第81回 岩松経家散る…次々と敗れる関東庇番衆、実際はどうだったのか? 若干のネタバレもありで調べてみる

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第81回 岩松経家散る…次々と敗れる関東庇番衆、実際はどうだったのか? 若干のネタバレもありで調べてみる

 「何者なんですか あの祢津小次郎ってガキは」  渋川義季と渡り合う孤次郎(戦場では、祢津の次期当主「小次郎」ですが…)に対して、斯波孫二郎のもとにいる兵たちが動揺を隠せない『逃げ上手の若君』第81話の冒頭。  古典『太平記』で「祢津小次郎」は、「大力の(かう)の者」と紹介されていますが、『逃げ上手の若君』での弧次郎のキャラクターは、剣の腕もさることながら、まさにこの「剛」という古語に集約されていると思いました。  ※剛の者…勇敢な者。勇士。「剛」とは、強いこと。剛勇。  それに対して渋川の「武」とは、真面目で優しすぎる渋川に直義が背負わせた「恩義」によるものであったのには驚きでした。ーーう~ん、これは庇番衆で一番ヤバイ人一転、女性ファンが増えそうですね。  ちなみに、直義が義季の姉を正室に迎え、女性関係には潔癖だったというのは『太平記』にも記されています(本によっては、それは表向きだけで、隠れて女性と関わっていたとあるのですが…)。  また、義季が出陣の時に登場した娘の幸子は、尊氏の嫡男・義詮の正室であり、力を持ったというのはこのシリーズでもかつて記しました。彼女の存在は『太平記』での、女影原の戦いの描写に少なからず影響を及ぼしているようです(これについてはいずれお話できればと思います)。 第73回 関東庇番の血の結束の「狂気」に対抗する中先代の乱の勢いはどんなもの!? https://estar.jp/novels/25773681/viewer?page=74 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  渋川義季と弧次郎との勝負、あるいは斯波孫二郎の挽回策があるのかといった点はまだわからないものの、石塔範家に続き、岩松経家も敗れました。  そろそろ、ネタバレもお許し願えるかなと思いつつ、鈴木由美氏の『中先代の乱』より、女影原の戦いの様子を確認してみたいと思います。  筆者は、関東廂番は引付・軍事両方の機能を持っていて、関東廂番の頭人として渋川義季や岩松経家が反乱鎮圧のために派遣されたと考える。軍事活動の範囲が関東十ヵ国に及んだかまでは不明である。建武元年三月の本間・渋谷氏の反乱や、中先代の乱での渋川義季の活動を見ると、彼が鎌倉将軍府の軍事的主体であったことは認められよう。  ※筆者…『中先代の乱』の著者・鈴木由美氏。  ※引付(ひきつけ)…訴訟の審理およびその他の公事をつかさどった。  ※頭人(とうにん)…長官。主席。  ※本間・渋谷氏の反乱…『逃げ上手の若君』では、第33話(コミックス4巻)で描かれている。  ※鎌倉将軍府…建武新政府の地方行政組織。足利直義が御醍醐天皇の皇子成良(なりよし)親王を奉じて鎌倉に下向。関東10カ国の統制にあたる。    しかしここで鈴木氏は、中先代の乱において、関東廂番ではない小山秀朝(おやまひでとも)と佐竹貞義・義直が戦っていることに注目しています。小山秀朝は下野守と下野守護、佐竹貞義は常陸守護だったということです。  もし鎌倉将軍府の軍事力が守護を中心に組織されたものであれば、鎌倉将軍府の管轄とされる関東十ヵ国の守護に動員をかけるのではないだろうか。飛騨守護の岩松経家が動員されることは考えがたい。  ※飛騨…今の岐阜県の北部。  直義は、怒涛の勢いの時行軍を止めるために、関東廂番ではない小山秀朝や佐竹貞義に、守護であることを理由にして動員をかけた可能性もあろう。いずれにせよ。時行軍を撃退するために手近で救援を依頼できるところには依頼して、反乱の鎮圧を図ったのではないだろうか。岩松は新田一族ではあるが父方の祖は足利氏で鎌倉幕府滅亡の功労者の一人であり、渋川は足利一族で直義の義理の弟、小山は坂東豪族の有力者である。彼らを出陣させたこと自体に直義の抱いていた危機感がうかがえる。  佐竹貞義は、時行軍が鎌倉に攻め込む直前の七月二十四日に武蔵鶴見で起きた合戦で衝突しています。「時行軍の本体ではなく、時行に与同(よどう)する鎌倉近辺にいた勢力ではないかと推測されている」ということですが、この時に貞義の息子の義直は討死しています。  ※武蔵鶴見…神奈川県横浜市鶴見区。  岩松経家だけでなく、小山秀朝もこの後の戦いで自害を遂げています。……おっと、書き方がおかしいのでは?と思った読者の方もいらっしゃいますね。『逃げ上手の若君』第82話では、岩松経家は望月重信と吹雪に敗れていますが、歴史的な記録では岩松は自害、ネタバレご容赦で言うと、渋川義季も自害を遂げているということです。  女影原は現代の埼玉県に位置していますが、東京都を越えて多摩川を渡ったらもう神奈川県です(関東平野をひたすら突っ切る!)。庇番のトップ2が撃破されたことで、その勢いのままに時行軍が進軍してくれば、鎌倉に攻め入ってくるのは時間の問題だという「直義の抱いていた危機感」は相当なものだったのではなかったかと私も想像します(直義は、戦があまり得意でないというのも、よく聞くところです…)。  同時に、鎌倉には入らせまいと必死に戦った庇番衆の驚きと無念さも痛いほど伝わってきます。今回はここまでにしますが、『逃げ上手の若君』では、女影原の戦いにどのような結末がもたらされるのか……それを見てからまた、古典『太平記』での戦いの描かれ方などもお話できればと考えています。 〔鈴木由美『中先代の乱』(中公新書)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕  
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