第83回 足利尊氏動く……その尊氏に鎌倉を託されていた弟・足利直義の動きを古典『太平記』等で確認してみる

1/1
前へ
/177ページ
次へ

第83回 足利尊氏動く……その尊氏に鎌倉を託されていた弟・足利直義の動きを古典『太平記』等で確認してみる

 弧次郎が渋川義季との一騎打ちに決着をつけたことで、女影原の戦いは終局を迎え、西国にもその報が伝わります。いよいよ足利尊氏が動き出した『逃げ上手の若君』第84話は、読み終わって放心状態でした。ーーこの乱の結末を知っているからなのでしょうか、それとも、諏訪一族の血のせいなのでしょうか、『逃げ上手の若君』が漫画作品だとわかっていても、尊氏の存在をとても恐ろしく、そして忌まわしく感じてしまいます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  私としては、〝あれ、直義ではなく、いきなり京と尊氏の反応を描くんだ…〟と思いました。  相変わらず「?」の新田義貞(新田義貞は、史実でも鎌倉において主要な役目を得ていなかったので、時行を知らなくても仕方ないようです…)をよそに、楽しそうに笑う楠木正成。  拳を震わせて怒りをあらわにするのは、後醍醐天皇と高師直。師直に至っては、信濃から虚報を持って帰った天狗たちを殴って、手から流血! 「青二才」とは「夏の四」のことか、あるいは後に敵対する足利直義のことを言っているのなどと、少し考えてしまいました。  そして、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の後鳥羽上皇よろしく似絵の上手な佐々木道誉。父が持ち帰った人相書きを見て冷たい表情を見せる娘の佐々木魅摩。時行にガチで惚れこんでいた分、騙されたって思いもあったりするのかな…ということを勘ぐってしまいましたが、彼女はかつて父には時行が敵だったら「殺す」と言ってのけています(第53話参照)から、純情な乙女モードは瞬時に消え去ったのかもしれません。  女影原では、ついさっきまで得意げだった斯波孫二郎が、涙を流して取り乱しているのが切なかったです。孫二郎は、時行たちより少し上の、吹雪くらいの年格好の印象(作品登場時の説明では13歳)ですが、ここは戦場、〝掛かった〟かのように見えていた諏訪頼重は、孫二郎の裏をかいて容赦なく伏兵を送り込みます。  作品中の説明には「現地には陣の名残と思われる地名が点在しており」とあって興味を覚えたのですが、またの機会に地図を眺めてみたいと思いました。とはいえ、角川日本地名大辞典の「女影」の項に、「地内東端を旧鎌倉街道が南北にかすめて通」り、「字諏訪山には中世の十三塚がある」という記述があるのを目にして、激戦であったとされるこの地で、時行を鎌倉へ…という思いを胸に秘めて戦死したであろう信濃の将や兵にもまた、思いを巡らせました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  第83話では登場しなかった足利直義ですが、尊氏に手紙を送っていますね。  「鎌倉の防衛は予断を許しません どうか兄上 万一に備えて京の精鋭を鎌倉へ」  作品の展開上割愛されただけか、信濃での名乗りの情報を得ての第一報なのかもしれませんが、義季への思いとかは一言もないのはなんだかなあ…と、思ってしましました。義季や石塔が、一方的に直義に恩義を感じていて、直義は大好きな兄上しか見ていないのかも…などと穿った見方をしてしまいます。  その直義ですが、鈴木由美先生の『中先代の乱』には、今川範満(馬の被り物で馬刺しを食いまくる庇番寄騎として『逃げ上手の若君』に登場しています)の通常ではありえないような出陣について触れて、「直義方は追い詰められていた」としています。関東庇番だけではなく、下野守と下野守護であった小山秀朝や常陸守護であった佐竹貞義にも援軍を命じたことは、このシリーズの第81回で記しました。  古典『太平記』でも、中先代の乱では、時行軍の誰がどのように活躍したかの「詳細な記録」はないのですが、直義方の「股肱(ここう)の氏族、耳目(じもく)の勇士」が、時行軍に次々に撃破されたという結果が語られていきます。  ※股肱…ももとひじ。転じて、手足となって働く、君主が最もたよりとする家臣。  ※耳目…ここでは、「下働きをする。補佐する。」という意味か。  例えば、岩松経家の兄の四郎も『逃げ上手の若君』において、わずか数ページで敗れていますが、『太平記』中でもまた、「新田四郎、上野国蕪河(かうづけのくにかぶらかは)にて支へ、戦ひしも、一戦に力を失ひて、(つはもの)ことごとくうたれぬ」とだけあります。  ※新田四郎…岩松経家の兄・四郎のこと。  直義はというと、乱の勃発に「驚き騒ぎ」、義季が敗れたとなると、小山に対して「厳刑」(全集の頭注では「厳命とあるべきか。」)を下して援軍を出させ、この人もこの人もだめだったとなり、とうとう「かくては叶ふまじ」と発言しています。ーー「これではとても勝てまい」と言って、匙を投げたのです。  今のように情報が瞬時に伝わる時代ではないため、どの段階で直義が京に対して、時行軍が脅威であることをどういった形で伝えていたかはわからないのですが、尊氏が出てくるのはもはや時間の問題だったということでしょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  鈴木由美氏の『中先代の乱』にも、古典『太平記』にも、ストーリーに関連して取り上げたい内容やエピソードがあるのですが、松井先生が今後描こうとしている時行の鎌倉奪還と尊氏との戦いに抵触するネタバレも嫌なので、今回はこのくらいにしておきたいと思います。  「詳細な記録は残っていない」としても、『太平記』における、直義の心情と状況を表したいくつかの表現が、「火出づる程闘ひける」という時行たちと真逆の様子であることは伺い知ることができます。  物語として後世に脚色された部分はあるとしても、読者である私たちは、言葉によってこの乱のある種の真実には迫ることができるのかもしれません。 〔鈴木由美『中先代の乱』(中公新書)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕  
/177ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加