14人が本棚に入れています
本棚に追加
第86回 自力救済の世界を生きる子ども……現代や前作での問題意識も引き継がれる吹雪や弧次郎
馬が限界を迎えたと見るや、戦場に高く掲げられた二つ引き両の目印のゾーンに駆け込む今川範満。
「00:15:00」
わずか15秒で「駄馬」の乗り換えを終えて再び戦場へと舞い戻り、海野幸康の読みも、勝機も一蹴されてしまった『逃げ上手の若君』第86話。
第84話で、「足利一門・今川範満は 馬の鞍に足をしばりつけて出陣したという」「「病」を患っていたというのが理由だそうだが」という説明があり、〝いや、それ、違う「病」だったのね…〟と思いましたが、実は第73話で上杉憲顕が「あの御仁の戦いぶりを見たことがありますが あれはもはや病気の域です」と孫二郎に話しているのに気づきました!
すでにさりげなく伏線を張って、なおかつ、史実の絶妙な解釈を入れ込んでくる松井先生……ここに至るまでに、見落としてしまっていることがまだまだたくさんありそうです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、今回、吹雪の出自が明らかになりました。そして、吹雪の父が、現代で言うところの〝毒親〟(しかも重度の)であったことが判明しました。
吹雪といえば、単行本第8巻で彼は瘴奸の首を落としています(第65話「本戦1335」)。そこには、「それ以外に本人確認の手段が無かった」のであるから、「敵の首を取る事は 中世においては残虐行為にあたらない」として説明が付されていました。少年漫画ですし、読者に向けての配慮だと思われましたが、時行や吹雪が生きた中世は「自力救済の社会」であったとされています。
自力救済の社会(じりききゅうさいのしゃかい)
自らの主張する権利を武力などの実力によって、自ら保全し実現に移すこと。近代の法体系では、紛争中の権利の保全・実現には法的手続きが必要であり、自力救済の余地は少なかったが、日本の中世社会では広く認められていた。(中略)自力救済の社会の根底には、中世人の自立性があったものと考えて差し支えないであろう。中世人は隷属民たる下人や被差別民たる非人を除いて、男は髻に烏帽子を付け、腰刀を差した存在であり、女は長髪に笠などで髪を隠し、懐刀を所持した存在であった。男女とも短刀による「武装」=自力の存在であった。こうした中世人によって組織・構成された多様で多層的な社会集団も当然、他の集団との関係では自力救済によって権利の保全を図ろうとした。(後略)
第82話で、自分の生い立ちを回想している弧次郎が、「七歳の頃に殺しも覚えた」と言っています。絵を見ると、女性を襲っている人相の悪い大男の首筋に刃を立てています。
「自力救済」の社会は、基本的には子どももその例外ではないのでしょう。吹雪が〝毒親〟から自らの命を守り、自身の手にその人生を取り戻すのも、そしてまた、そのために絶望的ともなった士官先を求めて放浪するのも、すべてが「自力救済」によるしかなかったということなのだと思います。
ただ、〝毒親〟と言えば、松井先生の前作『暗殺教室』の主人公・潮田渚の母親も強烈でした。『週刊少年ジャンプ』で今週から新連載のタイザン5先生の前作『タコピーの原罪』でも相当な〝毒親〟が登場して、絵がかわいいのに内容が暗すぎて読むのが辛かったです(今作も大きなテーマは親子・家族関係のようですね)。〝親ガチャ〟というような言葉が、ネットやマスメディアでも普通に使われています。
松井先生は、自身の作品の中で一貫して、現代の日本が抱えるこの問題を扱っているのだということに思い至ります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「どうか裁きを我が君 背信の罪身をもって償います」
素性を隠して時行に仕えていたことを告白し、吹雪は死をも覚悟します。『太平記』などの物語では、裏切りは非難され、忠義は讃えられています。ーーこの吹雪の態度は、当時の武士の〝理想〟の姿だと言えそうです。
しかしながら、一方で南北朝時代とは、寝返りとか主君を変えるというのは当たり前の時代でした。「自力救済の社会」では、近現代のような自らの生命や財産を保証してくれる力や存在はなかったのですから、個人としても、一族や組織としても、自分の身は自分で守るしかないなら当然と言えますね。ましてや戦乱の世であり、これまでの価値観が崩壊する中で、現実にはきれいごとだけで生き延びることは不可能だったのでしょう。
ところで、私は最近ふと思うことがあります。暴力は絶対的に否定されるけれども、現代もある意味で「自力救済の社会」に移行してはいないだろうか……と。
親の愛を知らない弧次郎や吹雪ですが、弧次郎は祢津頼直が養育し、頼重が相性を見抜いて時行と引き合わせました。諏訪神党というつながりの中で彼は守られ、成長しています。
吹雪もまた、流浪の旅の中で諦めることなく、自らの力を試しながら、幸運にも時行と出会うことができました。今や逃若党の軍師です。
ーー「自力救済の社会」では、このように、「多様で多層的な社会集団多様で多層的な社会集団」という解決策をまた持っていたという見方もできます。
現代がある点において「自力救済の社会」に傾いているとしても、日本の中世の社会にヒントが隠されているかもしれません。当時よりも人間は進歩していると信じ、「武装」ではない形で他者や他の集団との間に生じる問題を解決する方法を生み出すことが現代の課題ではないかと、『逃げ上手の若君』第86話を読んで、私はその考えを新たにしています。
〔阿部猛・佐藤和彦編集『日本中世史事典』(朝倉書店)を参照しています。〕
最初のコメントを投稿しよう!