちらのシリーズで私は、「『逃げ上手の若君』は、ミドルからキッズまで超個性派の魅力的な男性にあふれています」と述べましたが、こうした男心の機微も松井先生は丁寧に描いてくださっていますね(笑)。  雫みたいな女の子に惚れてしまったら、石塔が一生を理想に捧げてしまったように、男性はただじゃすまないのかもしれません(やはり雫は人間ではなく、精霊か何かなのかしらという考えに戻ってしまいました)。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  さてそんな中、なぜ石塔は理想の女性像を「白拍子」の姿にしたのかなと思いました。白拍子と言えば、源義経の恋人である静御前が有名ですが、兼好法師の『徒然草』にはこんなことが記されていました。  多久助(おほのひさすけ)が申しけるは、通憲(みちのり)入道、舞の手の中に、興あることどもをえらびて、いその禅師といひける女に教えて舞はせけり。白き水干に、さうまきをささせ、烏帽子を引入きれたりければ、をとこまひとぞいひけける。禅師がむすめ(しづか)といひける、この芸をつげり。是れ白拍子の根元なり。仏神の本縁をうたふ。その後源光行、多くの事を作れり。後鳥羽院の御作もあり。亀菊(かめぎく)に教へさせ給ひけるとぞ。(第二百二十五段)  ※さうまき〔鞘巻・左右巻〕…武士が太刀に添えて刺した鍔(つば)のない短刀。  ※本縁(ほんえん)…物事の起こり。由来や縁起。  「(いその)禅師がむすめ静」こそ、先に記した有名な「静御前」だそうです。「白き水干に、さうまきをささせ、烏帽子を引入きれたりけれ」というのは男性のいでたちで、ゆえに「をとこまひ(男舞)」と呼ばれたのですね。  ビジュアルがいまひとつわかりにくいなと思ってネットを検索したところ、京都の風俗博物館のHPが秀逸でしたのでぜひご覧になってください(装束の背景になる時代の説明などもとてもわかりやすいです)。見ると、「鶴子ちゃん」の衣装だというのがわかります。 https://costume.iz2.or.jp/costume/522.html  また、雫はどうかというと、現代の巫女衣装(白衣(びゃくえ)緋袴(ひばかま)千早(ちはや))よりも白拍子(水干)に近い印象です。こちらは「舞の道」という舞踊のグループのHPを参考にさせていただきました。 https://mainomichi.com/mblog/miko-costume/  だから石塔には、彼女が巫女というよりは舞人に見え、「白拍子天女」という形で鶴子ちゃんにそれが反映されたのだと推測しました(彼が見た「天女」が雫であればですが……)。  石塔範家がかっこよかったので今回はそれに多く筆を費やしましたが、彼については実在の人物なのであれこれ調べてはみたものの、私の力ではほとんど何も情報を引き出すことができませんでした。しかし石塔氏は、その中から時宗の一派をなした上人が出たり、のちのち尊氏と対立したりといったところから、範家のキャラは出来上がったのかなと思いました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  第80話では、頼重の意味不明の年齢肌攻撃と、斯波孫二郎が自分の策など及ばないほどの頼重の「計算」力の重層性に愕然としている、その両者のギャップもかなりの見どころでした。  あ、あと岩松経家が「個の武では足利党の方が上だ」「だがこいつつらは 女も含め全員で固まって立ち向かってくる」として、北条軍(諏訪軍)が「危険極まる」集団であることにやっと気づいたこともですね。  私は長いこと、自分の周囲の人たちや世間一般の価値観や趣向と自分のそれらが、ひどくズレていることに苦しめられてきました。しかし、『逃げ上手の若君』の連載が始まって、それが作品中で楠木正成が時行に説いた「固定観念という囚われの檻から逃げる事」という点でアドバンテージであることに励まされました。  おおいなる〝ズレ〟は、おそらく我が諏訪一族の持つ特性の一つである気がします。それを遅ればせながら誇りにも思えるようになったのは、松井先生のおかげでしかありません。 〔今泉忠義訳註『改訂 徒然草』(角川文庫)を参照しています。〕
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